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    niichiga222

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    めのしの!!悪ケ小説 スズ加入編(過去編)

    【Deep Horizon】少女は灯台でふもとを見下ろしていた。海は凪ぎ、風の気持ち良い昼のことだった。
    少女は視線を港のターミナルへ移動させた。数秒の間、じっと見つめて、それから、轟音と共に火柱が天高く登った。
    少女はか細い声でつぶやいた。

    「どうしよう」



    少女は、高校生である。どこにでもいる、いたって普通な女学生だ。ただ少し変わっている点をあげるとすれば、かなり偏った理系オタクで、帰宅すると自室で化学のマイナーな情報誌を読みふけっては研究らしいことをしている。年頃の女の子らしく外出することは、滅多になかった。それは、彼女自身が外に興味を示さないことも大いに関係するが、ここ数年の様子では他の要因によるものだった。
    女生徒は、秀才故に周囲から疎まれ、いじめの標的にされていた。きっかけは中学時代、所謂人気者であった男子生徒に無意識に吐いた毒だった。女生徒は高校の推薦枠を奪ってしまったせいで、男子生徒の彼女にやっかみを言われたのだ。無論、この女生徒に悪気はなく、単純に、男子生徒の学力が足りなかったからだと客観的な事実を述べたまでであった。
    しかし、学校社会というものは時に残酷な集団に変わるもので、噂は瞬く間に広まり、彼女の発言は何倍にも引き延ばされた。拡大解釈された彼女の周りに、生徒達は近づかなくなり、次第に嫌がらせを受けるようになったのだった。
    秋の三者面談で、母親に彼女の机やロッカーを見られ、ついに彼女は家庭でも居場所を失った。高校の推薦枠を取り消し、遠くの私立へ身を隠すように進学したが、中学時代のクラスメイトと運悪く再度顔を合わせることになり、ことは繰り返されるのだった。



    ある夏の日、彼女が登校すると自分の机がなかった。さすがに困って後ろの席の男子生徒に視線をやるも、気まずいのか目を合わせない。はぁ、とため息をついて職員室に直接向かおうとすると、今度は廊下にあるロッカーが目に入った。自分の箱をチラリと見ると、鍵をかけたはずの扉が開いていた。中身は見えないが、もはや彼女は職員室へ報告する気も失せて、そのまま帰ろうと、玄関へ向かった。彼女の心は限界に近かった。
    登校時刻の過ぎた玄関は、生徒の姿もなく静かだった。それは彼女にとっては好都合で、さっさと靴を履き替えてしまおうと自分の下駄箱へ向かった。しかしそこには、彼女の靴をバケツの中に投げ入れる複数の生徒がいた。
    「え……」
    彼女は思いがけず、小さく悲鳴のような戸惑いの声を出した。それに気づいた生徒達は、顔を見合わせてからすごい形相で彼女の髪を掴んだ。
    「おい、何来てんだよ」
    とんでもない言いがかりである。しかし、生徒達が恐れるのも理由があった。表向きは成績優秀で通っている生徒が多数だったからだ。こんなことをしているのがバレれば、生徒達の学校生活は危ないだろう。
    彼女の目は酷く虚ろになり、体の力が完全に抜けていた。抵抗の力などなかった。だからそのまま肩を掴まれ近くの化学室に連れ込まれて、バケツの水をかけられることなど容易であった。力なく倒れ込んだ床に、履いてきた靴と水と鬱憤が広がる。
    「マジでキモい。早くそれ履いて帰れ」
    「2度と学校来んな」
    混乱と激昂と様々な感情をぶちまけられ、彼女の力ない体を貫いた。誰もが逃げ出したくなる状況だが、彼女は数回深く息をして答えた。
    「……わかった」
    そう答えたきり俯き1点を見つめる彼女に、ある種の恐怖を感じた生徒達は誰が言うでもなく足早に教室をあとにした。彼女はそれからしばらく俯き、徐に水の滴る前髪を指で撫でた。埃ぽいバケツの水が目にかかったせいか、酷く目が熱く、ポロポロと水が零れた。
    彼女の心は完全に壊れてしまった。
    靴下がぐしょ、といやな音を立てながらも、なんとか自力で立ち上がり、彼女は思った。
    死んでしまおう、と。
    全てが嫌になった彼女は、鞄をひっくり返してハサミを探した。バサバサ!と大判の資料集や何冊ものノートが濡れた床に重なった。ふと、一番上に落ちたノートが目に留まった。化学のノートだった。化学は、彼女の一番の生きがいで、これを研究するときは、自分のことが好きだったし、もっと世界を知りたいと思えた。ちょうど、ノートはこの日、最後のページを迎えるところであった。最後まで使ってやれなかったな、と表紙の厚い紙を撫でてペラと何気なくめくった。そして唐突に好奇心が蘇った。最期くらい、やれることやろうかな……と。彼女のノートには授業には関係のない反応式や、メモなどが彼女なりの言語で走り書きされている。彼女が最後に見たメモにはこう書いてあった。
    “短絡的な破壊→爆発”



