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    space_jam0310

    @space_jam0310

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    space_jam0310

    ☆quiet follow

    こないだ上げた突発難聴ランガの対になるランガ以外が全部モノクロに見える突発色盲暦くんの話。
    人の顔色が見えるので顔色ばかり窺って生きてた暦くんが恋を知ってそれをやめることにする、という変な話。

    君のとなりで生きていく 雲が真っ白で、境界線がいやにはっきりとしているから、恐らく快晴で空の青はくっきりと濃いんだろう。
     空の青も山の緑も、夏はすべての色が濃い。なのに、俺の視界にあるのは白と黒と濃淡。グレースケールの世界。
     あれ、と思った時にはもう、俺の視界は特定の色しか捉えられなくなっていた。



    「――……月日、これ、何色に見える?」
     朝起きたら、視界に映る色がすべて少しずつ明度と彩度を落としていた。天気は快晴なのに、まるで大雨の日のように。
    「え? ……はっきりくっきり黄色だけど。なに、お兄ちゃんまだ寝てる?」
     手近に掴んだパーカーの色も判然とせず、今自分が何色を着ているのかちゃぶ台の斜め前に座る妹に尋ねると呆れたようにそう返され、咄嗟に取り繕う言葉を選んでしまう。どうこたえるのが正解だろう。
    「……ちょっと目が霞んで見えにくくてさ」
    「夜更かししすぎなんじゃない?」
     茶碗からご飯を口に運ぶ手を止めた月日の声が少しだけ心配を孕んだ。
    「はは、そうかもな」
     なるほど、黄色か。濃い目のクリーム色にしか見えなかった。こんな色持ってねーのにな、とか思っちまったわ。
    「あんまり無理しないでよ。怪我とかしたらシャレにならないんだし」
    「ま、すぐ治んだろ。どうしてもだめだったら病院にでも行くし心配すんなって」
    「別に心配なんかしてないし」
     照れ隠しか、つん、と目をそらされて曖昧に笑う。
     目を擦ってみても世界は何も変わらなかった。

     子どもの頃から、よく「しっかり者だね」と言われて育ってきた。下に妹が三人もいたし、勉強は苦手だが頭の回転が普通よりも少しだけ速かったので、どう行動すればいいのかはすぐに理解した。
     こう言えば、こうすれば、こう返せば。大抵の人は満足して笑うんだ。
     褒められるのは純粋に嬉しかったから、その行為になんの疑問も持たなかった。
     そして俺はいつの間にか、人の顔色ばかりを窺うようになって、いつからか、人の顔色が見えるようになってしまった。
     比喩表現ではなく、視覚的に。例えば、怒っている人の顔色は赤黒い。悲しんでいる人は青白い。俺はおかしくなっちまったんだろうかと図書館で本を読み漁ったりもしてみたが結局原因は分からなかった。
     多分精神的なものなんだろうとは思いながら人には話せなかった。恐らく、こんな突拍子のない話ですら俺が真剣に話せば無下に扱われることはないだろう。俺の家族や友人は、そういう人達だ。だが、せっかく築き上げたこの立ち位置が、文字通り他人の顔色を窺いながら作り上げたものだなんて知られたくなかった。
    『喜屋武暦は、しっかり者のお兄ちゃんなのだ』。
     それが呪いだとも気付かずに。
     そうして俺は、人の顔色を見ながら付き合いの塩梅を調整するようになった。多少のやんちゃも許される範囲が解っていた。
     それでも、スケートに乗っている間だけはそういった色から解放された。必死になれた。楽しかった。だから、どんどんのめり込んだし、顔色を気にせず接することが出来る友達もいてくれた。これは救いだったと思う。取り繕わなくていい時間は、俺にとってはとても貴重で代え難いものだった。
     その友達が、怪我をして、病室で見せた顔色は今でも忘れられない。
     昼間は色が多くてひどく疲れた。気にしなければいいのに、どうしても視界に入る色は無視出来ない。スケートに乗ってる時に気が散ると嫌なので、夜に練習する事が増えた。エスの開催が深夜なのはありがたかった。人工的な灯りは、人の顔色を隠してくれた。あの場所では、皆が普段と違う顔をしている。
     気付けばもう長いこと、人の顔に肌色を拝んでいない。自分の家族ですら。
     ただ一人、例外を除いて。

