俺こと根布 涼太が、小学校に入る少し前の頃。
『悪の組織』を名乗る謎の集団が、日常を一変させてしまった。
自分たちの活動範囲を広げるために、人々を傷つけたり、街を破壊するなど、好き勝手していた。
ある日。組織の幹部に襲われた幼い俺は、暴れて抵抗したものの全く敵わなかった。
『やめろ! やだ! はなせーー!!』
『ヒャハハ、ガキでも人質としては使えるからな』
どこかへ連れて行かれそうになった瞬間、『待て!!』という声が耳に入った。
声の主は、悪の組織の活動を阻止するために現れた、『正義のヒーロー・レッド』だった。
レッドは隙をついて、俺を助け出してくれた。
がっしりとした太い腕に抱かれた感覚は、今でも忘れられない。
『君は安全なところへ隠れているんだ。俺が来たからには、もう安心だ!』
大きくて逞しい背中は頼もしく、ばさりと白いマントが翻り、鼻から上は赤いマスクで隠れているが、ニッと見えている白く輝く歯が眩しい。
安心させてくれる言葉が耳に残り、見せてくれた笑顔が、目に焼き付いて離れない。
『俺も、あんな風にカッコいい人になりたい……!』
あの日俺は、正義のヒーローに憧れ、恋をした。
◇
「初恋は実らねぇってな。……チッ」
ふと幼い頃のことを思い出して、苦い気持ちになってしまう。
守られるばかりではなく、俺もヒーローを守りたかった。そして抱いた恋心は、実る望みなど全くない。
いつかレッドを守れるような男になれるように、身体を鍛えたりしてみた。しかし高校生になっても、俺の小柄な体格は変わらなかった。
「努力したって、なんも変わんねぇ」
努力だけでは、どうにもならないことがあるという挫折。そして、憧れの存在に近づくことができない絶望感から、俺はグレた。
悪の組織ほど悪事を働くわけでもなく、ちょっとヤンチャをするヤンキーといったところか。今の状態も中途半端だと、自分で自分が嫌になってしまう。
むしゃくしゃして、染めすぎて痛んだ金髪をガシガシと掻き乱す。
「……コンビニでも行くか」
憂さ晴らしに、仲間内の溜まり場にしている近所のコンビニに向かうため、家を出る。
すると、ちょうど隣の家に入ろうとする男に声をかけられた。
「涼太、こんな時間に出かけるのか?」
「俺がどうしようと勝手だろ」
声をかけてきたのは、隣の家に住む上井 雄二だ。どうやら仕事帰りらしい。
短く切り揃えた黒髪に、着ているスーツがはち切れそうな、ガタイが良く筋肉ムキムキの身体がカッコいい。
雄二とは十歳ほど歳の離れた幼なじみで、今は警察官をしている。
兄弟のいない俺は、幼い頃に遊んでもらったりして、家族以外で唯一大好きだと言える人物だ。
雄二は昔から正義感が強い人間だった。小柄なせいで同級生にからかわれやすい俺を、いつも守ってくれていた。
だが、俺が悪の組織に襲われる事件があってから、遊ぶ機会が全くといっていいほど無くなってしまった。
大好きな『雄二兄ちゃん』と過ごせなくなり、嫌われてしまったのかと思って、初めの頃は大泣きしていた。
理由を雄二に聞いてみても、はぐらかされてしまい、それも俺がグレる原因のひとつだったかもしれない。
こうして会話したのも、何ヶ月かぶりだ。
話しかけてもらえて嬉しいはずなのに、こんな自分の状態が情けなくて、どう話していいのかわからない。
「最近また組織のやつが暴れているっていうからな」
「うっせぇ」
忠告されても素直になれず、悪態をついてしまう。
「まあ、気をつけろよ」
雄二はそう言うと、自分の胸ほどの高さにある俺の頭を、ワシワシと撫でてきた。
いつまで経っても、ガキ扱いされているようで恥ずかしい。
「恥ずかしいから、やめろよ……っ!」
「ははは、悪い悪い。じゃあな」
俺がムキになって手を払うと、雄二は眉を下げて笑顔を作り、手を振って家の中へ入っていった。
そんな顔をさせたいんじゃないのに。
「……チッ」
雄二に触れられた頭が熱く感じて、俺は思わず舌打ちをせずにはいられなかった。
◇
コンビニまでの道のりには、そこそこ大きな公園がある。
公園の中は街灯が少なく暗いのだが、ここを抜けると近道だ。
「だりぃから、抜けてくか」
軽い気持ちで公園に入ったまでは良かった。しかしそこに、悪の組織のグループが数人が現れた。
「っ……!」
「あん? なんだよ小僧。俺らのアジトに入ってきた挙句、ガンつけてきやがって」
「んなことしてねぇ!」
「生意気だな。ま、ちょうど労働力が欲しかったし、組織の下っ端にでもして働かせるか」
