【五夏】転生して再会した五夏が永久指名に至る話【小説】 安いプランでも一泊20万はするらしいラグジュアリーホテルのラウンジは、ただのコーラすらやけに美味しく感じる。ソファー席で背もたれに思い切り体を預けて、五条は持ち上げたグラスを見つめた。ラウンジの雰囲気に乗せられたが故の錯覚だとは思うが、何度連れてこられても美味いのには変わりがなかった。ところが今日は、いくら飲んでも味がしない。どんなにしげしげと眺めてみても、コーラといえばこれだと言わんばかりに、記憶通りの泡の弾ける茶色の液体がグラスの中で揺れるだけ。似ているだけの別の何かが入っているのかもしれない。夜のラウンジの気取った薄暗さの中では、本当のところはよくわからない。
「コーラ好きねえ。美味しい?」
隣に座る女に尋ねられ、五条は肯定の意味で彼女に向って微笑んだ。そうすると、五条の笑みに満足した彼女の向こう側にいる男が、嫌でも目に入る。L字型に並んだソファーの、Lの短い横棒部分にあたる場所に座る男は、一房垂らした前髪を揺らしながら、とろりとした琥珀色の液体が入ったグラスをあおっている。
きっとこいつのせいだよなと五条は思った。この美味しいコーラの味を感じられなにのは、きっといつになく動揺しているせいだ。
夏油傑と、まさかこんなタイミングで、現世での再会を果たすとは思ってもみなかった。
§
生まれ変わっても異常に過干渉な実家に、五条は心底うんざりしながら育った。ホストという職業を選んだのは、ひとえに実家から逃れるためだ。
古くからの名家で世間体を気にする実家では、ホストなんて人間のゴミ。そう認識されている。当然、勘当された。しかしそれが狙いだったので、五条としては大成功だった。
晴れて実家と縁を切ると同時に、生活費も稼げるし、住まいも店が手配してくれる。五条にとっては都合のよい仕事ではあった。しかし五条は酒が一滴も飲めず、そもそも成りたくてなったわけでもないホストの仕事にやる気が無く、加えて性格の悪さも相まって、店では決して人気のキャストというわけでは無い。それでもそこそこの売り上げがあるのは、並ぶ者の無い顔の良さのお陰である。
五条の顏だけを気に入って「いるだけでいい(しゃべるな)」と単なる観賞用にしている太客が複数存在する。ホストとしての五条は、名実ともに置物(顔のいいホストの中でも、そこにいるだけで価値があるとされるレベルの容姿端麗のホスト)だった。
五条の在籍する店は、ホストクラブの中でもどちらかといえば富裕層をターゲットとするような高級店だ。五条を指名する姫たちとって、五条は完全にアクセサリーだ。彼女たちの中では、若く美しい男を連れ歩くのがステイタスだからだ。ハイブランド店での買い物や高級ホテルでの食事につき合わせ、優越感を満たすための道具でしかない。客側から同伴したいと要求があるばかりで、五条から同伴に誘ったことはない。それでも出勤する日はほとんどと言っていいほど同伴出勤だった。
今日同伴している姫は、複数の会社を経営している上に、東京都内にいくつも不動産を持っていて、富裕層の中でも間違いなく上澄みだ。五条の容姿をことさら気に入っており「私の話を黙って聞いて、微笑んで頷く。私が許可するとき以外は喋らない」というのが、毎度のご要望だ。五条を鑑賞することと、五条を連れ歩く自分を世の中に見せつけることが、何よりの楽しみらしい。特に今日訪れているような、彼女の半分も生きていないであろう年齢のパパ活女子がいそうなラウンジに、五条を連れていくのが最近のお気に入りである。
今日もいつも通り、クソつまらない彼女の話を聞いている振りをしている時だった。急に彼女が、ソファーのそばを通った男を呼び止めた。珍しい苗字。まさか。嘘だろ。といくつも言葉が浮かぶのに、声は喉に引っかかってうまく出てこない。それは間違いなく、喋るなと言われているからではなかった。
「夏油君。奇遇ねえ。一人なの? こっちで一緒に飲まない?」
五条の動揺などもちろん知る由のない彼女が、夏油を呼んだ。
「一応一人ですけど……お邪魔じゃないんですか? 見なかったことにした方がいいのなら、忘れますよ」