    「暦? まだご飯食べてる」
     背後からかかった声に振り返る。唯一、肌色しか見えない人物が立っていた。
     くすんだ世界の中でも彩度を落とさないまま。
    「おわランガ!? もう来たのか!?」
     当たり前のように喜屋武家の日曜朝の居間にいるランガに、しかし家族の誰ももう驚かない。
    「おはよーランガくん」
    「おはよう、月日ちゃん。9時には準備出来るって言ってたの暦だろ」
    「え、もうそんな時間か!?」
     さっきまでは俺を心配している紫だった月日の顔色が橙色寄りの赤になった。一応月日もランガの前では少しは照れるのだ。が、まああくまで本気ではない。
    「お兄ちゃん、何かあったらランガくんにも迷惑かけるしほんとあんまり無理しないでよ」
    「え? なに? 暦どっか調子悪いの?」
    「あー、大丈夫大丈夫。大したことじゃねーから」
    「暦ほっとくとすぐ無理するからなあ」
    「はは、滑れなくなったりしたら一番困るのは自分だからなー。そうなる前にちゃんと言うって」
     俺が言うと、月日の顔色はもう安心している薄橙色に。
     でもランガだけは、ずっと肌色。本当に心配してくれていたのか、もう納得してくれているのか、どうなのか分からない。だから俺は、ランガとの距離の取り方が未だに少しだけ分からない。
     なのに、どうして。
    「……ランガの髪と目、今日もきれいな色だな」
    「なんだよいきなり……。ほら早く食べてよ、今日行くとこちょっと遠いんだから」
    「わーったわーった」

     どうして、お前だけ褪せないまま色が残っているんだろう。



     最初は、近頃やたらとランガの髪が目に映るな、と思ったところから始まった。沖縄には不釣り合いな程に涼しい色は、ひどく印象に残っていたんだ。
     だからランガのボードを水色で塗った。これしかないと思った。それがランガのイメージカラーとして定着していくのが嬉しくて、けれど、何故か心臓がじくりと痛んだ。
     そこからだ。街中でも、水色や青ばかりが目についた。そしてその度、ランガを思い出す。唯一顔色が見えない存在。なのに、誰よりも鮮やかに見えた。そうして、ランガのことを考える時間ばかりが増えていってしまった。
     顔を合わせて話していても、今何を考えているんだろうか、どんな感情で俺に向き合っているんだろうか、声も表情も穏やかだから気分を害してはいなさそうだ、だとか、あ、今は少し怒った、だとか。
     幸いランガは(俺の把握している範囲では)裏表のない人間だったし、社交辞令も使うタイプではなかったので、顔色が見えなくとも人間関係の確立において困難はなかった。

     しかし、問題は程なくして訪れる。ランガと共に進級し、高三の生活にも慣れてきた初夏のことだった。
     梅雨は明けたというのに、俺の視界は梅雨時の日常のように薄暗いままだ。疲れ目かと思ったが、どんなに寝ても視界は変わらない。次に考えられる可能性はストレスか、と思ったが有難いことにそれも心当たりがなかった。多少の起伏はあれど生活はおおよそ順調だった。
     日常生活に支障がないのならばと放っておいたら日々を重ねるごとに周囲の色がどんどん霞んでしまって、やがて、ランガ以外の全てがモノクロになってしまった。
     初夏から夏へ移り変わろうというとある日の朝、目覚めて最初の違和感に、しかし驚きは小さかった。とうとう来てしまったか。いずれくるだろうと覚悟していた日が今日だっただけの話だ。世界の全てが色を失った。しかし。
    「……参ったなー……」
     目頭を押さえてひとりごちた。予想出来る可能性を思って、少しだけ途方に暮れる。

     よりによってランガとは。ランガに限っては色があろうがなかろうが関係ないというのに。

     色がなくなる、という生活は存外不便なものだった。
     信号の色が遠目から判別出来ない。スケートで滑る上で致命的だ。何より、人の顔色が見えない。――円滑な人間関係の維持において、これほど難儀なことはない。
     しかしこんな話を誰に出来よう。これを馬鹿にするような人間は自分の交友関係にはないと思っているが、荒唐無稽な話を信じるかといえばそれは別問題だ。
     色のない世界に怯えながら、それでも平静を装って過ごすほかない。幸いなことにもうすぐ夏休みだ。何の解決にもなりはしないが他人に迷惑をかける機会が減ると思うと気は少し楽だった。