夜の公園がこいつらのアジトになっているなんて、全く知らない。完全な言いがかりだ。
下っ端は四人いるが、俺一人で相手にできるだろうか。
「ふざけんな! 誰がお前らの下になんてつくか!!」
「ギャーギャーうるせぇヤツだ。やっちまえ」
下っ端のうち二人が、俺に襲いかかろうとした瞬間。
辺りが眩しくなり、思わず腕で目を覆うと、下っ端たちの「ぎゃあぁぁ!」という叫び声が聞こえた。
「……? えっ……!?」
なにかと思って目を開けてみると、襲いかかってきた下っ端たちが地面に倒れていた。
何事かと思って視線を移すと、風に翻るマントと赤いスーツが視界に入る。
忘れるはずがない。正義のヒーロー・レッドだ。
「俺が来たからには、もう安心だ!」
あの時と同じ頼もしい姿と言葉で、俺を守ってくれるレッド。
「ここは危ないぞ。君は下がっていなさい」
「嫌だ! 俺もレッドと戦う!」
「君を危険な目に遭わせたくないんだ。……分かってくれ」
「ん……分かった」
レッドの有無を言わせない眼差しに、俺は首を縦に振るしかなかった。
「足手まといのガキ庇いながら、戦えるんですか〜? ギャハハ」
「やかましい!」
いくらレッドが強くて逞しいとはいっても、四人相手では厳しいのではないか?
「くそ……俺だって……!」
助けてもらってばかりじゃなくて、俺だってレッドを守れるってところを見せたい。
そう思った俺は、下っ端の一人に向かって叫んだ。
「お前の相手は俺だ!」
「うるせぇガキだ。さっさと始末しちまったほうが良さそうだなぁ」
イラついた様子の下っ端は、ナイフのような武器を取り出し、襲いかかってきた。
さすがに丸腰の俺では、どうにもできない。
「危ない!!」
俺を庇おうと、レッドが俺と下っ端の間に割って入る。
振り上げられたナイフに、レッドの左腕は傷をつけられてしまった。
「ぐあ……っ!!」
「レッド! レッド……! ごめんなさい、俺が無茶なことしたから……!」
着ているヒーロースーツが破けて、腕から血を流す姿は痛々しくて、ジワリと目に涙が溢れてしまう。
「ヒャハハ! ヒーロー様もザマァねぇな!」
「この野郎……!!」
レッドのことをバカにするような下っ端の言葉に、怒りを抑えきれない。
その時、レッドと色違いのスーツを着た四人の男女が現れた。
「レッドさん! すぐに駆けつけられなくて、すみません!」
緑色のスーツの男が、レッドの腕に布を巻いて止血している。
レッドとグリーン、俺の三人を背に、ブルーの男、イエロー、ピンクの女が下っ端に向かって攻撃の構えをとっている。
「皆……すまない。一人では対処しきれなかった」
「さっさと終わりするぞ」
「私たちにかかれば、こんな下っ端すぐに始末できるわ」
「そうね。レッドさん、動けますか?」
「ああ。問題ない!」
その後は凄まじかった。
五人が息を合わせると、圧倒的な力を発揮して、あっという間に下っ端たちは全員倒された。
「覚えていやがれー!」などと捨てゼリフを残して逃げていく姿は、とても無様だ。
「すっげー……」
俺はへたり込んだまま、呆然と五人の活躍を見守ることしかできなかった。
そんな俺の前に、レッドは右膝をついてしゃがみ、目線を合わせて安心したように微笑んでくれる。
「ケガがなくて良かった。下っ端たちはいなくなったが、まだ組織の奴らがいないとも限らん。早めに家へ帰ることだ」
「……分かりました」
五人の圧倒的なパワー、自分の無力さ、それを目の前に突きつけられた気がしてしまう。
自分のせいでレッドがケガをしてしまったことも、申し訳なくて居た堪れない。
溜まり場に行く気にもなれず、俺はトボトボと家へと帰るのであった。
◇
翌日。気分が晴れないまま、学校へ向かおうとすると、家の門を出たところで雄二と鉢合わせした。
雄二は休みなのか、スーツ姿ではなく、長袖の白いカットソーにデニムという、カジュアルなファッションだ。
身体のラインが出るような、ピチッとしたサイズの服だから、目のやり場に困る。
「涼太、おはよう」
「……はよ」
相変わらず素直な態度を取れない俺に、雄二はニッと笑顔を見せてくれる。
「これから学校か?」
「まあ、そう……」
「気をつけて行ってこい」
相変わらずガキ扱いするように、頭を撫でてくる雄二の手を振り払おうとした時。カットソーの隙間から包帯が見えた。
俺は思わず雄二の左腕を取り、袖をまくり上げる。
「おわ!? どうした?」
「雄二……このケガ……」
「あ、ああ。ちょっと転んじまってな」
運動神経も抜群な雄二が、転んで腕に包帯を巻くほどのケガをするだろうか?
