さて、長期休暇から戻り、星奏館に向かえば入り口で日和とジュンが迎えてくれた。日和は帰ってきた茨を見て「何だか棘を抜かれた気がするね!」と言った。何かを察してなのか、凪砂と何か話をしていたのか分からない以上、下手に追求すると墓穴を掘ってしまう可能性が大いにあったので、それ以上は突っ込まず気にしないことにした。
「そういえば閣下、これ、お渡ししておきます」
「……どうしたの? って、これ、何?」
「カードキーです。私的に部屋を持ってはいたんですが、ほとんど使う機会はありませんでした。その……ええと、自分とのプライベートの時間が欲しいって、言ってたじゃないですか」
お願いの答えをこんなタイミングでするのか。情緒も、ムードも無い……が、それがまた茨らしい。
「合鍵ってことでいいのかな?」
「そうですね。自分が不在の時に閣下が訪れる事はあまり無いと思いますが……。自分が思いつく限りの、プライベートの時間のプレゼント、です」
「……ねぇ茨、今日ここに泊まりたいな」
「それは明日からレッスンが始まるので、却下ですな~!」
***
「そうだ茨、最近ちゃんと眠れているんだってね。夢は、もう見たの?」
「何ですか、急に」
ある日のレッスンルーム。茨と日和の二人はお互いストレッチをしながら、残りの二人が来るのを待っていた。凪砂とジュンは午前中にソロの仕事が入っていたため、終わり次第合流する、という感じだ。
「そう邪険にしないで欲しいね。『夢』はお告げや啓示とも言われるくらい、様々なきっかけを与えてくれるものなんだよ?」
だから、何か面白い夢の話をするといいね! と日和は視線で訴えてくる。まだ暫くはレッスンルームには四人全員が揃う気配は無さそうなので、仕方なくストレッチをしながら日和殿下の暇つぶしに茨は付き合うことにした。
「あまり、覚えているものは無いんですが……あ、」
「あるんだねっ!」
「ありました。自分が死ぬ夢です」
死ぬ夢、その言葉を聞いて日和は、へぇ興味深いね、と笑みを浮かべ好奇心に瞳を光らせる。
「いつ頃見たのか、覚えている?」
「ちょうど、このステージを企画しようと思い付いた時です」
「なるほど……いい兆候のお告げだったんだね」
「言われてみれば、という感じですけどね」
「自分が死ぬ夢、命を落とす夢……というのは、何かと『死』自体がマイナスなイメージとして捉えられがちだけど、夢の中だと意味が変わってくるんだね」
日和は話すことは止めず立ち上がり、前屈している茨の背に両手を当てる。
「死ぬのは『今までの自分』。だから死ぬ夢は、自分が生まれ変わる、とか、変わる前兆と言われているね。実際、茨自身も思い当たる節はあるようだねぇ」
「……殿下のご想像の通りですが」
「うんうん、こういうのはちゃんと自分の口で、自分の言葉で言わないとね♪」
「ちょ、顔……近ッ! そんな、耳元で喋ら、ないで……ッ! くだ、さい」
じたばたと抵抗して暴れる茨が可愛くて、日和の悪戯心がくすぐられる。ジュンといい、茨といい年齢は一歳しか変わらないのだが、日和にとっては二人とも可愛い弟分だ。特に茨は青年実業家やら副所長やらユニットのプロデューサーやら、様々な肩書きを持っているが、それ以前に『Eden』という家族の中の末っ子なのだ。茨本人に自覚は無いと思うが、ユニットメンバーと居る時は年相応の感情を出すようになっている。特に同年代のジュンには顕著で、凪砂に対しても穏やかに笑う姿を見る事が増えた。
(でも、ぼくにだけ、なんだか距離を取られている気がするね! ぼく、茨に何かしたっけ? してないよね!)
悪戯心と、若干の長兄の構って心が合わさり、結構めんどくさい感じになっている日和に現在進行形で絡まれている茨は、そんな相手の気持ちなんて分かるはずもなく、ただただ困惑するばかりだった。自分の力だけでは抜け出せず、かと言って頼みの綱の凪砂もジュンもソロの仕事を終えてから来るので、いつ到着するのか分からない。
背中にあった日和の両手が、背骨に沿ってゆっくりと下に滑り、腰周りを撫でてくる。
「殿、下……ッ!」
「ジュンくんと違って、茨の体は柔らかそうだねぇ。今度『Eve』の振り付け……踊ってみない?」
「いくら日和くんの頼みでも、それは『Adam』のリーダーの私を通して貰わないと困る」
乱暴に扉を開く音と同時に、レッスン室の入口から、やたらよく通る声で凪砂は言い放つ。後ろに立つジュンが、「せめてレッスン室の扉閉めてから言ってくださいよぉ〜!」と訴えているのが分かる。
「凪砂くんにジュンくん! お仕事お疲れ様。待ちくたびれちゃって茨で遊んでたね!」
「閣下、ジュン……お、お疲れ様です」
先程の一言以降、無言で茨と日和の前にやって来た凪砂。何から話せばいいのやらと言葉を選んでいると、後からやって来たジュンが口を挟んだ
「おひいさん、アンタ何やってんすか。二人にはちょっかい出さずに、見守るって約束したでしょうに。ダメですよぉ〜」
「だって!」
「茨を構いたくなる気持ちは、分からなくもないですけど、それを理由にしちゃダメでしょうに」
「でもでも!」
「言い訳は後で聞くんで、ほら、おひいさん立って下さい。茨、とりあえず各ユニットごとのレッスンから始めても問題ないっすよね?」
「えぇ、あ、はい……」
「そういう事で、ナギ先輩、茨、また後で〜」
日和の腕を取り、ジュンは颯爽とその場を去ってしまう。会話こそ聞こえないか、日和が何か言う度、ジュンにバッサリと切り捨てられているのが分かる。
「……茨」
一難去ってまた一難、とはこの事だろう。茨の目の前に立っていた凪砂は、膝を曲げ視線を合わせてくる。細めた琥珀色の瞳からは、不満と嫉妬の色が見え隠れする。
「閣下、心配しているような事はされていませんので、ご安心下さい。……未遂ですよ、未遂。本当に、触られただけですから」
「……嫌だった?」
「嫌……不快だった、という事でしょうか? それは、言われてみれば、無かった気がします」
「……そう。それなら良かった」
ぽんぽんと茨の頭を撫で、凪砂は満足そうに笑い立ち上がる。練習着に着替えてくるね、とその場を離れる凪砂の姿を目で追い、やがて見えなくなる。
「……いや、ちょっと、閣下! 良かったってどういう事です! 説明して下さい!」