自分のことをあまり話さなかった祖父の話 私の家はいわゆる成金というもので、お父さんの事業が上手くいってお金持ちになれたのだ。
「どうしてそんなにお仕事たくさんがんばるの?」
小さい頃の私はお父さんといられる時間が少ないことに悲しみ、両親に何度もそう聞いたのを覚えている。
「お金がないよりあったほうがいいだろう?」
お父さんはそう言った。
「家族のためなのよ」
お母さんはそう言った。お父さんと一緒にいる時間が少ないのは悲しいけど、家族のためなら仕方ない。お金があったほうがいいのは当時はよくわからなかったけど、お父さんがそういうならそうなんだろうと納得した。
子供の私から見ても両親は仲が良く、二人が喧嘩したところはあまり見たことがなかった。だから、二人の喧嘩はよく覚えてる。喧嘩の理由はいつも決まって同じこと。おじいちゃんが持ってるらしい何かをどうして売らないのか、という、私にはちんぷんかんぷんなことだ。お父さんはいつも「あれは相当な金になるんだぞ」と言い、お母さんは「あれはお父さんの宝物なのよ」「お父さんがどこに隠してるかなんてしらないわ」と言っていた。
「お母さん、お父さんはどうしておじいちゃんのものを売りたいの?」
何の気なしに聞いた当時の私は相当図太い性格をしていたと思う。だって私の疑問を聞いたお母さんは目をまん丸くして何度もまばたきしてたから。
「ベス……あなた、聞いてたの」
「おっきい声でおしゃべりしてたら聞こえるよ」
「あら……ふふ、そうね。ごめんね」
「ううん」
優しく私の頭を撫でながら、お母さんはぽつぽつと話し出した。
「お父さんは、会社を大きくしたいの。そのためにはたくさんのお金がいるの。だけど今持ってるお金じゃ足りなくて、だからおじいちゃんが持ってるお金になりそうなものを貰って売ってるのよ」
「いいの?」
「うん、おじいちゃんにお話したら良いよって言ってくれたの。でも、それでも足りなくて、おじいちゃんが何かもっとお金になりそうなものを持ってないか、お父さんに聞かれたの」
お母さんはとても悲しそうな顔をしていた。今思えばお父さんに言わなければよかったという後悔だったのかもしれない。
「お母さんが小さい頃、おじいちゃんがとても綺麗な真珠のネックレスを見せてくれたことがあるって、つい言っちゃったのよ」
「どうして? どうしておじいちゃんが真珠のネックレスを持ってるの?」
「宝物なんだって」
お母さんは「また今度おじいちゃんに聞いてごらん」と言いながら私の頭をぐるぐると撫でて、にっこり笑ってはお昼ご飯の準備に行ってしまった。
それから一年くらいして、おじいちゃんに会いに行くことになった。お母さんと私の二人だけで。お父さんも着いてきたそうだったけどどうしても外せない用事ができたと言ってた。
汽車に揺られて着いたのはのどかな田舎町。正直言って都会育ちの私には縁のない景色。最初はなんにもないとわあわああれこれ言っていたが、今ではお気に入りの町だ。だっておじいちゃんが住んでるんだもん。
「おじいちゃん! 久しぶり!」
「ベス、よく来たね」
いつも駅まで迎えに来てくれるおじいちゃんに駆け寄る。足が悪いみたいでいつも杖をついているけど、そんなことお構いなしと言わんばかりにおじいちゃんは元気に歩いてる。そんなおじいちゃんの姿を見て私も元気になる。
「お父さん。迎えに来なくたっていいのに」
「散歩が楽しみなんだ。それくらいいいだろう?」
なあマリー、と優しく微笑むおじいちゃんを見て、お母さんは仕方ないわねと笑った。おじいちゃんとお母さんはとっても仲良しだ。これは内緒だけど、私はお父さんとお母さんが一緒にいるときより、おじいちゃんとお母さんが一緒にいるときのほうが好きだったりする。
