アマ平が定食屋にいく話***
「オフでもそれとはご苦労なこった」
数時間後、ホテルに迎えにきた平等院に開口一番そう呟かれ、アマデウスは首を傾げた。
じっと見詰めてくる男の視線が己の服に向けられていることに気がついて、着ているものを見返してみる。食事と買い物をするだけだからカジュアルでいいという話を鵜呑みにして、スポンサーであるスポーツ用品メーカーのロゴが入ったウェアをいつも通り着てきてしまったのだが、何か不味かったのだろうか。
そんな言葉を投げかけてきた当人は、シンプルなTシャツとデニムにレザーのジャケットを羽織っていた。スポーツウェアでもスーツでもない男が物珍しくて眺めていると、「飯行くぞ」と踵を返される。
早足で歩を進める男に置いていかれないよう、ペースを合わせて隣に並ぶと振り向きもせぬまま声が飛んできた。
「食いたいもんあるか」
「いや、平等院に任せる」
スピードを落とすことなく足を動かす男は、アマデウスの応えを待つまでもなく目当ての行き先があったのだろう。迷いのないその様子にもしやと思って「朝食は食べたか」と尋ねれば否という答えが返ってきた。
昨日まで西側で用事があった平等院は、その間実家に身を寄せていたようだ。明日以降のスケジュールのためにいずれにしても今日東京に移動するつもりだったらしいが、午前中の便を選んだのは他でもないアマデウスに合わせてのことだろう。
ただでさえ忙しい中朝食を食べる暇もないスケジュールで移動をさせてしまって申し訳ないと感じると同時に、空腹がいま男を足早に歩かせているのかもしれないと思うと興味深かった。
不意に興味が湧いて、半歩先を歩く男に問いかける。
「実家は遠いのか」
「……電車で二、三時間ってとこだ」
それを聞いて、アマデウスはかつて訪れたことのある活気のある街が頭によぎった。確かあの時はアマデウスも東京から新幹線に乗ったような覚えがある。
「オオサカか?」
「違う」
短い返事はぶっきらぼうだが、答えてくれるだけ嫌がられているわけではないらしい。
この男は返事をする気がない時は一切返答をしないが、よほどのことでなければちゃんと反応を寄越す。
それはここのところ一緒に過ごした時間のなかで気付いた男の性質のひとつだった。
あまり人と雑談をするイメージはなかったが、意外と気さくな部分があるものだと正直少し驚いた。
とはいえ、現状のこれもアマデウスが唐突に投げたボールをただそのまま打ち返しているだけであって、雑談ができているかというと微妙ではあることに、おそらくアマデウス当人が気づくことはない。
「次はそちらにも行ってみたい」
「なんでだ」
「お前の故郷なんだろう」
そう口にした後に、随分と距離が近いことを言ってしまったことに気がついた。
よく知る友人や仲間の故郷について知りたいと思うのはアマデウスからすれば普通のことであったが、それが平等院に対しても適用されるというのは我ながら不思議だった。
「……勝手にしろ」
己の心に自然と沸いた気持ちを興味深く思っていると、男はそう言ってため息をついた。
途中信号を待つなどしながら五分ほど歩いたところで、ようやく平等院の足が止まった。
ホテルから数ブロック離れた路地に隠れるようにあった定食屋は年季の入った佇まいだった。周辺がぐるりとオフィスビルに囲まれている中、そこだけ日本風のエクステリアで入口も木の引き戸である。外国人だけで初見で入るには相当ハードルが高そうだと思っていると、平等院が慣れた様子でガラリと戸を開けた。それに応えるように、明るい女性の店員の声が聞こえる。
