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    issunnomochi

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    issunnomochi

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    なかなか進まないからちょこちょこと残したいのです。

    かさついてる握りしめた手から、サラサラと白い砂が零れる。どれだけ目一杯にその手に包んでも、指の隙間から砂時計のように漏れていってしまう。小さい頃の砂場の記憶だろうか。最後の一筋が落ちていった後、手のひらを見つめた先に、優しく微笑む母の笑顔があったのは、いつまでだったか。目の眩むような明るさの中、砂のついた、かさついた手のひらだけが残された。

    真っ白な光の正体が、カーテンの隙間から漏れる朝の光だと気付いて、少しずつ意識が夢から体に戻ってくる。まぶたを押し上げ、ぼんやりとした視界の中、腕を上げ、顔の前で手を開く。先ほどの夢で見たふくふくとした小さな手とは違う、節と筋と傷が目立つ、見慣れた自分の手だ。徐々に覚醒する中で、もう片方の手に違和感を覚える。つと背筋が凍り視線を向ければ、見慣れぬ分厚い手のひらが、己の手の下に添えられている。まるでこぼれる何かを受け止めるように。
    昨日の出来事が、段々と今へ繋がってくる。単調な仕事。古びた木のドアの軋み。冷えたジン・トニック。店主の曖昧な笑顔。タクシーのエンジン音。プルトップの指先への引っかかり。乾いた自分の笑い声。注意深く傷跡を辿る太い指先。真珠色の瞳から零れる涙。
    手のひらの主は、まだ眠りの中にいるらしい。初対面の印象と変わらぬ生真面目さで、まるで直立しているのをそのまま仰向けにしたような姿勢で、規則的に胸を上下させている。そうだ、俺は昨日この人の部屋に泊まったんだった。付けたままだった腕時計を見れば、まだ早朝だ。
    普段なら、相手と互いに寝るのに飽きるまで布団にいて、適当にシャワーを浴びて、じゃァな、と言って別れてそれっきりになる。連絡先を渡されることもあったが、部屋に帰るなり消してしまうこともよくある。相手と知り合った店にはほとぼりが冷めるまで足を向けないから、文字通りの一期一会だ。さて、今回はどうだろうか。
    大柄で筋肉質なためか、まだ寝ているからか、手から伝わる体温は、触れた部分にほのかな火が灯るように感じた。掴むでもなく、かといって手放すふうでもない、自分の手の形をなぞるような相手の指の輪郭線を、まじまじと見つめる。傷跡を触れられた感触を思い出して、じわりと体温が上がる。痛みはなかったし、別に気持ち良くもなかった。俺が誘いをかけたところで、この男、ヒメジマさんには、なんの興味も示さなかったし、相手の反応を受けて、俺もそんな気分とは程遠かった。けれど、一夜が明けてその手を見つめていると、もう一度同じように指が動くのを待ちたくなる。
    (バカじゃねェの)
    そんなことあるわけないのだ。夜が明ければ全部真っ白だと分かっている。ぎゅっと瞼を閉じて開き、くだらない期待を断ち切る。腕に力を込めて持ち上げれば持ち上げただけ、ヒメジマさんの指は離れていって、俺の口からはいつもの乾いた笑いがひとつ漏れた。
    これからどうしようか。この男が起きるまでここに居座る理由もない。目を覚ましたこの男と、話すことなどもない。昨日のことを思うなら、顔を合わせたくない。自分の住むアパートと比べると随分家賃の高いエリアだし、これだけの巨漢だ、ドアの鍵を開けておいて、強盗に刺されてどうこうというような話もないだろう。昨夜借りていた部屋着から、昨日着ていたワイシャツとスラックスに着替える。バックパックの中身に変わりはない。コンビニのレジ袋から出されすらしなかったゴムは、バッグの一番そこに押し込んだ。
    スマートフォンを取りに枕元に手を伸ばすとき、隣に眠る男の目元から雫が溢れているのに気付く。何か夢でも見ているのだろうか。泣くほどの夢にしては、どこまでも静かな泣き顔だった。そういえば昨日も、俺を前に泣いていた。俺のために祈りたいと。どこまでも掴めない、何を考えているか分からない男だった。きっといつもと同じで、このヒメジマという男ともう会うこともないだろう。
    荷物をまとめ、立ち上がったところで、途切れず川筋を作っていた目尻が動いた。何度かまばたきをしたあと、こちらへ視線を向ける。目が悪いと言っていたのはどこまで本当なのか、こちらの視線にぴたりと瞳を据えてくる。
    「帰るのか」
    「…どォも」
    気付かれるとは思っていなかったばつの悪さから、曖昧な返事をする。相手は体を起こし、よく眠れたか、と俺に尋ねる。一晩中夢を見ていたような気分だが、まァ、とこれまた適当な返事をすると、そうか、と満足げに小さく微笑んだ。その表情を受け取れなくて、俺はうつむいて視線を逸らす。俺と寝るより、俺が寝ている方が嬉しいとでも言うんだろうか。
    「駅まで送っていこう」
    「別にィ」
    「そうか……ならば、気をつけて」
    引き留めるわけでもない様子に、このままこの部屋にいる理由を失った俺は、じゃァ、と肩をすくめて玄関へ歩き出す。俺の後ろをついてくるヒメジマさんは、玄関のドアに手をかけた俺に、ややためらった後はっきりと、また会えるか、と声をかけた。相変わらず表情の変化に乏しい顔だが、引き結んだ唇や握りしめた手には力が籠もっている。案外、素直に感情が表に出るタイプらしい。熊と見間違えそうな巨体に不釣り合いな、緊張した素振りを見て、俺は無意識に唇の端を引き上げていた。さァなァ。そう言ってドアを開けて、部屋を後にする。がちゃん、と音を立ててドアは閉まった。

    駅までの道を完全に分かっていたわけではなかった。とりあえず、昨晩の朧気な記憶を頼りにとりあえす太い道へ出る。あとは地図アプリで近くの駅を探し、点と点を繋ぐように自分の部屋へ帰るだけだ。
    土曜の朝の電車はまだ人も少ない。車両の端の席に座り目をつぶると、今朝の夢の続きのような白い日差しが閉じたまぶたの裏に広がる。違うのは、手に残されたのが、乾いた砂の感触ではなく、あの大きな手のひらから流れてきた、ほのかな暖かさだったことだ。
    変わった男だった。クソまじめな見た目なのに、どこかテンポがずれていて。落ち着き払っているようで、意外にうぶで。俺から誘ったところでびくともしなかったくせに、自分から触れてきた手はどこまでも暖かかで。
    (まぁでも、もう会うこともねェだろ)
    ぼんやりと電車に揺られ、通りを歩き、気が付けば見慣れた自分の部屋のベッドを背に床に腰掛けていた。またここにひとり帰ってきた。何かを掴んだように思えても、さらりと手から滑り落ちてしまう。いつものことだ。
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