友達募集中「交番ってどっちかしら」
道すがらにそう訊かれる。それ自体はおかしい話ではないのだが、青年は首を傾げた。
青年に問い掛けた女は、住宅街の灼熱コンクリート上に座り込んでいた。加えてこの暑さに汗をかいた様子はなく、今し方ここに現れたかのような態度をしている。年齢は若く、とてもスマートフォンで検索しないという年齢ではない。端末をこの辺りのどこかに落として、届けられていないかを確認したくて交番へ行きたいのかもしれない。しかしそうだとして、この『落ちている』と形容したくなるような様子の説明はつかない。
青年は疑問半分引き半分といった様子で、ただ女に目線を合わせようとも特にせず、また手を貸す様子もない。「そんな所で何してんの?」と聞きながら、ごそごそと自身のスマートフォンを探し始めた。
「わからない、気付いたらこうなっていたの」
「空から女の子がー!でもした?」
「落ちた覚えはないわね」
ほい、と女を見下ろす形のまま、青年がスマートフォンを差し出した。ここから十分くらい歩けば最寄りの交番には着くだろう、ナビゲーションアプリはそう指している。しかし女は土地勘がないのか、立ち上がりながら液晶を見つめ、うんと首を捻っている。
住宅街というのは、一軒家が所狭しと並んでいる為道が細い上に多数ある。青年はこういう時でも『適当に歩けば広い道に出るでしょ』と思考するタイプであったが、女はそうでもないらしく、この炎天下の中沈黙している。恐らく土地勘もないのだろう。
じ、と十数秒経った。スマートフォンは発火しかねないと思うほど暑かった。
「連れてってもらう?ナビに」
「……お願いしてもいいかしら」
多分女が地理を頭に入れ込むより、連れていった方が自分も早く帰れるし、この狂う程の暑さからも逃れられる。青年はそう判断し、言うが早いかナビゲーションアプリの指し示す方向に身を翻す。背後から女の立ち上がる物音がした。
女は切れ長気味のつり目をしていて、挙動不審さが特段なく粛々と着いてくる様子から、迷子と言うには頼り甲斐のありそうな風体をしている。恋人に捨てられたといった悲壮感もない。
青年には詮索する気は毛頭なかったが、沈黙で過ごすには十分という時間は長く、耐えきれなかったか女の方から口を開いた。
「貴方変な人ね、何も聞かないの?」
「何が?」
「そうね……何か覚えてることないのか、とか」
赤錆色の強い眼だった。
青年が振り向くと、窺うような眼と視線が合う。逆光の中で女が謎めいて見えるのは、その口から出る奇怪さ故か。しかしどう返事したら良いのか、彼には分からず怪訝な顔を返すだけで、特に何かを質問することはない。
「うーん……何か聞いて欲しいん?」
「聞かれても困るのよね、これが」
女は肩を竦めて笑ってみせた。不要と答えられた青年は、それ以上を聞くことはなく経路を辿る作業に戻る。日差しは照りつけるばかりで、アスファルトに二人の影を色濃く映していた。
そこからは他愛のない話が少し続く。名前や年齢だとか、どういった用事でここを通りがかっただとか、この近辺の飲食店だとか。青年はあだ名を付ける癖があって、女の名前は『とーちゃん』と父親のような響きに変換され、怪訝さと笑いが混ざった声が上がる。
冒頭の言葉を信じたとしても、やはり女に錯乱した様子はない。それが不自然なような、と過りはしても、どう言い表すか出力できない青年の口から疑問として出ることはない。
そうして進んでいれば、交番が見えた。ちょうど巡回から戻っているのか、横付けのパトカーと内部で書類仕事でもしている警官の姿がある。ぼんやりと陽炎の向こうに電車の駅も見えた。
女は青年の前に出て、「ここまでありがとう」と声をかける。そのまま警官に声をかけに行くのかと思えば、思い出したかのように踵を返して青年に告げる。
「お礼されてくれる気があったら、来月の同じ日にあの駅に来て」
陽炎の向こうの駅を指す。指定日は特に予定は無かった気がするが、暇を潰せるような売店も無かったな、とまず駅構内の様子が青年には浮かんだ。
「その近くのコンビニがいい」
「分かった。来るまで待つから早めに来てよね」
十一時くらいとか?寝坊する時間だと困るものね、と付け加えて女は笑う。起きれるし、と青年が返せば、女はまたおかしそうに笑った。
言うだけ言うと女は暑いのかさっと交番に入り、青年もそれを見送った後、アイスを買いに件のコンビニへと足を向けた。