みどてとwebオンリー展示「……ん、」
ぱち、と何かが弾けたような心地とともに、翠の意識がはっきりとしていく。布団からはみ出た足先が少しだけ寒い。
薄暗い闇の中で、手探りで放り出した携帯の画面を見れば、時刻は午前二時。散々交わって終わった後は軽く身体を拭いて、そこからシャワーも浴びずに二人して眠ってしまったようだ。このまま再び寝るのもいいけれど、どこか身体を包む落ち着かなさの正体は。
「(お腹空いたな……)」
何でもいいから胃に入れたい。けれど、手間のかかるものを作るには面倒くさい。そこで翠の頭に思い浮かんだのが、買ったまま食べ損ねていたカップ麺の存在だった。お湯を入れるだけで出来上がるそれは、インスタントの袋麺よりももっと手軽で、今の自分にはぴったりだ。一度思い浮かべてしまえばラーメンを食べた時の塩辛い汁の絡んだ麺の美味さが口の中に広がるような気がして、余計に空腹を自覚させる。
電気を消した部屋の中で起き上がろうともぞもぞと身体を動かしていれば、横に寝ている鉄虎に軽く身体が当たる。ぺたりと裸の肌同士が触れ合う感触。かすれた呻き声が小さく聞こえた。
「……ん、みどりくん……?」
「ごめんね、起こしちゃった?」
「ううん、」
背を向けていた鉄虎が、翠と向き合うように寝返りを打つ。寝れないッスか、と、覚醒しきっていないとろりとした声で尋ねられると、少し言葉に詰まった。そういう訳じゃないんだけど。しかし翠の今の状態を分かりやすく伝えるかのようにくぅ、と小さく腹が鳴る。それを聞いてあぁ、と納得したように鉄虎が笑った。
「んはは、」
「あー……お腹空いちゃった、かも」
駅で待ち合わせをして、夕飯を二人で外に食べに行ったのが七時頃。そこから翠の家に帰ってきて、風呂に入った後、なんとなく2人で身体をくっつけ合いながら並んで過ごす時間にすることと言えば、もう決まっているようなものだ。気がつけば唇を重ねていて、その身体に触れ合って。いつ俺達はベッドの上に移動したんだっけ。ほんの数時間前のことのはずなのに、遠い記憶のように感じる。
「カップ麺、あるから食べようかなって、」
鉄虎くんも食べる?
問いかけの形を取ってはいたが、翠は鉄虎が頷くものだと思い込んでいた。翠の言葉に鉄虎は頷きかけて――ふと、動きを止めた。
「ん~……俺はやめとくッス、翠くん食べていいッスよ」
鉄虎の返事を聞いて、翠は思ってもみなかった答えが返ってきたかのように目を瞬かせる。
「どうしたの、どっか調子悪い?」
普段であれば、食事に関しては翠よりも鉄虎の方が食べる量は多い。これは翠自身が「これ以上大きくなりたくない」と自分から食べるのを控えているためでもあるが、それにしても食欲のない鉄虎、というものは相当に珍しい。時間帯が時間帯ということもあるし、鉄虎と親しい美容に拘りのある先輩達の影響か。
翠の問いには鉄虎は答えずにううん、と曖昧に唸って軽く腹を撫でる。別に、身体の調子が悪いだとか、そういう訳ではないのだ。先ほどまで2人身体を重ねていて、普段の夜においては鉄虎が翠を受け入れる側だ。翠の質量を持ったそれが、鉄虎の腹の中に侵入してくる。コトを終えて鉄虎の中にはもうないはずなのに、どうにも身体の中がまだその感覚が残っているような。
「具合悪いってわけじゃないんスけどね……でも今日はやめとくッス」
「そっか。一人で食べるの、ちょっと申し訳ないかも」
「いいッスよ気にしないで」
それからまた黙り込んでしまった鉄虎の姿を疑問に思いつつも、翠は立ち上がった。床に散らばった二人分の服から自分のTシャツと下着を探し出して履く。キッチンに置いてあるケトルで湯を沸かして、その間に棚の中からカップ麺を探し出す。棚には同じ味のカップ麺が2つあったけれど、鉄虎は食べないようだし、そのうちの一つだけを取る。暫くすればケトルに入れた水も沸騰していて、ぺりぺりとカップ麺の蓋を少しだけ開けてから、その隙間にお湯を注いでいく。