    「暦、今日調子悪いだろ」
    「え?」
     予想通り、モノクロの視界の中、ランガだけが色を持っていた。
     モノクロの中にある鮮やかな色彩は嫌でも視界に入る。
     スケートに乗るのは危険だと判断し、徒歩で学校へ向かった。バイトは今日は休ませてもらおう。そう思っていた矢先、ランガに遭遇するとは思わなかった。手元には、相変わらず淡いのに鮮やかな水色。ウィールの音が聞こえないから、と気になって待ち合わせ場所から迎えに来たんだと言う。
    「そう見えるか?」
    「スケート乗ってないし」
     憮然とした表情でこたえたランガに少しだけ安堵する。
     多分、ばれてない。いや、ばれる筈がないんだ。どうせ信じてはもらえないだろうから。
    「あー少し疲れてんのかもな。視界が霞んでてさ。寝不足が目に出やすいんだよ、俺。霞み目でスケート乗るのは危ねーと思って今日は置いてきた」
    「じゃあ今日は歩いて行こうか」
    「悪いな、付き合わせて」
    「ううん、全然」
     ランガと並んで歩いていると、クラスの友人数名から声を掛けられた。暦、ランガ、おはよー。おー、おはよー。数学のレポート終わった? もう一息ってとこ。そういや今日の化学実験なんだけどさ。あー、それなら――。他愛のない会話だ。それでも、顔色が見えないとどこか緊張してしまう自分がいる。
     自分の受け答えは間違っていなかっただろうか。表向きには笑っているその顔に、不快の色は浮かんでいないのだろうか。
    「暦?」
     ひょい、と覗き込まれたランガの顔色は肌色。ああ、くそ、どうして。
    「うわ顔色わっる……ほんとに平気? 休む?」
    「や、大丈夫」
     取り繕ってみたところでランガを誤魔化せるわけがない。
     ランガは、勘もいいし何より俺の事なら俺以上になんでも察してしまうのだ。これは、高二の喧嘩をランガなりに省みた結果、らしい。お前は何も悪くなかったのにな。
    「全然大丈夫って顔じゃない」
    「……大丈夫だよ、お前が心配するようなことじゃないから」
     ランガに知られたくなかった。俺が、人の顔色を窺わないとコミュニケーションもろくに取れないような人間だなんて。
    「暦、ほんとウソ下手だな」
     ランガは俺の顔を覗き込んでにやりと笑った。見透かすような青い目は、今の俺の視界には刺激が強すぎる。
     いや、でも嘘はついてない。大丈夫だと思ってるのも本心だ。心配かけたくないのも。
     俺がこたえられずにいると、ランガはぴたりと足を止めた。
    「ランガ?」
    「帰ろ」
    「え?」
    「サボろ、今日。どうせ俺ら気にするような成績も元々ないんだし」
    「え、え? ランガ? マジで言ってる?」
     俺の動揺をよそに、ランガはさっさと踵を返した。
    「ほら早く来いよ。置いてくよ」
     置いていくも何も、サボりを了承した覚えも頼んだ覚えもない。それでも、自分と校舎に背を向けて歩く背中が、モノクロの世界で唯一色を持つその背中が遠ざかっていくのが何だかひどく悲しくて、思わず後を追いかけてしまった。
    「どこ行くつもりだよ?」
    「うーん……どこに行きたい?」
    「……どこ、って言われてもなあ……」
     連れ出しておいてそれはないだろう。そうは思ってもそれを口に出してしまえばたちまち興を削いでしまうことは明らかだった。
     とは言え、色のない世界で行きたい場所と言われても思い浮かばない。どんな景色を見たって今の俺にはモノクロでしかないのだから。
     しかし、連れ立って歩く間も何一つ思いつかなかった。
     ちょっと情緒が欠け過ぎてやいないか? いや、きっとある筈なんだ、行きたい場所や見たい場所が。
    「そういえば沖縄来てからなんだかんだバタバタしてて行けてないとこいっぱいあるな。よし、ちょっと案内してもらおうかな。行ったことないパーク行ってみるのもいいかも」
    「いや、だからランガ、俺は今滑んのはちょっと、」
    「心配しないで、俺がちゃんとサポートするから。暦は俺だけ見ててくれればいい」
     そう言って、モノクロの中たった一つの色彩が笑った。
    「……気付いてんのか?」
    「え?」
    「や、なんでもね」
     反応を見る限り、気付いてはいないようだった。だとしたら、ランガの純粋なお節介なのだろう。ぼーっとしてそうで存外面倒見がいい。そういえば宮古島に湯治に行った時もそうだった。
     ランガはなんて言うか天性のカンみたいなものが鋭くて、時々驚かされる。恐らくその感覚の所為で周囲の機微に敏いのだ。スケートの才も。なるべくして、ということなのだろうか。
    「一旦暦んち寄ってボード取って来よう。調子悪いの体の方じゃないんだろ?」
    「……ああ、うん。悪いな、面倒かけて」
    「全然。面倒だったら誘わないし俺が今日ちょっとサボりつい気分だっただけだし、――って言って信じる?」
     そういう一言一言にごく小さな気遣いが隠れている。
    「……じゃそーゆーことにしといてやる。共犯だ」
     口数が少なく無愛想なので誤解されがちだが、ランガ自身、心無い言葉で傷付いた経験があるのかもしれない。
     言葉選びが驚くほどに慎重なのに、意識してやっているようには見えなかった。
     それこそ、本心なのだから、と言外に含んで。
     また、心臓が痛んだ。しかし、今回は前に感じたような痛みとは違う。どこか甘さを孕んだ痛みだった。
    「……あ、そうだ」
    「どした?」
    「じゃあ俺行きたいとこあるから付き合ってくれる? 俺バイク運転する」
    「……別にいーけど……バイク出すほど遠出すんのか?」
    「ちょっと距離走るからボード取って来るついでに着替えて来て。俺も着替えてくるから」
    「着替え?」
    「平日の昼間に制服でうろうろしてたら補導されちゃうかもだろ」
    「あーそれもそうか……解った。じゃあ着替えたら改めて集合、っつーことでいいか?」
    「うん。じゃ俺も着替えたら迎えに行くね」
     いやなんかやたら甲斐甲斐しいな。まあバイク持ってるのはランガだしそんなもんか。
    「じゃあ用意が出来たら連絡してくれ」
    「OK」
    「じゃ、また後で」
     俺が言うと、ランガは鞄からボードを出して滑り出した。
     その背中が見えなくなって、再び俺の視界は全て無色彩になった。一つ溜息を漏らす。もしも感情に色があるのだとしたら、今の感情はまるでコールタールのようだな、と思う。
     吐き出す声さえモノクロになってしまったような気がした。



