結婚してからもいつも早起きで、何事にも一生懸命で、ちょっと泣き虫な、そんな彼が大好きだ。
「お執事のお仕事なんて、お適当でいいですよね〜〜」
そんなビシュナルが、決して言うはずのない言葉が本人の口から出てくる。ふにゃふにゃと呂律の回らない様子で、蕩けた声と表情でじゃれついてくる。
性格反転クスリ。
ジョーンズ曰く『性格を90度~270度変える薬』らしい。「危険だからアーサーに渡して処分してほしい」とフレイに預けられたものだ。フレイはそれを、城前で掃除をしていたビシュナルにうっかり近づけてしまった。
「姫のお膝で寝ますう〜」
「ちょ、ちょっとこんなところで……」
真面目で人当たりの良い彼は、クスリによって不真面目でわがままな性格に変わってしまったようだ。フレイは大きな身体で寄りかかってくるビシュナルの肩を押してぐいと引き離す。ほんの少し匂いを嗅いだだけ、なのにここまで効果があるとは……。普段とは違った彼に緊張して、どくどくと鼓動が早くなった。
「……? あれ、僕……」
クスリの効果が切れたのか、ビシュナルは目をぱちくりさせている。性格が反転していた間の記憶はないみたいだ。
「大丈夫? なんともない?」
「なんだかぼーっとしていたみたいです……。いけませんね。さあ!頑張らないと!!」
効果が切れた後は、とくに支障がないようだった。普段の様子に戻ったビシュナルは、目に炎を燃やして張り切っている。
「そうだ姫、僕にご用でしたか?」
「な、なんでもないよ!」
「では……」
「あ!そうだ! ねえ、ちょっと手伝ってくれない?」
仕事に戻ろうとする彼を咄嗟に呼び止めてしまった。
"さっきのビシュナルくんをもっと見てみたい。"
気になったことは試さないと済まない性分のフレイは、湧き上がるその気持ちに抗えなかった。
依頼に必要だから少し荷物を運んでほしい、なんて適当な理由をつけて、人目につかないように自分たちの家に入る。
「どれですか?」
「ビシュナルくん、こっち」
「!? 何……」
どうせ処分されるんだから、ちょっとだけ……。
クスリのほんの一滴を自分の指に乗せて、振り返ったビシュナルくんの口へ運んだ。突然口に指を突っ込まれ目を見開いたビシュナルだったが、すぐに蕩けた表情に変わっていった。
「……ふにゃ」
こんなにもうまくいくとは。フレイは思わずおお、と感動の声を上げてしまう。
「おうちって落ち着きますねぇ〜。もう今日はお仕事なんてやめて、いっしょにお布団で寝ちゃいましょうよぉ」
「そうだね。寝ちゃおっか」
とろんとした目でフレイを見ながらビシュナルは、ベッドにごろりと寝転んだ。続いてフレイもベッドに身を沈めれば、ビシュナルはその脇にぴったりと寄り添った。柔らかい髪を撫でると、ふにゃふにゃと気持ちよさそうな声をあげる。
「姫あったかいですねぇ」
夫婦なのだから寄り添って寝るのも、撫でるのも日常だ。しかし今はそこはかとない背徳感がある。
ビシュナルくんなのに、ビシュナルくんじゃないみたい。本当にこのまま寝てしまおうかな……。そう微睡んでいたら、ビシュナルが突然がばりと身体を起こした。
「あれ、僕、仕事中……? 姫に呼ばれて……」
慌てるビシュナルを見ながら、フレイは1滴で5分くらいか……と冷静に効果時間を考えていた。
「どうして寝てるんですか!? しんどいですか!?」
「いや、元気……」
気がついたビシュナルにすぐさま気遣われて、フレイは嬉しいながらもばつが悪い。撫でる対象を失って宙を彷徨う手と共に、視線が彷徨う。ビシュナルは元気と聞いてホッとした様子だが、一応フレイの額に手を当てたりしている。
「ほんとに、ただの昼寝だから」
「…………姫、僕になにか舐めさせましたよね? それから覚えてなくて」
そうこうしているうちに意識がはっきりしてきたのか、ビシュナルはこうなる前の記憶をたどりはじめる。
「えっ!? えーとぉ」
フレイは正直、彼がそこまで覚えてるなんて思っていなかった。なんとなく、うやむやになる気がしてたけど、クスリの効果が出る前の記憶があるのは少し考えればわかることだった。
「あれ何だったんですか?」
フレイは過去にも何度か似たようなことをしている。
ラブ飲みドリンクや恋の予感他、得体の知れないものを人に飲ませることがあるのだ。何か隠していそうなフレイの様子に、ビシュナルは今回もその類だろうかという疑問を投げかける。
「実は……」
ごまかせば素直なビシュナルくんはきっと、信じてしまうだろう。でもさすがに心苦しくなってきたフレイは正座して、クスリのこと、最初はうっかりだったこと、魔がさしたことを洗いざらい話した。
「……ごめんなさい」
「それって……浮気ですよ!!」
「どうしてそうなるの!?」
フレイはビシュナルからでた予想外の言葉に目を丸くした。
「僕の意識がなくて、僕の性格でもないんですよね? それって僕じゃなくないですか?」
「違うよ! 私はビシュナルくんだからドキドキしたんだよ」
「うーん……。姫は、意識がない姫に僕が何かしてもいいんですか?」
「そんなの……! ビシュナルくんのえっち!!」
「えっ……って姫が!今! そういうことをしたんですよ!」
「…………………確かに……」
浮気かどうか、はもはや置いておくにしても、確かに同意なく意識のない人になにかするのは、よくないことだった。たとえ夫婦でも守らなければいけない一線を、好奇心に駆られて超えてしまっていた。
「ビシュナルくん、ごめんなさい」
「本当に頼みますよ……」
理解した上で改めて謝る。フレイの突飛な行動に幾度となく振り回されているビシュナルでも、今回はさすがに笑って許せるものではなかったようだ。
「その……姫はふにゃふにゃした僕がいいんですか?」
「そういうわけじゃなくて、いつものビシュナルくんが大好きだよ。でも、ああいうふうに甘えてくるのが新鮮で、嬉しくなっちゃって、つい……」
「甘えるなら僕だってできますから!!!」
「そ、そう?」
「僕だって姫にもっと甘えたいのに、そんな、知らないうちに先を越されるなんて……!!」
ビシュナルは性格反転した自分自身に対抗心を燃やしているようで、心底悔しそうにしている。
「だから黙って変なことしないでください……」
「わかった、ごめんね」
悔しそうにしていたかと思えば、涙目でフレイの手をとって懇願する。
「僕は仕事に戻りますから、これ、ちゃんと届けるんですよ」
フレイの頭をぽんぽんと撫でながら、子供に言い聞かせるようにして、厳重に包み直された性格反転クスリを手渡す。
「うん……」
フレイは反省はしているものの、彼がもっと甘えてくれるというのが楽しみで仕方なかった。