仮)お江戸でパラディ その00.甍の波に赤い着物の翻る
時代は江戸、時は町人文化華やかなりし頃。戦のない平和な世だというのに、ある盗賊の一味が巷を騒がせていた。
「なんでも最初は女装して来るらしい。男とはとても思えないほど可愛いらしい顔してるらしいぜ」
「逃げ足が速いらしいな、同心どもはいつも振り回されてるらしいじゃねえか」
「知ってるか、越後屋がやられたらしい」
「ああ、頭の弱いじいさんから巻き上げたお金を取り返したってやつだろ、盗賊にしては気持ちがいい奴だ」
江戸っ子は気風がよいこと、粋な事が三度の飯より好き。押入られる心配のない町人たちはあちらからこちら、こちらからあちらへと噂話に尾鰭を付けて、弁天小僧という異名を持った盗賊とその一味の話を江戸中で楽しんでいた。
その日、その男がそこにいたのは偶然だった。ある商家の天井裏に潜んでいた男はちょうどその店に誰かが押し入ったのを見て自分はどうするか考えていた。闖入者に、店のものが慌ただしく人を集めたり同心を呼びに行かせたりしている。自分もやっている事は褒められたものではないが、話を盗み聞いたりちょっと帳簿を拝借しようとしていたくらいで盗賊では断じてない。
(チッ、弁天小僧め、余計な事をしてくれたぜ)
下を覗いて見えたのは女の形で訪れておいて、怪しまれるや否や袖を捲り上げ刺青を見せつけタンカを切る細身で長身の若者だった。巷で噂の弁天小僧に違いない。
同心や与力が出張ってくる前に退散した方が良さそうだ。天井裏に潜んでいた男────利葉偉はそう判断して静かに動いた。そして人の居ない中庭に出て後ろずさりでくぐり戸から出ようとした。と、その時尻が何かにあたり利葉偉はつんのめった。
「うわっ」
同時に自分ではない驚いた声がして見れば先程天井裏から見た、赤い着物を背中にからげた小僧がいた。こちらもつんのめったようで両手を前につき、面食らった顔で利葉偉を見ている。
「いたぞ、あそこだ!」
声に反応してたちどころに弁天小僧は潜り戸を潜って消えた。我に返った利葉偉も慌てて後を追う。
(くそ、人に見つかって追いかけられるたぁ大失態だ)
どうやら事前に見当を付けておいた逃げ道が同じだったらしい。
「てめぇ、おい待て!」
仕事の邪魔をされ、追われる羽目になって利葉偉はムカっ腹を立てていた。迷惑料に、あの悪くない細腰を思うままにさせてもらうでもしないとおさまらねぇ。勝手な了見の利葉偉の眼前の小僧は身のこなしも鮮やかに路地から塀、屋根の上へと身を翻す。
(建っ端があるわりにやるじゃねえか)
利葉偉もなんなく屋根に上がり、甍の上をひらひらと翻る着物を追った。もう他に誰もついて来るものはいない。利葉偉は勘を働かせて一度進む向きを変えた。越屋根に身を隠しつつ、小僧が降りるであろう道を見越して先回りする。
果たして、利葉偉が身を潜めた路地に弁天小僧も降りてきた。すかさず行手を塞ぎ、今度は声も上げず身を翻した小僧の足を払い片手を持って引き倒す。逃げ道になっただけに、そこは人通りもなく入り口と出口に藪の茂った、誰の目も届かない場所だった。
(その1に続く)