カップ麺と箸を持って部屋に戻れば、ベッドの上に寝そべったままの鉄虎は、下着だけを履いて携帯を操作している。
ふと裸のままの肩口に小さく赤い鬱血痕がついているのが見えて、自分がつけたものの癖に、思わず目を逸らしてしまった。
ローテーブルにお湯の入ったカップを置いて座る。
3分間。短いはずなのに、カップ麺を食べるために待つその180秒は、妙に長く感じる。
ぼんやりと翠が時間が経つのを待っていれば、座る翠の後ろで、ベッドの上で寝転がる鉄虎がぽつりと呟いた。
「……さっきまで翠くんの入ってたからッスかね、俺がお腹空いてないの」
そう呟けば、広くはない部屋がふいにしんと静まる。鉄虎が顔を上げれば、後ろを向いていた翠の髪の下に隠れている耳が途端にぶわ、と赤く染まるのが見えた。
ぐぎぎと、まるで油の差されていないブリキの人形のようにぎこちなく首を回して、どこか気まずそうな、恥ずかしそうな表情で鉄虎を伺う。
「そ、そういうこと……あるの」
何だか妙に面白くなってしまって、思わず吹き出しそうになりながら、遅れて自分がひどく恥ずかしいことを言っているのに鉄虎は気づく。
「……わ、かんないッスよ、でも今俺、お腹いっぱいなんスもん」
「……」
翠の顔がじわじわと真っ赤に染まっていく。喋れば喋るほど墓穴を掘ってしまうような気がして、鉄虎の顔にも急に熱が集まる。
「……ほら翠くん!!!3分!!3分経ったッス!!早く食べないと麺伸びるッスよ!!」
「絶対まだ3分経ってないんだけど…」
そう言いながらも翠が鉄虎に促されたままにカップの蓋をめくる。半ば無理やりではあったが話題を切り替えることに成功して、鉄虎は心の中でこっそりと安堵する。
ずず、と音を立てながら麺を啜る。
食品添加物たっぷりの刺激的な味。汁を絡めた麺を噛み締めれば、じわりと味が広がるのがたまらない。
翠がラーメンを食べるのに集中し始めてしまえば途端に手持ち無沙汰になって、鉄虎はそこら辺に転がしてしまっていた自分の携帯を再び手に取る。何件か溜まっていたメッセージの通知は明日返すことにして、麺を啜る翠のことを眺める。なんの動物だか分からないキャラクターが描かれているTシャツ1枚を着て、下は下着だけでカップ麺を啜っているだけの姿でも、やけに目を引いてしまう。美形は何をしていても絵になるから得だな、と思う。それを本人に言ってやる気はないけれど。
「翠くん、それ何味ッスか」
「味噌バター味」
「珍しいッスね、翠くんに味噌とか好きなイメージあんまりなかったッス」
「パッケージと、買ったら応募出来るグッズが目当てなだけで味はどうでも良かったし……」
「相変わらず見境ないッスねえ」
麺を啜りながら、彼に言わせれば「ゆるい」キャラクター達がパッケージを飾るのを眺めてはだらしなく顔を緩めている。その様子を見ているうちに、コクのある塩気を口の中で何となく想像してしまって、こく、と喉を鳴らしてしまう。
「ねえ翠くん」
「?」
「一口食べたいッス、俺も」
目をぱちぱちと瞬かせてから、少しだけ眉間に皺が寄って唇を尖らせる。どこか照れたようなつっけんどんな口調で、自分で食べてよね、なんて言いながらずいとこちらにカップを差し出してくる。なんだそれは。まさか食べさせて欲しい、と言ったようにでも聞こえたのだろうか。気怠さはあるものの別に身動きが取れないほどでもないし。翠に手ずから食べさせて貰うなんて、流石に気恥ずかしい。
翠から箸と一緒に手渡されたカップ麺を受け取る。啜った麺はやっぱり食べるには早すぎたみたいで、いつもよりも硬さが残っているような気がした。