いかにも夏油が言いそうなセリフだ。特に、女性を気遣うと見せかけて、波風立てずにこの場を去るための最善の台詞を選んでいるところとか。
しかし微笑みの手本の様な柔らかい笑みを向けられて、彼女は余計に夏油を引き止めたくなったようだ。それに気づかないところも含めて、やっぱりこいつは傑だと、五条は確信した。何より自らの魂が、そう言っている。
「いいのいいの。ここでこうして会ったのは運命だと思うの。ねえ今、すごくいいこと思いついたのよ」
彼女の言葉は穏やかだ。だが、絶対にここに座れという圧がやけに強い。夏油は一瞬、ためらったようだった。その理由はおそらく自分だろうと五条は思う。
「ええと、じゃあ少しだけお邪魔させてもらいますね」と言いながらソファーに座った夏油は、ハーフアップにして後ろで結んだ髪を丸くまとめていた。前世の記憶にもある、高専の学生ではなくなった夏油がしていた髪型と同じだ。黒いスーツのインナーは黒のハイネック。ゴールドのチェーンネックレスは細すぎず太過ぎずちょうどいい。女の同伴者である五条に対して会釈はするものの、五条に向けて同席の許可を求めることはなかった。恐らく彼女と自分との関係を、察しているのだろう。同席をためらったのは、同伴中のホストと客に割り込みたくないためか。それとも、違う人生を生きていた頃の、親友兼恋人に再会したからなのか。
「もしかして夏油君、今日はご両親を東京に呼んでおもてなししたのかしら」
「以前話したのを覚えてくださっていたんですね。お陰様で、両親には思い切り贅沢させてあげることができました。すごく楽しんでいたんですが、東京は人が多くて疲れたみたいで。明日も観光するから今日は早く寝たいというので、私は一人寂しくラウンジに来てみたところだったんです。だからご一緒できて寂しくなくなりました。ありがとうございます」
「あらそれは、ゆっくり休んでいただいて正解ね。そのお陰で私は両手に花状態になれたんだし」
「社長の優しさにはいつも助けられるなあ。こんなにお世話になって、本当なら両親にも挨拶させるべきなのに。ご恩を返せるよう今後も精進します……彼ほどは、社長を楽しませられないとは思いますが」
これは十中八九、いや確実に、夏油も同業だ。珍しい苗字だから、あえて本名を源氏名として使っているのだろうか。
夏油は、五条と目が合っても眉一つ動かさない。それを、前世での記憶が無いとみるか、記憶の無いふりをしているとみるか。今のままでは判断できない。もっとフロアが明るければ、表情の細かい部分まで確認できたかもしれないが。
五条は、夏油が自分を覚えているのか、隣の女が訝しまない程度の言葉で確認を試みた。
「なあオマエ、俺のこと覚えてる?」
「ちょっとぉ、オマエじゃなくて夏油君でしょ」
返事をしたのは夏油ではなく客の女だ。五条は舌打ちしそうなのを耐えた。
「もう! 私が許可しないと喋っちゃダメって約束したじゃない」
「いいじゃん。ちょっとくらい」
「ダメ。約束でしょ。そんなナンパみたいな台詞使ってまで夏油君と仲良くなりたいのはわかったから」
「んなこと、言ってねーし」
「はいはい。わかったからもう黙ってて。もうこの子ったら顔はいいんだけど口が悪くて。喋ると本当に残念な感じなのよね。それでね、さっき言った思いついたことっていうのはそれなのよ。夏油君とのおしゃべりはいつもすごく楽しいでしょ。みんなそう言ってるのよ。だからね、この子に楽しくおしゃべりする秘訣を教えてあげて欲しいの」
予想外の提案に、ちょっと待ってと言いかけた五条を、彼女が再び制した。
「あら私、お喋りしていいって言ってないわよ。私の話を黙って聞いて、微笑んで頷く。私が許可するとき以外は喋らない。私の要望って、そんなに難しいかしら」
無意識に、助けを求めるように夏油に視線を送ってしまっていた。夏油が顔の表面だけを使った笑みでそれに答える。いかにも偽物の笑みは、私に助けを求められても困る、と言っているかのようだ。
「夏油君に楽しいおしゃべりの秘訣を教わりなさい。ね」
ご要望通り、五条はそれになんとか微笑みを作って頷き、ほとんど強制的に夏油と連絡先を交換させられたのだった。
§
一週間後、出勤前の自宅で五条はスマホを睨んでいた。画面に表示されているのは、夏油の連絡先だ。この一週間、夏油から連絡はない。