    一夜明けた平日の昼下がり、彼女は港にいた。利き手の左手にはジュラルミンケースと、トランシーバーを改造した遠隔操作用端末が握られていた。
    心が決まってから、濡れた体で化学室から必要な部材を盗み、徹夜で作成した。彼女にとってずっとやりたかったことだっただけに、量や必要材料なんかは考えるより先に手が動いた。何も難しいことではなかった。ただ、いつもの空想を現実に落とし込むだけの作業だ。帰宅してすぐ誰にも会わず部屋に閉じこもるなり、瞬く間に作り上げた。そしてそのまま仮眠をとったら、良い時間だったと言う訳だ。
    天候は晴れ、微風。企業名などない、持ち主知らずのコンテナに幾つか小型の長距離通信型起爆装置を設置した。左手の親指に力を入れれば、目の前にあるコンテナ群は瞬く間に破壊されるだろう。彼女の思考は、目標をやり遂げようとすることのみに働いている。この実験の成功を見届けてから人生の幕を閉じるため、彼女は最高の舞台を用意した。
    コンテナ群を見渡せる、地味な灯台に彼女は立っていた。そこには海と陸だけがある、素晴らしい眺めだ。そして成功の暁にはこの手すりから身を投げればいいだけ。人生を賭けた最高のエンターテイメントに、彼女は内心ドキドキし、気づかぬうちに口もとは笑っていた。波の穏やかな静かな海だ。太陽光を浴びて水面はキラキラと輝きを増している。足元のジュラルミンケースに入った通信媒介機は正常運転を知らせるために、赤いランプが点灯している。あと5分もすれば、彼女はこの海と1つになる。何も怖くはなかった。躊躇いもなく彼女は親指に力を込めた。


    ドオっというあまりに大きすぎる爆発音に、港はその姿を大きく変えた。コンテナは赤く赤く燃え上がり、次々と延焼していった。彼女の設置した位置は不幸にもと言うべきか、燃料タンクや電子機器の多いエリアであった。炎の勢いは弱まらず一帯を火の海に変えてしまった。
    その光景を1人灯台の上で見ていた、か弱い女子高生は、手が震えて通信機を足元に落とした。
    「どうしよう……」



    彼女はしばらく、ボンヤリと燃えゆく港を眺めていた。今ここで焦ったところでどうしようもなく、ただただ目下の想定外を眺めるしか出来ずにいた。この面積では何人か巻き込まれたかもしれない、騒ぎになっているかもしれない、すぐ誰かがきて捕まえられるかもしれな、そんな可能性が脳をかすめる度に、彼女の足から力が抜けていった。彼女にとって、学校の外でこんなにも人の注目を集めたのは初めてであった。今の彼女にはその足で歩くことすら難しいだろう。
    それから何分か経っただろうか、彼女の思考が稼働をやめて、本来の目的を果たそうとすることだけに集中しだした。考えてもだめだ、という境地である。巻き込まれた人がいても、この死で償おう。そう思って灯台の真下を確認した。岩場に当たれば上手く死ねるが、海に着水すれば死ねない。彼女は念の為と持ってきたナイフを靴下に入れた。死にきれなかったとき、刺せるように。1つ呼吸をして、彼女は灯台の手すりを掴んだ。
    すると、思いもしないことがおきた。

