🌟が記憶喪失 その1階段から落ちる子どもを庇って自分が落ちて、その時に頭を強打して病院へ。目覚めて検査して異常は無さそうだと医者が判断して、病院から呼び出されていた司くんのご両親が僕へと連絡をくれて、僕から寧々とえむくんに連絡をして急いで病院に向かった。
先に2人が着いていたみたいで病室の前まで来ると微かに話し声が聞こえた。ノックをしたら司くんではなくえむくんが「どうぞ!!」と元気良く応えてくれて笑いながら入室する。
「誰だ」
突然の誰何に何を言うのかと彼を見れば、演技中を除いて今まで向けられたことのない不審者を見る目で僕を見ていた。
冗談かと思いたかったけど、自分が心配をかけさせた時にそんな事を言う人ではないし、声のトーンや眉間に寄った皺を見れば答えは明白だ。
僕と同じく彼が本気で言っていると気付いた2人が彼に僕の事を説明してくれているけれど、首を傾げたり横に振ったりして綺麗なくらい僕のことを忘れているようだ。
ナースコールを押して繋がった先に記憶に異常があるみたいだと伝えれば、急いで医師と看護師が部屋へと入って来て問診が始まった。
検査では異常は無かった。僕以外のことを覚えているということで心因性の一時的な記憶障害だと判断された彼は念のため今日は病院で過ごして明日からは今まで通りの日常生活に戻れるらしい。
けれど、今まで通りとはいかないだろう。彼は実家を出て僕と2人で生活していた。今の彼の中の僕は見ず知らずの他人になってしまったのだから、実家に戻って過ごすことになるだろう。
そう考えている間にえむくんが僕と彼の関係を全て話してくれていたようで、僕の左手の薬指を見て彼の表情が言外にこう言っていた。
あり得ない。
まるでドラマや小説のようだと他人事ではないのに他人事のように感じて。無意識に左手の薬指の指輪を左手ごと握りしめて、僕の代わりに怒ってくれる寧々と僕の代わりに泣いてくれるえむくんを宥める。彼だって好きで記憶を失ったわけでは、ない、はず、だから。僕がそう信じたいだけだけれど。記憶云々より伝えたい大切なことを笑顔で告げる。
「君が生きていてくれて本当に良かったよ、天馬くん」
ベッドの上の彼が何故か目を見開いた。上手く笑みを作れてなかったのだろうか?
理由はどうであれ、目覚めたばかりの彼に無理をさせてはいけないと病室を出る。そのまま少し歩いて何かが頬を伝う感覚に立ち止まる。
「類…」
「類くんっ」
寧々の瞳は潤んでいて、またえむくんが泣いてしまった。視界がぼやけて来て僕も泣いているのだとやっとわかった。
そう言えば、どうして僕は彼の名前を呼ばなかったんだろう?
「大丈夫だよ、類くん!」
「えむくん?」
「一時的な記憶障害だってお医者さんが言ってたもん!」
涙を拭って僕を元気づけようと無理矢理笑顔を浮かべるえむくんに同意するように寧々が頷く。
「記憶が戻ったらあのうるさい声で言ってくるんじゃない?名前で呼べって」
「…そう、かな」
天馬ではなく司と呼べ。敬称はいらん。付き合ってそれなりになるというのにもうそろそろ呼び捨てにしてもいいんじゃないか?というか呼び捨てにしてほしい。くんはいらない。司だけでいい。呼び捨てでお願いします。
脳裏で土下座までして呼び捨てを懇願する司くんを想像して思わず笑いが漏れる。
それはいいかもしれない。いや、そうなったらいいな。
その時までは天馬くんと呼び続けよう。
昨日、婚約指輪をくれた恋人が、今日、僕のことだけを忘れました。