五条は迷っていた。こちらから、連絡してみるべきだろうかと。
もちろん、客との楽しいお喋りの秘訣を教わろうと思っているのではない。あの日は結局、夏油に前世の記憶があるのか確かめることはできないままだった。五条としては、記憶の有無にかかわらず、夏油の方から連絡してきてくれたら嬉しい。夏油からの電話を待っていたい。そう思う反面、今すぐ連絡をしてとにかく最短で会える予定を立てたくもある。しかし、もし前世の記憶があるとして、夏油は自分に連絡したいだろうか。そもそも記憶なんて無くて、楽しいお喋りの秘訣を教える気も無いのかもしれない。連絡が無いのなら、そういうことなのではなかろうか。
なんていう逡巡を、もう一週間繰り返しているのだ。そしてその度、夏油も同じように逡巡しているのかもしれないと祈るように考えていた。それに、確かめるのは怖くもある。夏油に前世の記憶など無いと確定したら、自分だけが全てを覚えているという現実を受け止めきれない気がするからだ。孤独だった頃の記憶は、現世でも五条を孤独で絡めとったままだ。
いっそ夏油の連絡先を削除して、あのラウンジで出会わなかったことにしてしまえれば楽になるのはわかっている。でもそんなことができるほど、夏油への思いは軽くはない。
「……あー、今日の同伴、めんどくせー……」
今日だけではなく、もうホストとしての何もかもが面倒だった。本来ならもうとっくに家を出ている時間だ。すでに待ち合わせの時間まで数分しかない。遅刻は確定だ。
五条は、腰かけていたベッドにスマホを放った。いつも微妙に遅刻しているから大して何も言われないだろうが、立ち上がる気力が湧かない。夏油にも同伴が面倒でたまらない日があったりするのだろうか……なんて考えが過ってやっと、夏油が同業であることが、すとんと自分の中に落ちてきた。前世の記憶の有無に囚われ過ぎて、どうも夏油が同業らしいということが、五条の中で霞んでいた。
なぜホストになったのか、その理由も気になるところではあるが、それより五条は、ちゃんと夏油がホストとしてやっていけているのかが気になる。あの性格なら客に親身になりすぎて、精神をすり減らしかねない。客目線で見れば、あれほど魅力的なホストはいないだろうが。
「おい、待てよ……傑も同業ってことはだ」
五条の脳は、客と楽し気に過ごす夏油の姿を勝手に描き始める。自分以外の誰かが、夏油に愚痴を聞いてもらって慰めてもらったり、優しく髪を撫でられたりしているというわけだ。許しがたい。そう思い至った瞬間、五条は自分の事をとんでもなく高い棚に上げ、夏油にホストを止めさせることを決意した。
こうしてはいられない、と迷いを捨てた五条が体を起こしたまさにその時、スマホが鳴った。
今日の客はそんなにせっかちなタイプではなかったはず。
「ああ、うっざいなあ」と言いながらスマホの画面を見た五条は、思わずスマホを落としそうになった。夏油からの着信だったのだ。
急に心臓が、壊れたかのごとく高速で鳴りだした。もう少し落ち着いて、せめて数回深呼吸してから電話にでたいところだが、切れてしまったら嫌すぎる。
五条は精一杯平静を装い「もしもし」と電話に出た。
『えっと、先日〇〇のラウンジでお会いした夏油と申しますが……私のこと、覚えてますか?』
一週間前の再現みたいな質問は、わざとだろうか。前世のオマエを覚えていると答えたいのをぐっと耐えたからか「あー、まあ」となんとも愛想の無い返事をしてしまった。忘れるわけがない。なんなら前世から覚えている。体温や匂いも、どうやって死んだのかも覚えている。と言えるわけもなく、五条は「覚えてる、けど……」と覇気のない声を出すしかできない。もしかすると、電話越しだから、不機嫌そうに聞こえたのかもしれない。
『お忙しいところすみません。実はお願いしたいことがあってお電話しました』
「お願い、したいこと?」
「はい、その……」
自分から電話してきたくせに、電話の向こうからは何かためらう気配がある。その少しの間のお陰で、五条は少し落ち着きを取り戻せた。
「あのさ、先に言っとくけど、楽しいおしゃべりの秘訣とかいらないから」
『……それは、私も教える気は無いよ。秘訣なんて無いし』