    「おっと、飛び込む気か?」
    毛先に金髪のメッシュが入った男性とおぼしき人が、灯台の中階段から現れた。彼女はハッとして、咄嗟に自傷用兼護身用ナイフをバッと向けて威嚇した。しかしナイフを握ったその手は、その威勢と裏腹に震えていた。
    「よせよ、俺は丸腰だ。おおかたその反応じゃ、あれはお前の仕業だな?」
    男は両手をあげ、手のひらを彼女の方へ向けながら、アゴで奥の港を示した。彼女は唇を噛みながら冷や汗を浮かべ、男を睨んでいた。
    「警察……?」
    「……いや、もっと厄介な奴だよ。それ、しまってくんねぇかな。俺は女の子は投げたくないんだ」
    彼女の頭はオーバーヒートしている。食いしばった口元からは、ぐぅ……と似たような音のうなり声しか出ない。それは恐怖と混乱とがまぜこぜになった、複雑な感情だった。
    「よせって、そんなんじゃ俺のことなんか刺せねぇよ」
    「…………ッッ」
    図星である。彼女にそんな度胸はないし、向かって行けたとしても、この目の前の厚い体に傷をつけられるような力は無い。しかし、ここでナイフを下げればどうなるかわからない。今彼女は、このある種平穏に似た拮抗状態を保つほか生きられる道がないと直感していた。そして気づいた。あれ、私は死にに来たんじゃなかったっけ?と。
    「…………お前さ、俺と来ないか」
    数秒の沈黙に、男は言った。そしてどういう訳か、男はあー、また嬢に怒られるなぁ……などとボソボソ頭を掻きながら自責している。彼女は言っている意味がわからなかった。そのまま黙ったままでいると、男は続けた。
    「俺、日本に家なくてさ。今の組織に拾って貰ったんだ。その……お前さえよければだけど、俺のとこのボスが匿ってくれるかもしんねぇ。たぶんこのままにしてても、お前多分捕まるし、いつ出て来れるかわかんねぇぞ」
    「う、うるさい!!!私はその前に……」
    死んでやると言う前に、大人数の足音が聞こえた。階段を登ってきている。2人は揃って中階段の方を見た。先頭の1人の姿が確認出来た瞬間、男は彼女の方へ早歩きで歩み寄った。どうやら男の仲間ではないらしい。男の表情には焦りがあった。彼女は向かってくる男にも、大人数の大人の気配にもどうすることもできず、その場で固まった。
    「被疑者発見」
    階段の扉から、何人かの警察部隊が流れ込んできた。複数の金属が、2人の方へ構えられる音がした瞬間、男は彼女の体に覆い被さった。
    「ごめん」
    その言葉と共に2人の体は、数発の銃声と絡まるように海へと消えた。



    深く、重い、静かな世界だ。彼女は闇の中でもがき、光を探した。ただ自由になりたかった。誰にも邪魔されたくなかった。それだけだった。
    でももう、力を緩めれば沈む、単純な世界に、彼女は身を任せようと思った。やれることはやった。もう終わりにしよう。
    ふと目を開けると微かな光が届いた。確かに光だ。この闇の世界に差し込んだ唯一の光。それに、1度諦めかけた体が反応して、手を伸ばした。
    また、光の中で生きることができるのなら、と。



