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    ym‧̫

    負けても大事

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    小説?

    アゲルとの日々名前を思い出せない。


    思い出せないならば、いっそ名前をつければいいのではないか。彼女にアゲルという名前をつけることにする。

    アゲルは、2年だったか、4年だったか、ある期間を同じアパートで過ごした動物だ。彼女は私の部屋の真上に住んでいた。

    下の階に住んでいた私もまた動物であったが自覚は無かった。私があの部屋に住み始めて一ヶ月後にやって来たのがアゲルだった。



    アゲルは上の階から時折ティッシュを落とした。くしゃりと縮んだティッシュ、たばこの吸い殻、ビールの空き缶。
    ゴロゴロとした灰色の砂利の上に、柔らかいティッシュが白くこびりついているのが私は何ともいやだった。ふわりと乗っているのもいやだった。雨が降るとしっとりと砂利に貼りつき、そのくせ流れない。
    私は時々空想した。これが芝生の生えた焦げ茶色の地面の上であったら、どうだったろう。あるいは整然と敷き詰められたアスファルトの上だったら……。



    アゲルは夜ごとに吠えた。



    彼女はとても自制的に見えた。時間や常識にとらわれない彼女の行動は私を驚かせ、戸惑わせたが、その一つ一つを行う彼女自身は必死に何かになろうとし、必死に何かを取り繕おうとしているようだった。少なくとも私にはそう映った。世話しなく角度を変えぎょろぎょろと周囲を見渡す首や眼のうごき、常にもたれる場所を探すものの見つからず心許なさげに地面の上にたれる腕と脚、一つところに安定しない身体の重心、習ったばかりのラッパを一生懸命吹くように発せられる彼女の声、彼女の背中の後ろに見える彼女の緊張、焦り、切実さ。彼女は必死に演じている。誰にも本心を悟られないように。


    彼女は私にシンパシーを感じているようだった。彼女は私を仲間だと認識している。当時の私はそう思っていた。
    実のところ、それは私の方だった。彼女の方は誰でもよかっただろう。




    白状しよう。
    私は彼女と一緒に暮らしたかったのだ。




    私が吠えられない声を彼女が発する。

    私が踏めない地団駄を彼女が轟かす。


    彼女の夢で私の中の魔物が吠える。





    私が彼女から離れることを決意出来たのは単純に疲れ果てたからだった。



    私はアパートを離れ、彼女の名前を忘れてしまった。そして彼女との日々を覚えている。


    彼女は私をちょうどそこにあっただけの壁や窓の様に叩いて遊び、私は彼女を魔物化し自分の陰影をそこに重ねて慰めた。私たちは全くお互いの姿を見ることなく共に過ごした。全く無為に過ごした。



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    2020年11月2日
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