おじいちゃんの歩く速度に合わせてゆっくりと歩いておじいちゃんの家まで行く。途中でお買い物をしたり近所の人に挨拶をしたりするのはもう慣れっこだ。
「どうぞ」
「わーい!」
おうちにつくとおじいちゃんはいつも扉を開けてくれる。一番最後に入るのがおじいちゃんだ。そうやっておじいちゃんに扉を開けてもらって、ただいまと言っておうちに入るのが私のお決まり。お母さんには「ただいまじゃないでしょ」といつも言われるけど、おじいちゃんがだめって言わないからいいんだ。
「お父さん、いつもごめんね」
「気にしなくていいよ。いつものことだろう? 彼も飽きないものだね」
おじいちゃんはコーヒーとジュースを用意して、机の上においてくれる。私はお礼を言ってジュースを貰う。これもお決まり。おじいちゃんとお母さんはコーヒーだ。二人がなんの話をしているのかはよくわかってない。わからなくてもいいと思ってる。私が聞かないといけないなら、二人はちゃんと説明してくれるから。
「……そういえば、マリーにも詳しく話をしたことがなかったかな」
「そうなの? 私は大事な人から貰ったとしか聞いてないわ」
「うん、そう言ったね。ベスもいることだし、二人にはちゃんと話をしようか」
話せることだけね、と付け足すように言うと、おじいちゃんは立ち上がって日当たりのいい窓辺においてある小さな小箱を持ってきた。
「ベス」
「なぁに、おじいちゃん」
「この箱を開けてごらん。でも中のものは触っちゃいけないよ」
「うん」
うなずいて、言われたとおりに箱を開けてみる。そこに入っていたのは、綺麗な真珠が通されたネックレスだった。
「ネックレスだ!」
だけど随分不格好に見えた。なんだかとても、物足りない感じがする。
「それはね、おじいちゃんの大切な人のものなんだ」
「大切な人? おばあちゃん?」
「はは……そうだね。おばあちゃんも大切な人だよ。でも、おばあちゃんよりももっと大切な人だ」
私から箱を受け取って、おじいちゃんは大事そうにネックレスを見つめる。
「おじいちゃんはね、昔、イギリスにいたんだよ」
「お父さんが?」
「そうだよ。……マリーにも言っていなかったかな」
「聞いたことないわよ。ずっとアメリカにいるものだとばかり……」
驚くお母さんを見て、おじいちゃんははははと笑った。
「生まれはイギリスなんだ。だけど父はフランス人なんだよ」
「? イギリスなのにフランスなの?」
「おじいちゃんのお父さん、つまりひいおじいちゃんがね、フランスの人だったんだ。お仕事でイギリスに渡って、それからはずっとイギリスにいたんだ」
思ってもみなかった話に、私もお母さんも目をまんまるくして驚く。フランス人の血を引いてるだなんて知らなかった。そういえばおじいちゃんの使う言葉、時々おかしいなって思ったことがある。お水とか、秋とか。お母さんに言われて言い直すおじいちゃんがちょっと面白かったから、あんまり深く考えなかったけど、そうだ。イギリスの人って同じ英語なのに発音とか綴りが違うことがあるんだった。学校の先生が言ってたのを今更思い出した。
「イギリスにいるとき、おじいちゃんは運転手をしていたんだ」
「そういえば昔はよくお父さんの運転でいろんなとこ行ったわね」
「運転手さんって、バスとか?」
懐かしそうなお母さんを見ながら、おじいちゃんに聞いてみる。
「違うよ。ベスに説明するのはちょっと難しいな……。おじいちゃんはね、お金持ちの人のおうちで運転手をしていたんだ。貴族って言ってわかるかな」
「貴族! 本で出てくるよ!」
「ベスは最近いろんな偉人の本を読むのが好きなのよね」
「そうかい。それはいいね。じゃあ、貴族に順番があるのは知ってる?」
「伯爵しかわかんない」
正直な答えだった。興味がないわけじゃなかったけど、本の中には爵位というものがあるとは書いてあったけど、あんまり詳しくは書いてなかった……気がする。私がちゃんと読めていないだけかもしれないけど。