    ふぁ!と空気を求める声と共に彼女は水面から顔をあげた。どれくらい沈んでいたのかわからない。兎に角呼吸をしようと必死になる体をどうにか落ち着かせた。そして、もう1人がいないことに気づいた。周囲を見渡すと、すっと右手が上がって彼女の肩を掴んだ。その手に引っ張られるまま、岩場のすきまになった所で2人はあがった。彼女は激しく咳き込み、ふらふらとしゃがみ込んだ。一方の男はというと。
    「……っあ……血」
    「ってぇ~……容赦ねぇよなケーサツってのはさ……」
    彼女の肩を掴んだ右腕のシャツは赤い鮮血で染め上がっていた。
    「ちがう、おなか……」
    しかし彼女は腕ではなく、男の腹部から目を離せないでいた。彼女の護身用ナイフだ。それが、左脇腹に刺さったままだった。
    海へ飛び込む前、男は銃弾を当てないように彼女の身を全て包む必要があった。それがナイフを握った腕であろうと。男は自分に突き立てられたナイフを、振り払えば回避できた傷を、「彼女が狙われないように」の一心で自ら抱きかかえたのだ。それは、彼女が1番わかっていた。あの時の彼女にナイフを握る力すらなかった。落としかけていたはずなのに、抱きしめられた時に肉を切り裂く感触だけは感じた。そして、言われたのだ。「ごめん」と。
    「わりぃな……これは俺が自分でやった傷だから気にすんな」
    痛みを我慢しながらも、彼女には笑顔で接した。彼女の組織勧誘のため……とかではなく、不器用な男が、たった1人の少女のために、本心で出た優しさだった。
    いてぇ……と言いながら男はシャツを脱ぎ、きつめに右腕で縛った。止血だ。筋肉質の上半身を包む胸までのインナーの下には、いくつかの傷跡が残されている。彼女はその傷を無意識にも撫でていた。男はびくっとしてやめろ、と照れくさそうに片手で制した。
    「これからどうするの」
    「……お前次第じゃないか?どうする?」
    真っ直ぐな瞳に見つめられ、彼女は思わず目を伏せた。逞しさの中に可憐さを持つ美しい瞳に、彼女は心まで掴まれたような気持ちになった。悩まない訳ではない。しかし、日常が酷すぎた。死に損ないに戻る場所は最早なかった。
    「わかった……ついてく」
    彼女は俯いたまま、確かにそう言った。表情は男にはわからない。
    「ん、わかった」
    男は彼女の頭を数回撫でた。そして徐に立ち上がって周囲を警戒した。ここから脱出するのだろう。男はコンテナの方を見てから戻ってきた。
    「よし……すまん、チャンスは短いからちょっと手荒いぞ」
    「えっ、ちょっとなに……わ!」
    男は彼女の肩と足の下に手を回して、そのまま抱えて海に飛び込んだ。高校生の彼女が初めて経験した心拍数と顔の火照りとが、海水のせいかみるみる覚めていった。そして彼女には訳がわからないまま、コンテナの方へ出た。足の到底届かない海面を、ヒト1人掴んだまま男はグングンと進んでいった。海面には不埒な奴に捨てられたのであろうゴミが漂い、こういうことに不慣れな彼女も上手く身を隠せた。
    彼女の体力はもう底をついていたが、男に体を押し上げられてなんとか陸に上がった。そこには1台の車があり、逃げるばかりだった彼女はびくっとして、後から上がってきた男に隠れた。車のドアは開いていて、1人の女が立っていた。
    「早く乗れ」
    いかにも美人という顔立ちに、銀色の髪がなびいている。数センチもあるヒールや、グラマラスな体型にピッタリとしたスーツを着ている女に、彼女は見下ろされていた。彼女は促されるままその車に乗り込んだ。いや、男に押し込まれという方が適当かもしれない。女の視線に圧倒され、彼女自身はほとんど動けなかった。とにかく、濡れ鼠2匹が無事車に乗った。
    「出せ」
    女が運転席の黒服に言った。そして、黒服は操り人形の如く、言葉に反応してアクセルを踏んだ。
    「助かった、嬢」
    「……連れてきたのか」
    女は前を見たまま言った。男は笑顔のまま、少し困ったように眉を寄せた。
    「うるさい、いいんだよ。ジョークだ」
    男に言葉はなかったが、女は続けた。2人はそれなりに長い付き合いなのだろう。2人の会話を暫く聞いていた彼女はふいにくしゃみをした。車のクーラーで体が冷えたのだ。助手席の女は振り返り、後部座席の奥、トランクにあるタオルを出すよう言った。男は腕を伸ばし、掴んだ大判のバスタオルを広げて彼女の身を包んだ。無意識に、彼女は男の方に身を寄せた。それに気づいた男は、タオル越しに彼女の頭をぽん、と軽く撫でた。それはまるで子供をあやすような、優しいものだった。
    「ずいぶん懐かれたな。何かしたのか?」
    「いや俺は……」
    男は不意を突かれて、言葉に詰まった。懐かれている自覚もないし、彼女になにかをあげられた記憶も無い。ただ、目の前にいる少女のためにできる最低限をしただけだった。
    「……女たらし」
    ボソッと窓の方を見ながら女は言った。
    「またそういうこと言って……。俺も女だって」
    この会話を彼女は聞いていない。男――もとい短髪の女の肩ですぅすぅと寝息を立てていた。
    車はコンテナ群の喧騒を抜けて、港町のあるビルへ向かっている。