五条が丁寧な口調にする気が無いのが伝わったのか、夏油の口調も砕けたものになる。ああ傑だ、という想いが熱を帯びて体中に広がっていく。気を緩めると目頭まで熱くなりそうで、五条はわざと尖った声を出した。
「じゃあ何。お願いしたいことって」
『えっと、その……源氏名じゃなくて本名教えてくれるかい』
なぜ本名を、という疑問と、本名を知りたいと思ってくれることが嬉しいのと、気恥ずかしそうに尋ねてくるのがかわいいのとで、危うくスマホを落とすところだった。
「五条悟……」
これはやはり、記憶は無しで確定だろうか。それとも、覚えているからこそ確認したいのか。もうどっちでもいいから、会いたい。会いたくてたまらすぎたせいか「あのさ、会って話さねえ?」と反射的に声に出していた。
え、と驚いた声のあと「うん。いいよ」と、確かに聞こえた。嬉しくて、言葉が出ない。
「逆にちょうどよかったかも。それならさ、五条君うちの店に来てもらえるかな?」
「え、オマエの、店?」
『もちろん今すぐ来いってわけじゃなくて……』
「行く。今から。今からすぐ行く」
これは運命だ、と五条は拳を握りしめた。夏油の店に直接乗り込んで、ホストを辞めさせればいいと、運命がそう言っている。
『ええ? それはありがたいんだけど、その、』
「いいの? 駄目なの?」
『ダメではないんだが、つまり、』
「じゃ、今から行く。店の場所送って。俺、ちょっと連絡するとこあるから、それ終わらせたら行く。すぐ行く」
『え、ちょ、ま――』
夏油がまだ何か言おうとしていた気がするが、五条は電話を切った。用事なら会ってから聞けばいい。
本日同伴だったはずの客と店には体調不良で休むと仮病の連絡を済ませ、次いで夏油から送られてきた店の情報を確認する。五条は今度こそ、スマホを落とした。ほっとして、力が抜けたのかもしれない。
夏油の言う「うちの店」とはホストクラブではなく、ヘアサロンだったからだ。
§
「あの人ここの経営者だよ。私はただの雇われ美容師。ちなみに担当美容師は私」
営業の終了したヘアサロンには、五条と夏油の二人だけだった。ハサミの音がやけに響いていたのは、BGMが止まっていたからだろう。
「ああ、なるほどね。俺てっきり夏油君も同業者なのかと思った」
電話で最後まで話を聞かなかったせいで、夏油がお願いしたいことが「カットモデルになって欲しい」だと判明したのは、五条がこの店に到着してからだった。
すっかり同業だと勘違いしていたが、美容師なのなら、諸々のつじつまが合う。
「たまにホストっぽいとは言われるけど、一度も経験ないよ。それにやっぱり本物のホストは洗練されてるというか……かっこいいよね。五条君」
そう言って鏡越しに微笑まれて、営業トークとわかっていても心臓が跳ねた。ホストでなくとも、この調子で客を本気で惚れさせているに違いない。
傑に髪を切ってもらっている間、傑と話すのは楽しくて仕方が無かった。そして楽しいからこそ、寂しさも感じた。これが営業用の客を楽しませるためのトークでなければいいのに、と。
「悟でいいよ。俺も傑って呼ぶし」
「悟かっこい~。さすが私がカットしただけある」
「俺を褒めてるとみせかけての自画自賛じゃん」
なぜかトリートメントまで施され、五条の髪は常にも増して白く輝いている。もう後は帰宅するだけ。でも離れがたい。できれば、もっと一緒にいたい。こんな風に心から笑えたのは、夏油に置いていかれて以来なのだから。
しかし夏油にしてみれば、美容師として仕事をしていただけに過ぎないのだ。おしゃべりが楽しい美容師だと、そう感じている本人から秘訣を教えてもらえと言われたのだから、間違いない。
「悟。本当に今日はありがとう。こんなにきれいな白髪にハサミを入れさせてもらえるなんて、美容師冥利に尽きるよ」
言いながら、夏油は五条が立ち上がりやすいようスタイリングチェアを動かす。しかし五条は立ち上がらなかった。訝し気に「悟?」と呼ばれ、五条は鏡越しに夏油に視線を向ける。
「それってさあ、営業トーク?」
ちょっとだけ、面倒くさい客になってみたくなったのは、どうにかもう少しだけ一緒にいる時間を作りたいがための苦肉の策だ。5分でも、1分でもいいから。
