C7 後ろで一つに括っている髪を顔で押しのけながら首筋に唇を落とす。
「おい、おれはまだ仕事中なんだが」
提出するであろう報告書の誤字チェックをしているサンソンがいつもより低めのトーンで文句を言ってくる。とは言え、ソファに深く座るギドゥロに抱きかかえられる姿勢のままずっと仕事をしていたことを思うとまるで説得力がない。
紅葉戦争にまつわる調査任務でカストルム・オリエンスに派兵されたギドゥロたちは、秘匿事項が関わる任務ため他の双蛇党の兵と異なり、同行しているヌールヴァルとあわせて三人だけの部屋を与えられていた。
できたばかりで戦果もそう多くない部隊には破格の扱いだ。そのため水面下で批判の声がないわけではない。ザルな仕事をするつもりはないが、長期化して針の筵になるのもごめんだ。なにより表向きは客分、実際のところは監視対象のヌールヴァルの動向に注視しなくてはならない。
(こっちの頭数に対してやることが多いんだよな……)
そしてその責を負うのは他でもなく、今腕のなかにいるサンソンだ。
だからこそお互いに今日の調査報告をした後、珍しくギドゥロの側に詩と酒で情報を集める機会も、サンソンが他の国のお偉方から情報を引き出す機会もないというタイミングは希少なのだ。しかもヌールヴァルも"家の用事"とやらで一度グリダニアへ戻るらしく、サンソンたちが信の置ける双蛇党の兵を護衛兼監視につけた。
そう、つまり。
(久しぶりに二人きりだってのによ)
貴重な夜を楽しみにしていたのはギドゥロだけだったのだろうか。
もう一度触るだけの口付けを落とす。軍装を解いて肌触りのいいリネンシャツだけになったそこに顔を近づけるだけでギドゥロの鼻腔はサンソンの匂いでいっぱいになる。
「はー、相変わらずだねぇ、お前は」
ぐっと後ろから腹に回した手に力を込めて抱き寄せると、腕の中のサンソンの体が少しだけ強ばった。そういう態度じゃなくて、いつになったら二人きりでいるときくらいこっちに全部を預けてくれるようになるのか。
(まあ、この体勢で仕事するようになっただけでも進歩だけどよ)
真面目堅物を絵に描いたようなこの上司と恋仲になって、これでも歩み寄れている方だとは思う。
ただ、どうしたって心のままに行動するとなるとギドゥロよりもサンソンの方が二手三手遅く、職位による業務上の責任もあってかギドゥロの側に待たされる時間が長いのは事実だ。
「せっかく二人だってのに、まだなのかよ」
「任務で来ているんだ。仕事が優先なのは当たり前だろう」
もうすぐ終わるから待ってろ、とにべもない返事にギドゥロはがっくりと肩を落とした。のろのろと顎を相手の肩に乗せ、最終チェック中の報告書を覗き見る。
「……お前こんなことまで書いてんのかよ」
「資料になるものは全部残す。今目の前にある成果を追うだけじゃなく、吟遊詩人という存在をちゃんと次につなげていくことも必要だからな」
「はー、そうかよ……」
ぺらりと指先でつまんで追記として書かれた報告書の最後の一枚を眺める。
そこには今日ギドゥロが初めて歌った詩歌について書かれていた。
哨戒ついでに賢者の木の近くでなんとなく不思議な気分になって頭に浮かんだものをそのまま歌っただけだが、聴き手側からするといつもよりも珍しいメロディーラインだったらしい。C7を多用していたなんて歌っている本人だって気付かなかったことを、よくもまあ一度聞いただけで分かるものだ。
歌っているギドゥロの隣にはいつものようにガリガリをメモに向かう無粋なサンソンの姿があったが、あのクソ細かいメモにはそんなことまで書いていたのかと思うと、感心を通り越して呆れてしまう。一体ギドゥロの歌はサンソンのメモの中でどれだけのスペースを占有しているのだろうか。
(いつだって俺の歌で頭がいっぱいだって思えば気分はいいけどよ)
そうはいかないのがこの堅物男の手強いところだ。
手の内にいると思ったら斜め上にすり抜けていることもままあって、その純粋さと意外さはいつだってギドゥロの心を離そうとしない。
(ったく、どっちが頭いっぱいなんだろうな)
きっとこれが惚れた弱みというものだろうかと、甘い疼きに胸がいっぱいになって、ギドゥロは溢れそうな心の促すまま、サンソンの首の後ろの少しだけでっぱった骨の部分に赤い印を残した。
「ん……。あんた最近よくそこを吸うよな」
「いいだろ。お前が前言った通り、服で隠れるところにしてんだから」
「あっ、当たり前だろう。今は他の国と合同で任務に当たっているんだぞ。示しがつかないことをしてどうする」
「へーへー。……で、ここより下はいつになったら触っていいんだ?」
わざと擽ったい距離まで近づいてからサンソンの耳元で声を潜めた。
「~~~だから、もう終わるから!あと少し待ってろ!」
怒鳴りながらサンソンがギドゥロから報告書の最後の一枚をひったくる。体をくっつけているという理由以上に熱い体温と、真っ赤に染まった耳があまりにも愛おしくて、ギドゥロはくつくつと笑いを零しながらサンソンの肩に額を擦りつけた。
きっとこの後は期待通りの夜を迎えることができるだろう。
そしたら、先ほどの場所以外にも、お互いに印を刻み合わせて貰おう。
(ああ、でも)
たぶん、サンソンは気付いていないのだろう。
ギドゥロが、最近になってずっとキスマークを残しているサンソンの首の付け根という場所は、たしかにヒューランの中でも上背が高いサンソンが襟の立った服を纏っている限り、普通は見えない場所だ。
だが、相手がギドゥロと同じくらい目線が高いエレゼンで、サンソンの近くであちら側からも動向を探ってくるような相手であれば、話は別だ。
何かが起きるなんて思ってもいないが、それはそれとして自分以外の男が隣にくっついているのが我慢ならないギドゥロの子供じみた独占欲。
(バレたら怒られるんだろうなー)
愛しさの証明としての気付いて欲しい気持ちと、意地のような気付いて欲しくない気持ちが腹の奥でぐるぐる回るのを感じながら、ギドゥロは夜を急かすように印を落とした首筋を嘗め上げた。