烏の目 もしも『影片みかは何人いる?』って質問をされたら、言ってみたい答えがあった。影片みかはファンの数だけ存在してるんよ、って。
おれのことを好きになってくれた人は、その心のうちに理想の影片みかを作り出してる。だっておれは、偶像(アイドル)やから。アイドルとして、それら一つ一つに応えていきたいとおれは思う。だから、おれはおれを好きでいてくれる人の数だけ存在するんよ。
まあそれは、今は特に関係のない話。
子どもの時に変な特技が身についた。
例えば部屋の隅っこで三角座りをしている時、三角座りをしているおれを天井から眺めることができるとか。寝ている時に口が半開きなのがわかったりとか。
眠る時によだれをこぼしてしまうと、しばらくの間シーツがよだれ臭くなって最悪やったから(なぜなら寝具は週に一回の決まったタイミングでしか洗われなかった。あの施設で優先順位が高かったのはおねしょシーツやったし)、口が半開きなことに気づいたら、ぴたりと口を閉じてまっすぐ上を向いて寝直すことができたおかげで、よだれ臭いシーツとは縁が切れた。そのほかにも、起きた瞬間に後ろ髪の寝癖に気付けたりと、地味に便利やったから、おれはこの特技を重宝していたんよ。
一個この特技の最悪なところを挙げると、明らかに視界の外のものがなぜか見えてしまうせいで、見ずに済んだはずの、主に虫で嫌な思いをしたこと。古い建物やったし、きっと隙間も多かったから、それこそ夏場なんかは最悪やった。目の前に現れたら叩いて始末できるけど、普通なら見えへんはずのところにおるんやからどうしようもない。
ちょっと大きくなって、おれはその特技って、いわゆる『鷹の目』なんやろうなと思うようになった。自分が何かをしてる時に、それをしてる自分を俯瞰的に見ているだけなんだろうな、って。ただそれって、眠ってる時の自分の様子がわかったり、視覚の外のものが見えているようにわかるのは、あんまり理由がつかへんのやけど、そういうもんなんやろうなって思うことにした。それと同時に、きっとこの特技のことをあんまり人に話さん方がええんちゃうかなって思ったりして。
それで、そういうことを考えてるうちに、自分がどういう特技を持っていてどんなことができたかを少し忘れていた期間がある。
思い出したのはついこないだ。その日のレッスンであんまりにもお師さんになってないと怒られたから、なんとかおれひとりで練習できひんかなと考えていた時に、それをふと思い出したんよ。
ステップを踏むおれを、天井からぼんやり見つめる。コンマ二秒早いと言われたターンは、これではたしかに美しくない。客観的に見ることができれば、直すのは難しくなかった。次のレッスンでは及第点だね、とお師さんに褒められて嬉しかった。だからおれはそうやって一人でレッスンすることが多くなって。
今日だってそう。お師さんと合わせをやる前に振り付けを確認したくて、そしたら夢中になって、お師さんが入ってきたにも気づかんくて。
「影片……?」
お師さんがおれの目を見て、逆、とつぶやく。顔色がどんどん悪くなっていくのを見て、しまったと思った。やけど天井のおれはなかなかおれに戻れへん。目を閉じて、『お師さんに見られているおれ』を懸命にイメージする。あの菫色には、おれはどんな風に映ってる?
ゆっくり三秒数えて目を開けたら、おれはちゃんとおれの中に戻ってきていた。
「お師さん、どしたん?」
できるだけ柔らかい笑顔で、できたらさっき見たことを忘れて欲しい。なのにお師さんの顔色は良くなるどころかさらに悪くなって、くちびるもわなわな震え出して。
「かげひら、きみ、目の色がおんなじ……?」
言われてみてみれば、鏡の中のおれは両方青い目をしていて、ああ、あかん。おれってこういうとこほんまだめやね。
「ごめん、お師さん。おれ、呼び出すやつ間違えてもうたかも」
視界がぐんにゃり歪んで、元通りになった時には。