    これがのちにスズと名乗る彼女の、入社日の出来事であった。


    ◇◇◇


    無線で情報が入ってきたのは、嬢と兄が、入社して1年の珠ととあるオフィスの一室で話していたときだった。部屋ではちょうど無線通信をBGM代わりに話に花を咲かせていたところだった。そのため、コンテナ、爆発音という久々に聞く羅列に場は一瞬凍った。
    「どういうことですか?奇襲……ってことですか?」
    珠が年に似つかわしくない単語を、怪訝な顔をして言った。
    「情報が薄いから何とも言えないけど……このエリア、ウチの倉庫もなかったか?」
    兄はいつになく真剣な顔をして言った。それを聞いた嬢はすぐ立ち上がり部屋を出た。兄はそのあとを追って部屋を出た。
    「珠、安心してな。お前は良い子で待ってろよ」



    兄が運転席に座ると、嬢はもうベルトを締めて手元の端末で地図を確認していた。
    「またそんなロマンチストみたいなこと言ってるのか」
    嬢が端末から目を離さず言った。
    「なんのことだ?」
    「……いやいい…………なんだこの粗い奇襲は。物品がぐちゃぐちゃじゃないか。ウチになんの用だ?」
    嬢は現地近くの警備に当たっていたスタッフから送られた写真を見ていた。兄は車を出して、港へ向かった。
    「じゃあウチじゃないんじゃないの?」
    「そうなんだが……ウチの倉庫が爆心地のように燃えてる、いや、無差別だな。他にも火柱になっているゴミがいくつかある。」
    「愉快、快楽か?にしては人がいないな」
    兄と嬢は互いの脳を共有するかのごとく、短い文で思考を発信した。
    「快楽犯かもしれないな、燃やす方の」
    「あぁ……そういう…………変わった奴だな」
    「ヤツもお前に言われたくないだろうよ」
    港町に構える嬢の組織のエリアも、現場からはそう遠くない。会話が一区切りしたところで、窓の外に燃えさかる炎が確認できた。周囲にはすでに野次馬がいて、近づくにも近づけないようだった。
    「燃えてくれて、跡形もなくなれば足はつかなくて済むな」
    嬢が続ける。
    「どうする?お前なら」
    最大限人目を避けたところで車は止まった。シートベルトを外しながら兄は困った顔をした。
    「さぁ……俺は頭悪いからなぁ。まぁ、もし俺がその快楽犯なら、燃えてるのがよく見えるとこにいるだろうけど」
    嬢はふっと口元で笑った。
    「同感だ、私もそうする。遠隔操作だろう、私はドローンなどが飛散していないか調べるよ。組織的なテロの序章って線も捨てられないしな。お前はホライズンでも登ってくるか?」