     こっそり窓から部屋に入って、着替えと準備を終えランガにチャットを送った。少しあって、返信を伝える振動が机を揺らした。
    『今迎えに行く』
     俺の目が見えにくいんだと言ったからだとしても面倒見良すぎじゃね?
     とは言え、例え近距離でも移動が不安であることに変わりはない。
     ランガの申し出はありがたく受けることにする。
    『了解、待ってる』
     そう返して、スマホをボディバッグにしまった。少し待っていればランガはやってくるだろう。
     どこへ連れて行くつもりなんだろうか。
     顔色が見えないというのもあるが、ランガは時々本当に何を考えているのかわからない。いや、裏表がないし比較的感情を表に出すタイプなので解りやすい男ではあるが俺の理解の範疇を易々と超えるのだ。
     白黒になってしまった自分の手を握り、ゆっくりと解く過程を数度繰り返してみた。白黒にしか見えないのにここに血が通っていると思うとひどい違和感だった。
     塀の外で待とうと窓から顔を出したところでエンジン音とブレーキ音が聞こえた。見下ろすと、ランガがこちらを見上げてから何かを打ちかけていたらしいスマホを下ろした。恐らく到着を知らせるチャットを俺に送ろうとしていたのだろう。
    「今降りる」
     窓からそう声をかけると、ランガは頷いてオレを待った。
    「家族にバレてない?」
    「おー、問題ない」
     この状態で滑るのかはとりあえず置いておいて一応ボードを背負ったまま俺はタンデムシートに跨る。ランガは地図を確認していた。
    「まあまあ長時間になりそうだからしんどかったら言って、休憩も取りながら行くけど」
    「悪いな」
    「だから謝らなくていいって」
     確認していた地図をしまうと、ランガはエンジンをかけた。
    「まあのんびり行こう」
    「行き先くらいは聞いといてもいいか?」
    「んー……恩納村方面」
     振り返らないでランガはこたえた。
    「恩納」
     なんでまたそんな。リゾート地だ。学校をサボってまで行くにはいささか相応しくない気がする。
    「ビーチ? 水着はさすがに用意してねーぞ」
    「さすがに今日はそれが目的じゃないよ。それはそれでまたちゃんと準備して行きたいけど」
    「お前去年の宮古島めちゃくちゃエンジョイしてたもんな、夜は置いといて」
     俺もランガもかなり楽しんだ、昼までは。夜は、うん、まあ、……うん。
    「夏休みになったらまたどっか行きたいな」
    「いや俺ら一応受験生だからな」
    「えー受験勉強するの? 暦が?」
     中々にあけすけで手厳しい。だからこそランガとは顔色を気にせず付き合っていけるんだろうか。
    「ただちょっと暦と走りたいのと見たいものがあるから」
    「見たいもの?」
    「行けば解るよ」
     そう言ってランガは軽快に走り出した。