中は想像以上に狭かった。厨房を合わせてもアマデウスが宿泊しているホテルの部屋の面積よりも小さいかもしれない。人気のなかった店の外の様子に反して、ぎゅうぎゅうに配置された座席は大半埋まっていた。唯一空いていた二人席に通されたが、テーブルとテーブルの間のひどく狭い通路を歩くのは苦労した。この店の規格に合っていないだろう長身の男二人の様子を何人かの客がじろじろ見てきたが、前を行く平等院は気にする素振りもない。
小さな座席に収まったアマデウスを待っていたのは日本語しか書かれていないメニュー表だった。外から見た時点でなんとなく覚悟はしていたが、英語の気配は微塵もない。平等院は手元の紙ではなく壁に書かれた木札の列を一瞥すると、「アントレは魚か豚、後は麺類だ」と言った。既にオーダーを決めたのか、両腕を組みその背を椅子に預けている。
周囲の席に目をやると、ほとんどの人間が主菜と一緒に米と汁物が並んだセットを食べている。なるほどあれが魚か豚か、と思うがイメージしていたよりもどの皿も盛られた量が多いことに驚いた。朝食もしっかり食べているし麺にしようかと思ってそう呟くと、平等院が何かを思い出したように唐突に口を開いた。
「お前アレルギーはあるか」
「基本的にはないはずだ」
アマデウスの返事に、男は腕組みを解くとその指を卓上のメニューに置いて何かを指さした。
「わからねえならこれはやめとけ」
「わかった」
それから二、三質問をした結果ようやく決めたシンプルなうどんは、注文してからものの数分で綺麗な湯気を立てながらアマデウスの前にやってきた。
平等院の前には先ほど隣の席のビジネスマンが食べていた焼き魚のセットが置かれている。やはりボリュームのあるそれに見入っていると、平等院が両手を合わせるなりさっさと食べ始めていた。
骨も丸ごと残したまま切り開かれて焼かれた魚に箸の先が入ると、ざっくり身の一部が解されていく。大きな一口分をテンポよくどんどん放り込んでいく平等院の様子から目が離せない。ペースも量も豪快な食べ方であるはずなのに、その所作が美しいと感じるのが不思議だった。
また一つ男の知らない姿を見た気になっていると、目の前の男が顔を上げ「早く食わねえと伸びるぞ」と眉間に皺を寄せた。
不慣れな箸に若干苦戦しながらアマデウスが一杯のうどんを食べ切った時には、平等院はとうに全てを平らげて、サービスで出された温かい日本茶を啜っていた。骨だけが綺麗に残された魚の皿に静かに感嘆していると、先ほどからオーダーと配膳をしに行き来していた老年の女性店員が声をかけてきた。
「あの……平等院選手ですよね、テニスの」
そこから互いに短い言葉でやりとりを始めた二人が何を言っているのかは分からなかったが、女性の手に握られたサインペンと大きめのボール紙に、サインを頼まれているらしいことを悟る。自分のイメージは良いものではないと先日もこの男は断言していたが、嬉々として彼に話しかけにきた彼女の様子を見るにやはりこの男はスターなのだ。
にこりとも笑わない平等院に、内心どうするのだろうかと気になりながら様子を見ていると、男は何か一言告げてからペンと紙を受け取って徐にサインを書き始めた。キュ、とペン先が立てる音が止まると、平等院がなぜかペンをこちらに手渡してきて目を見開く。
一緒に回された紙を見ると、右下が半分空欄だった。初めから二人で書くつもりでいたことに驚いたが、望まれたとあれば断る理由もない。平等院のものの横に書き慣れたサインを書き切ると、アマデウスは店員にボードを手渡した。こちらのことを知っているのかは分からないが、満面の笑みで何度もお辞儀をしながら礼をしてくる彼女に、自ずとアマデウスの口元は緩んでいた。
「ありがとう、とても良い店だった。平等院は趣味がいい」
会計を終え店を出たところで男にそう声をかけると、なぜか怪訝な顔をされた。
「……」
「どうかしたか」
「……なんでもない、行くぞ」
疑問に応えることなく歩き始めた平等院に、アマデウスは首を傾げながらもついていった。
(後略)