    ホライズンというのは、高層ビルのホライズンタワーである。3階までが商業施設、そこから49階までがオフィスで、最上階の50階が展望台として有料公開されている、いかにもこの高さを有する建物ならありがちな街のシンボルマークだ。
    少し考えているのか、兄は黙っていた。
    「なんだ」
    不審そうに嬢は言った。言いたいことは言えと雰囲気で伝えている。
    「いや…………やっぱ俺、あっちの灯台見てくるよ」
    「……はぁ?」
    嬢は数分ぶりに兄の方を見た。その目は、お前正気か?の目だ。この港に近い灯台も、確かに高いことには高いが、コンテナを見渡せるほどの高さはない。その上、あんな地味な灯台は、地元民でもないと入口もわかりにくいし、存在すら気づかない。第一にそこに犯人がいなかった場合、周りに建物のない海沿いでは次手がかなり狭まってしまう。
    「なぜ」
    嬢の問いかけは最もだった。組織の誰が同席しても兄の判断を誰もが咎めるだろう。
    「その……なんていうか、あー…………勘?かな」
    “勘”の一言が聞こえた瞬間に嬢の目が鋭く光った。長年行動を共にしていない人間なら逃げ出すような、冷たい視線に見つめられ、兄は決まりが悪そうに目を伏せた。長い睫毛が太陽を受けて頬に影を落とす。嬢は諦めようにため息をついた。
    「……わかった、どうせここで別行動してもお前はそっちに行くんだろう?いいよ、乗った。また後でここで落ち合おうか」
    「奴はどうする。捕るか?」
    兄は拳銃の弾を装填して聞いた。
    「任せる。お前に一任しよう。場合によっては躊躇うな」
    嬢は表情1つ変えず返事をした。了解ボス、と兄は言って車から出た。ドアを閉めようとして、兄は中を覗き込んで聞いた。
    「嬢、合流は海沿いにしてくれねぇか。この時間じゃサツが来る。灯台からの逃げ道は」
    「お前の話が大正解ならな。……仕方ない、この話に乗ったのは私だ。こっちに収穫がなければ車を向かわせる」
    兄は後部座席のドアを開けて、着ていたジャケットを投げこんだ。続いて重い金属音がしたので、嬢は振り返った。弾を入れたばかりの銃だ。
    「置いていくのか」
    嬢は少しビックリしたように聞いた。
    「近距離だし、万が一があれば投げ飛ばすよ。それに、大事な銃だ。塩水に浸けたくない」
    ホルスターのついたベルトを外しながら兄は答えた。そして、じゃ、と言って後部座席のドアを閉めた。
    バックミラー越しに兄の姿が小さくなるのを嬢は見届けた。
    「お弁当つきかな」
    戻ってくる兄の姿を想像して、嬢は呟いた。そこに兄がしくじるような図はなかった。
    そしてまさか、この時は厄介という意味のその『お弁当』が、『新入社員』になるとは、嬢は思いもしなかった。


