きっと、これは夢だ。
いや、夢と呼ぶには胸糞悪い。きっとこれは……悪夢と呼ばれるものなんだろう。
映写機にかけられたフィルムの様に、あの時、もし、こうしていたら、こうしていれば……そんなifの世界を映し出す。
たらればな話だ。考えたことが無いと言えば嘘になるが、現実、そうはならなかったのだから、“もしも”を考えるだけ時間の無駄だと思った。
幼い自分と教官殿が並んだ写真。切り替わると、成長した、今と同じ17歳の2人が並ぶ。そこに今の様な険悪な雰囲気は無く、ただの男子高校生2人がじゃれている姿がそこにあった。
夢ノ咲学院の制服を着て過ごす閣下と殿下。猊下も殿下も穏やかな笑みを浮かべ談笑している。揺れるネクタイの色は緑。暖かな光に包まれた中庭の光景は、正に楽園と呼ぶに相応しかった。
路地裏に蹲る人影。何者にもなれなかった友人の魂の慟哭。
背負いきれない遺産に押し潰されそうになる少年の悲痛な叫び。
ゴッドファーザーの後継者として担がれ、傀儡のように過ごす日々。
隣には同じように中身の空っぽな、純新無垢な最終兵器が座っている。
どれもこれも胸糞悪い。吐き気がする。こんな現実があってたまるか。
ーステージに立てないくせに。
その声は俺が1番良く知っている。
ー何ひとつ、成せていないのに。
自分自身だ。
戦い続けろ。勝ち続けろ。自分は有能であると価値を見せろ。この勝利をもたらしたのは、七種茨だと!
その能力を証明し続けろ!数字を出せ!
「そんなに、苛めないでくれるかな」
真っ暗で、重く淀んだ空気が、一瞬にして晴れた。この声の持ち主を俺は知っている。知らない筈がない。
「閣、下……?」
「勝利をもたらしてくれるとか、有能で価値があるとか、そんなもの私は興味は無いし、そもそも争いごとが嫌いだから、評価が難しい。理屈っぽい茨にはなかなか理解してもらえないだろうけど、七種茨はちゃんとアイドルとして皆に受け入れられていて、ちゃんと愛されているから、捨てられることなんて絶対にない」
凪砂の言葉が紡がれる度に、闇が晴れてゆく。そして、段々と闇は小さくなり、綿埃のような残滓になってしまう。
「たとえ、世間から見捨てられてしまったとしても、茨の隣には必ず私がいる。だから、私の隣には茨がいないとダメだからね」
えいっ、というなんとも可愛い掛け声に乗せて、凪砂は闇の残滓の綿埃を踏みつけた。ぱちん、と破裂音が鳴ったのと同時に、俺の意識は覚醒した。
***
弾かれた様に目覚め、起き上がろうとするが身動きが取れなかった。夢見の悪さからか、嫌な汗でシャツはべっとりと肌に貼り付いていて、気持ち悪い。
一秒でも早く、あんな訳の分からない夢は忘れてしまいたい。まだ重い瞼を気合いで持ち上げると、視界いっぱいに乱凪砂閣下のそれはそれは絵画のように美しい寝顔が飛び込んできた。
「……!?!?」
閣下を起こすまい、という意志の力だけで声をあげなかった自分を褒めて欲しい。あと、夢の内容については大体吹っ飛んでしまった。流石閣下。
目の前ですやすやと気持ち良さそうに寝息を立てる凪砂は今のところ全く起きる気配を感じない。改めて茨は自分の置かれている状況を確認する。身動きが取れなかった原因はおそらく凪砂で、茨を抱き枕の如く腕と足でがっちりと抱き込み離そうとしない。ちょっと身動ぎしてみたがビクともしないので、解放されるには起きるまで待つ必要がありそうだ。
見渡せる範囲で部屋の様子を見てみると、高い天井、広々とした部屋に、今二人が寝ているクソでかいベッド、リゾートホテルの一室か貴族の別荘
の様な印象を受ける。おそらく、日和が手配してくれた場所なのだろう。
「……茨、起きたの?」
「閣下、お目覚めですか。おはようございます」
「……おはよう。珍しく眠りが深かったから、そのまま運んでしまったけど、良かったよね?」
「事後承諾にも程があります……が、お心遣い、ありがとうございます。ところで、これ、は、どういう状況ですか?」
お互い目覚めたというのに、未だ凪砂の四肢は茨を掴んで離そうとしない。それどころか、更に力を込められている気がする。
「……車から降りて、ベッドに寝かせた辺りから、急に茨が苦しみ出して」
「えっ、」
「うなされていたから、どうしようかと思っていたのだけれど……」
そこで凪砂は言葉を切る。自分が見聞きしたものをどこまで伝えたらいいのだろうかと悩んでる、そんな雰囲気を感じ取った茨は、続けて下さいと凪砂の言葉を促す。
「……茨が、あまりにも辛そうに『捨てないで』『置いていかないで』って言うものだから、私は我慢出来ずにこうやって抱き締めてあげたら、じきに落ち着いたみたいで……私も結局一緒に寝ちゃった」
「と、いうのが、こんな状況になった、という経緯ですか……」
悪夢の中で都合良く出てきた凪砂が、自分の願望の具現化ではなく、実際に凪砂が触れてくれたから、抱きしめてくれたから、現れたのかもしれない。それなら、あの時の言葉は茨の都合の良い妄想でも何でもなく、凪砂自身から発せられた言葉なのかもしれない。全ては、本人に聞いてみないと分からないが。
「……やっぱり、あの時強引に起こしていた方が良かったかな」
「結果論ですが、十分眠れたので良かったと思いますよ。まぁ、夢見は悪かったですが……閣下が側に居てくれたので……ところで、そろそろ離して頂けませんか?」
「……そうだね。そろそろお昼だし、到着してすぐ寝てしまったし。着替えて昼食を済ませたら、少し散策しない?」
そう尋ねてくるが、凪砂の目は茨の口から「YES」が出ないと離してくれないように思えた。今居る場所がどんな所かも分からないし、仕事道具も全て取り上げられているため、今の茨に出来ることは凪砂の提案を受け入れて付き合うこと以外無かった。
「……分かりました、閣下。お付き合いいたします」