ふと、昨日『ヒーロー・レッド』のケガをしたところが、頭の中をよぎった。
「もしかして……雄二が、ヒーロー・レッド……?」
「……っ!」
息を呑む雄二に、確信を持つ。
「本当に、そうなんだな」
「はは……バレちまったな」
雄二は気まずそうに首のあたりをさすりながら、そう言った。
「ああ、俺がヒーロー・レッドだ。自分からは正体を言っちゃいけないことになっているから、涼太にも話せなかったんだ」
俺が憧れたヒーローの正体が、雄二だったとは。驚いてはいるが、信じられないとは思わなかった。
初恋の相手である『ヒーロー・レッド』は、大好きな『雄二兄ちゃん』だった。
そうだと分かれば、あの時恋に落ちたのも納得できるし、ますます雄二のことを好きだと思ってしまう。
だが、俺は無茶な行動をしたせいで、雄二にケガをさせてしまった。
大好きな人を傷つけて、いつまで経っても守られてばかりで、自分で自分が嫌になる。
「雄二、ケガさせてごめん……。いつも俺、守られてばっかりじゃねぇか……」
「涼太のせいじゃないだろ」
「あの時、俺が無茶なことしなければ、雄二はケガしなかったかもしれないだろ!?」
ヒーローに……雄二に助けられることを、当たり前だと思いたくなかった。
「これが俺に与えられた使命なんだ。ケガは、しばらくしたら治るさ」
「それじゃあ、あんたを守るヤツがいねぇじゃねぇか!! 俺だって、大好きなあんたのこと守りたいんだよ!!」
「大好き……?」
雄二がポカンと呆けているのを見て、俺は自分がとんでもないことを言ってしまったことに気づく。
雄二に対して、良くない態度をとっていた自覚がある。嫌われてはいないにしても、恋愛感情的な意味で好かれていないだろう。
だから、好きだと言う気持ちを伝えるつもりなど、全く無かった。
「っ……! あ……」
なんとか誤魔化そうとした瞬間、雄二が静かに口を開いた。
「涼太。俺がヒーローになろうと思ったきっかけ、教えてやろうか」
「え……?」
「涼太が小さい頃、組織の幹部に襲われかけたことがあっただろう?」
「ああ」
忘れるはずはない。まさにその時、俺は『正義のヒーロー・レッド』に恋をしたのだ。
「その少し前、『君にはヒーローとしての素質がある。その力で世界を救ってくれないか』と、俺たちのボスからお願いされていたんだ。だけど、そんな訳わからない素質だの力だの言われても、素直に受け入れることなんてできなかった」
そりゃそうだ。俺が雄二の立場だったら、『ふざけんな!』で抵抗して終わりだろう。
「そんな時、涼太が危ない目に遭っていた。涼太を守れる力があるのに、それを使わないでいることはできなかった。涼太を守るためなら、俺はなんだってしてやる。そう思って、このヒーローの使命を受け入れたんだ」
「そうだったのか……」
俺と過ごす時間が減ったのは、ヒーローとしての役目があったから。
今となっては、仕方がなかったことだと理解できる。
「大好きな涼太を、危ない目には遭わせたくない。そう思って、俺は今までヒーロー・レッドとしてやってこれたんだ」
「ううっ、雄二兄ちゃん……っ!! 俺、雄二兄ちゃんのこと、好き! 大好き!!」
「俺も、涼太が大好きだよ」
俺は雄二に思いきり抱きついた。
雄二の身体が逞しいから、抱き締めるというよりは、しがみついている感じになってしまうのが悔しい。
張り出している胸筋に顔を埋めて、俺は決意を新たにした。
「俺にも、雄二兄ちゃんを守らせてくれよ!」
「『ヒーロー・レッド』には四人の仲間たちがいるが、『上井雄二』は涼太が守ってくれるか?」
「ああ!」
「ははは、心強いな」
こうして俺の初恋は実り、充実した日々が始まるのだった。