    ◇◇◇


    「嬢、来たよ」
    「ご苦労だな、兄」
    スズが珍しくオフィスの嬢に呼び出されていた。そして、嬢は入ってきたスズではなく、後ろに立つ兄を労った。
    「マジで。起きねぇんだよ……ほんと」
    兄は手をぱたぱたとして呆れた顔をして見せた。安さと近さだけを重視して選んだスズの借家に兄が入ってから1時間。押せども押せども起きないスズを、兄は「怒られるぞ」「嬢は不機嫌だ」などと嘘をついて寝起きの悪いスズを叩き起こしてきた。
    そんなことほ気にしていないのか記憶にないのか、スズは嬢の方へ歩み寄った。嬢も呆れたようなため息をついたが、すぐ元の態度に戻って、机の上になにかを広げた。
    「捨てるにも申し訳なくてな。直接状態を見てから決めて貰おうと思って」
    嬢が見せたのは、スズがあの日着ていた高校の制服だった。胸元に添えられている特徴的なタイは、当時到着した警察官の記憶にも刻み込まれ、週刊誌の格好の餌食となっていた。そのタイも今や海水につけ込まれ、血も付着し、海洋ゴミにも飲まれたせいで、所々変色していた。嬢は、倉庫の段ボールに詰め込まれていた旨を補足して、そしてまた「どうする?」と尋ねた。
    それをスズの肩越しに見た兄はおぉ!と声を上げた。
    「懐かしいな!10年くらい前だろ、もう。思えばスズはあのときからあんま変わってねぇよな~」
    「兄、それ嫌味か?」
    スズが黙っている様子なので、嬢が突っ込んだ。
    「今も昔もちっこくて可愛いってことだよ。あんとき、スズは灯台にいるって言ったら怒られたなぁ」
    「またそんな昔話を……あの瞬間じゃ誰でも怒る」
    嬢は深いため息をついて、眉を寄せた。嬢は続ける。
    「お前が走ったあと、場を整えるのにかなり使ったぞ。救命ボート1台、プイ2本、クッションドラムに三角コーン……珠に廃材をかき集めて貰ったんだからな。お前が退路がどうこうぬかすから内部じゃてんやわんやだったぞ」
    積年の恨み……ほどではないものの、それなりに恨んでいたのか嬢はスラスラとクレームを言った。その間、兄は肩をすくめて、言うんじゃなかったと後悔した顔をしていた。
    「いらない」
    スズは急に口を開いた。昔話に夢中になっていた2人は、不意を突かれたようにスズの方を見た。そして、嬢はわかった、と返事をして制服を畳んだ。
    が、スズは複雑そうに部屋をそのまま出てしまった。2人でまたその背中を見送っていたが、嬢に背中を叩かれて兄は弾かれたように後を追った。
    部屋に残された嬢は畳んだ制服を、茶封筒に入れて机の端に置いた。社長室の椅子に腰を下ろし、ふうと天井を見つめた。
    「また置いてけぼりじゃないか全く……ホントに捨てるとはな。嫌なモノとは言え思い出かと思ったんだが……」
    そして、ふっと思い出したように笑った。
    「スズの事になるとお前には敵わないわけだよ」


    【完】
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    Replies from the creator

    niichiga222

    INFO珠の過去編です…早すぎるって!!!!すげ〜〜よ…
    【艱難、汝を珠にす】望まれない生だったのかもしれない。十数年の人生で、繰り返し繰り返しそのことについて考えていた。
    生家は都心近郊のアパートの一室で、物心つく頃には父親のいない所謂片親だった。唯一の肉親である母親は夜遅くまで仕事と言い、帰ってくるのは決まって21時を回っていた。その頃、私は食事入浴を済ませていつも寝ていた。食費は月末頃に、1,000円札が数枚に幾つかの硬貨が玄関のがま口に知らぬ間に入っているのだ。なんとか節約しても、がま口に1,000円札を残しておくと、「金あるじゃん」と言って支給額が2000円ほど減る。だから、私は節約したお金はランドセルの中に仕舞い込んで隠すようになっていた。齢6つの時に見付けた、なんとか生き抜く術だった。こうしてなんとか胃に食べ物を入れ、言いつけ通り5分での入浴を済ましてから20時には空腹を誤魔化すように寝入っていた。しかし、入眠するも束の間、機嫌の悪い母親は寝ている私の体を蹴って起こしてきた。酒の匂いがする母親はいつも激昂していて、なんでできないんだ、出ていってやる、はやく死んでしまえ、などと泣きながら叫んでいた。私はこの時間が早く過ぎるように、ただうずくまってごめんなさい、と繰り返すしかなかった。これが1番収まりが早いのだ。泣き疲れて壁に持たれかかりしゃがんだ母親はいつも寂しそうで、壊れそうで、その母親を見るのが1番辛かった。そして、部屋の隅でうずくまる私も、気づいたらうとうととしてそのまま朝を迎えることも少なくなかった。朝、目覚めると母の姿はなくて、体には布団が掛けられていた。母のことは好きだった。年端のいかぬ子に、母親の善悪についてわかることではなかったし、なにより時折触れる優しさがいつも嬉しかった。
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