「営業モードじゃない傑はどんな感じ? 教えてよ」
鏡越しに視線を合わせたまま、短い沈黙が流れた。
「……君のその綺麗な髪を、どこの誰とも知れないサr……サロンの美容師が触るなんて許せない」
唐突に、そんな独占欲丸出しな台詞をぶつけられるとは予想しておらず、五条は目を瞬かせる。夏油が、ふっと表情を緩めた。
「って言ったらさすがに引くかい」
悔しいくらいに、冗談とも、本気ともつかない掴みどころのない態度だった。発言の内容は、考えようによっては、仕事に熱い思いを持っているからともとれる。だが今はそんなことより……
「サルって言いかけたよな」
一瞬、返答に詰まった夏油が、鏡越しに合わさったままの視線をそらす。五条がそれを見逃すはずもなかった。
「まーだサルとか言ってんのオマエ」
「なんのことかなぁ」
「すっとぼけんなよ。どうせ客のことも信者とか言ってんだろ」
「いくらなんでもそれはないに決まってるだろ」
「だよね。まあ誰にでもあんな接客なら、信者みたいな客はわんさかいるんだろうけど。さすが元教祖様」
夏油が数秒、片手で顔を押さえて天を仰いだ。しばしの沈黙。
「……はあ……悟ぅ」
眉間に寄った皺を右手の親指の先で伸ばしながら、夏油が沈黙を破った。
「私が誤魔化そうとしたのわかったんだろ。そういうところだよ悟。そういうのをスルーする思いやりがないから、ホストのくせに客に発言禁止を言い渡されるのさ」
「オマエは正論禁止な。人の気も知らないで知らんぷり続けたやつに説教される覚えはねえよ。だいたい覚えてるんだったらさっさとそう言えっつーの」
「いろいろと葛藤があるんだよ。君だってそうなんじゃないのか。一週間、私に連絡するか迷っていた。違うかい」
それは確かに夏油の言う通りだ。「まあ~その~」と適当に誤魔化そうとして誤魔化しきれず、五条は「違わないけどさあ」としぶしぶ同意を示した。
「だろ?」
「何が『だろ?』だよ。勝ち誇った顔しちゃってさあ。そっちが先に連絡してきたんだからな。葛藤があっても我慢できずに……傑ってばそんなに俺に会いたかったのか~」
「自惚れるなよ。今生でも君のその真っ白い髪が天然なのか確かめたかっただけさ。美容師の性だよ」
「なーにが美容師の性だ。かっこつけやがって」
「そりゃあかっこつけるさ。営業トークだからね」
「あっそ。じゃあもっと営業トークってやつの見本お願いしまーす。ほらほら~俺がオマエを指名したくなるような営業トークしてみせてよ~」
「楽しいおしゃべりの秘訣なんていらないって言ってたのはどこの誰かな」
「さあな。んな昔の話覚えてねえよ」
「やれやれ、前世よりは最近の話なんだけどねえ……」
言い合いにはもう疲れたとばかりに、夏油は肩をすくめた。鏡の中の夏油が、五条の髪に手を伸ばす。毛流れを整えるように動かされる指が、少しくすぐったい。この行為は美容師としてなのか、それとも他の意味があるのか。
「悟はさあ、この髪、カラー入れたことある?」
「ない」
「ああ、よかった。カラーするのは勿体ないくらい綺麗な髪だからね。でももし、もしもだよ。何か理由があってカラーを入れたくなったら、私を指名してくれよ。絶対に……後悔させないから」
最後の最後で、急に耳元で囁かれる。思わず肩が跳ねたのは、恐らく気づかれている。
「オマ、オマエさあ、こういうの、他の客にもやってんのかよ」
「ドキっとしたかい? ホストってこんな感じなんだろ」
からかうように笑う夏油が、距離を取るように一歩下がる。反対に、五条は思わず立ち上がった。今度は鏡越しではなく、直接、目を合わせる。
「オマエまじで……俺以外にするなよ」
「君にしかしないよこんなこと」
「じゃあいいけど」
「じゃあいいけど、か」
「なに? なんか文句あんの」
「文句じゃないけど……だって君は、仕事でこういうことやってるんだろ……妬けるねぇ」
「それも、営業トーク?」
「違うよ。本気で嫉妬してる……って言ったら、どうする?」
五条は夏油を抱き寄せた。まるでそうされるのを待っていたとばかりに、夏油の腕が背中に回る。
「オマエを永久指名するに決まってんだろ」
この先何度生まれ変わっても無限に続く、文字通りの永久指名だ。