(仮)お江戸でパラディその8〈寛永寺について〉
現在の上野公園は江戸時代は寛永寺の境内で、京都近辺の寺社仏閣に倣ってあちこち作られており、庶民が旅の擬似体験を出来る様になっていました。門の前は、火事が起きた時に延焼を防ぐために広小路と言う幅の広い道になっており、すぐ撤去出来る簡易な店や移動式の店が立ち並んで賑わっていました。上野の下谷(したや)広小路は両国、浅草と並んで江戸三大広小路とされています。
別にそのあたり求められちゃいないのはわかっているのですが、この間ちょうど上野公園行ってきて写真撮ったりもしたので……。
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仁王門の前は出店をひやかす客で賑わっていた。判治は三橋を渡ると、さてどこで待とうかと思案する。どうも先程から周囲の視線を感じて居心地が悪い。武家の箱入り娘といった出立ちなものだから、供の者がおらず一人なのは目を引いてしまうのだろう。判治は出店を横目で見つつ、なんとなく仁王門ではなく小さな黒門の方に寄って行き、今来た広小路を見返した。たいていが連れ立って楽しそうに歩いている。ぽつんと待つのはなかなかに寂しかった。
「逃げずに来たな」
突然後ろから声がして判治は飛び上がるほど驚いた。いつのまにか利葉偉が側に寄ってきていた。実は利葉偉は早くから来て広小路の茶屋で茶を啜っていた。そうしてやって来た判治が所在なげに佇むのをしばらく眺めていたのだった。さすが七葉だ。小物は気が利いてるし、帯の長さや襟の塩梅もいい。……襦袢が俺の言ったのと違うようだが。
「に、逃げるってそんな別に……」
「逃げたいと思ってただろ」利葉偉は鼻で笑うともごもごとしている判治を促して歩き出した。
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「下谷広小路もすごい賑わいなんだね」
判治が先程の光景を思い出しながら言った。てっきりその広小路をぶらぶらするのかと思いきや、判治は逆方向の寛永寺に行きたいと言い出した。
「芝居小屋とか、見せ物小屋じゃねえのか」
「演目はほとんど両国や浅草と変わんないよ。それより中には大仏とか、清水のお寺とかあるんだろ?入った事ないんだ」
寛永寺の境内に作られた、上方の寺社仏閣に見立てられたところを見てみたいと判治は思っていた。それで二人して黒門をくぐって小山に築かれた石段を登った。
「へーこれが月の松か〜」
京都の清水寺に倣って建てられた観音堂で判治は声を上げた。こちらにもやはり舞台がある。
「わーほんとに不忍のお池が見えるよ!」
「浮世絵で見たのか」
「うん!」
江戸名所図に描かれたそれは松の幹がぐるりと輪を描き、舞台から不忍池を望むと、ちょうどその輪の中に島のお堂が収まる仕掛けだ。
「弁天様だ!」判治が嬉しそうに叫んで利葉偉を振り返る。
「後であっちにも行くか」言うと判治はまた喜んで、いしし、と笑う。
境内をぶらぶら進む間も判治はしゃべり続けた。あらゆることに興味があるらしい。目に入るものにすぐ気を取られ、いちいち感想を述べたり、蘊蓄を言ったりする。喜んだり驚いたり、表情がくるくる変わるのを利葉偉は見ていて飽きねぇな、と思っていた。しかも今日は着飾っていて年相応の娘にしか見えない。判治が自分より背が高いのも忘れてひたすら可愛く思っていた。
「お稲荷様もあるんだね!」判治はほとんど小走りで立ち並ぶ赤い鳥居をくぐっていく。後からのんびりついて行くと、判治が社殿の前で立ち止まっていた。近づくと振り返って判治が言った。
「見てよこれ、かわいいよね」
判治が指差したのは狛狐だった。狐の足元には小狐が丸くなっている。
「お母さん狐なのかな?微笑ましいね」にこにこ言う判治に利葉偉は「そうだな」と答えたが、その後熱心に祈る判治の姿に、微笑ましいと言うよりは羨ましいのではないかと思った。拐われ子で、親を探してる判治。そう思ってしまうといじらしく痛ましく、信心など持ち合わせていない利葉偉も思わず並んで手を合わせた。
不忍池に浮かぶ弁天堂に戻る道すがらは、桜の並木となっていた。
「花の頃はすごい人なんだろ?」すっかり新しい葉が眩しい木々を見ながら判治が言った。
「ああそうだな、酔っ払いばかりで誰も花なんぞ見ちゃいねぇが」
「……詳しいんだね」
吉原からは遠いのに、上野をよく知る利葉偉に判治の胸がチクリと痛む。そんな判治を知ってか知らずか、利葉偉はずばり言い切った。
「この辺りは陰間茶屋も多いからな」
想像した通りの事を言われて今度はチクリどころではなかった。下がり眉になる判治に向き直り、しっかり目を見て利葉偉は言う。
「言っただろ、全員切った」そして判治の耳に口を寄せ、「お前だけだ」と囁く。そのまま唇を寄せようとするので判治は必死で抵抗した。
「な、何するんだよ、だめだよこんな往来で!」
茹で蛸のような顔の判治を見て利葉偉は愉快そうに笑った。
不忍池のほとりに着き、二人は橋を渡って辯天堂に向かった。また長々と拝む判治を見て利葉偉は先程と同じ思いにとらわれていたが、判治が心で思っていた事はそれとは違っていた。
(弁天様、利葉偉は優しいんだ。いいよね?)
ただ境内を散歩しただけだけど、楽しい。すごく優しい目で見てくれてる。私が不安にならないようにしてくれてる。さっきだって、とても信心深いようには見えないのに、隣で一緒に拝んでくれた。
日の長い時期とは言え、既に太陽はその姿が消え、ほの明るい空も夕闇になろうとしている。不忍池は伸びてきた蓮の巻き葉や開いた葉で埋まっていた。
「蓮の咲いたのを見たことは無いんだよね、朝は寝ちまう家業だからさ」蕾さえまだない池を眺めながら判治が言う。
「夏になったらもう一度来ればいい。そのまま起きてりゃ、部屋からでも蓮見が出来る」利葉偉は言葉以上の意味を含ませて言った。判治は頬を染めながらも黙ったままでいた。
「行くぞ」利葉偉はそんな判治の手を引くと池之端の小料理屋へと向かった。
(続く)
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浮世絵を庶民が楽しむようになったのは17世紀後半つまり元禄五代綱吉の頃。歌舞伎もこの頃発展を遂げ、團十郎や藤十郎の初代はこの時代。しかし京や大坂が中心地で江戸歌舞伎の全盛は文化文政、つまり十一代家斉の頃。黄表紙、洒落本、人情本なども同じく(化政文化ですね)。青砥稿花紅彩画の成立は八代吉宗の頃。広重の江戸名所百景は十三代家定の頃。有名な歌川芳春と三代豊国の白浪五人男は十四代家茂の頃。
と、言うわけでこのお話は時代不明となっております。いろいろ調べたネタをかき集めているので年代がチャンポンになっちまいました。髪型や着物にも流行があるのですよね。徳川400年の御世は長い……しかしまあ元禄以後がこのお話の舞台なのは間違いないですね。化成文化の時代がいいかなぁ。ああ大奥読み直したい。