だけどおじいちゃんはうんうんとうなずきながら「偉いね」って言ってくれた。伯爵がわかるだけでもいいんだって。
「上から順番に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だね」
「いっぱいだ!」
「うん、いっぱいだね。おじいちゃんはその中の公爵様のおうちに仕えていたんだ」
隣を見ると、またお母さんが目をまんまるにしてた。そんなにびっくりすることなんだ。
「このネックレスは、その公爵家のお嬢様のものなんだよ」
「どうしておじいちゃんが持ってるの?」
「……お嬢様は、今のベスと同じくらいの年で死んでしまったんだ。そのあといろいろあっておじいちゃんは別のおうちで仕事をすることになってね。家にあったネックレスを見つけて持ち出したんだ」
「なんだかドロボウさんみたい」
素直な感想を言うと、おじいちゃんは「ふは、」を笑った。なんだか不思議な笑い方だったけど、口に手を当てたから笑うのを途中でやめたみたいだった。
「大丈夫。お嬢様のお兄さんに、ちゃんと私が持っていっていいと許しをもらえたから。だから私が持っているんだ」
おじいちゃんはとっても優しく笑って、優しく箱を撫でてから蓋を閉じた。最後に内緒話をするみたいに口の前に人差し指を立てて、小さな声で私とお母さんに話をしてくれた。
「それで、あったのか」
「なかったわ。お父さんももう随分前に仕舞ったものだからどこにやったのか忘れてしまったって」
自分の部屋に戻ろうとして、舌打ちが聞こえた。でも喧嘩はしないでそのままいつもみたいにおしゃべりしてた。帰りが遅くなったけど、お父さんは怒らないでいてくれた。ごきげんだねって言うと、わしゃわしゃって頭を撫でてくれた。そのときのお父さんの顔を私はきっと忘れない。なんだかいやなことがあったときみたいな笑い方をしてたから。
部屋に戻って、帰りにお母さんが買ってくれた本を開く。本当は図書館に行ったほうが読みたい本は見つかるかもしれないけど、もう開いてる時間じゃなかったからまた今度行くことにする。
お母さんは、きっともう絶対あのネックレスのことは言わないと思う。言うのはおじいちゃんの前でだけ。約束したわけじゃないしお母さんからそう聞いたわけじゃないけど、でも、そうなんだろうなって思う。
立ち寄った本屋さんで本を買う前に少しだけ二人で読んで、とってもびっくりしたんだ。おじいちゃんの言ってたことが本当なら、おじいちゃんはどんな気持ちであのネックレスを大事にしてるのか、どうしてあれはだめっていうのか、すっごくよくわかるから。
「二人にだけ、特別だよ。誰にも言っちゃいけないよ。……おじいちゃんはね、ウィリアムズ公爵家に仕えていたんだ。旦那様も奥様も、本当に良い方だった。あのお屋敷で過ごした時間は、私にとって宝物なんだよ。全部が、全部。……だからね、お嬢様がいなくなってしまったことが耐えられないほどつらく苦しかった。それで、……それで、そうだね。私はイギリスから離れることにしたんだ。そうしてプエラ・アメリア号という船に乗った。あとは自分たちで調べてごらん。私は、お嬢様のネックレスが誰の手にも渡らないことだけを願うことしか、もうできないからね」
「じゃあ、おじいちゃんが死んだらそのネックレスはどうするの?」
「できることなら一緒に埋めてくれ」
「……難しいかもしれないけれど、やってみるわ。あの人に見つからないようにする」
「ありがとうマリー」
「ねえおじいちゃん。そのお嬢様ってなんてお名前なの?」
「…………お前と同じだよ、ベス。だから私はベスのことは、生まれた時からずっと名前を呼ばなかった……いいや、呼べなかったんだ」