    「暦とこうやってただ走ったりってしたことなかったなって思って」
     海岸線を走りながらランガが言った。確かにバイクで出掛けるのは大抵配達かエスに行く時で純粋なツーリングはした事がなかった。
     ランガに任せたままバイクは走って、途中寄り道をして昼食を取ったり周辺を探索しながら、としていると到着する頃には夕方になっていた。

    「なーランガ、もう夕方だぜ?」
    「だね」
    「だね、ってお前……」
     ただツーリングに誘ってくれたんだろうか。まあ確かにいくらか気は晴れた。
     エメラルドグリーンである筈の海は果てしなくグレーで時折滅入ったりもしたが、目の前のランガを見ると色を思い出せて安心した。
    「体調どう? 疲れてない?」
     駐輪場にバイクを停めて、ランガがメットを外しながら言った。
     見上げる空は相変わらず灰色だったがコントラストの強さで夏の晴天であることが分かる。それから、目の前の男を見る。眩しいな、と思った。
    「ん、かなり休憩も入れてくれたし大丈夫だ。ありがとな」
     ランガに導かれるままついて行くと、絶壁に出た。ああ、万座毛に来たかったのか。
    「結局不調って何なの?」
     きょろ、と周囲を見回しては歩くランガが、隣を歩く俺に訊ねた。
    「あー……ちょっとな、目が」
    「疲れ目?」
    「……色が、」
    「色?」
     ランガの声色が少し変わった。訝しむ声だ。そうだ。ランガに言ってどうすんだ。仮に信じてくれたとしても困惑はするだろう。
     灰色の手のひらを強く握る。話してみたい、理解を得たい、そして、お前だけは色褪せないと伝えたい。けど。
     言ってどうする、と言い聞かせる。
    「いや、悪い、忘れてくれ」
    「聞いて欲しくないなら聞かないけど……暦、話したいけど話せない、って顔してる」
    「――……、それ、は、」
    「まあいいや。――……あ、あの辺よさそうだな。ちょっと座って話さない?」
     緩く俺の手を引いて、ランガは先を指した。陽が傾き始めて更に霞む視界の中、ランガだけは鮮やかなままだ。むしろ、彩度を増しているような気さえする。
     ランガの、冷たいようでいて熱いところがとても好ましいと思う。熱帯の森に棲む獣のようで、好きなんだ。 ――……好き?
    「暦ー、早くこっち来いよ。あ、目があれか、手引く?」
     立ち止まってしまった俺を振り返ってランガが手を差し伸べた。さすがに手を引かれるのは遠慮するが。
    「あ、ああ、悪い」
     俺は、今何を考えてた? 好ましい、だけで止まらなかった、この感情はなんだ?
    「…………悪い、」
     小さく呟いて、ランガの背中を追った。



     断崖の上に二人で腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めていた。その間、色々な話をした。スケートの事やエスの事、受験の事、東京の大学も視野に入れている事。
     傾いた太陽が海に飲み込まれ始めるまで。
    「――あ、そろそろ日没近いね」
     ふとランガが言って、顔を上げた。
    「これが見たかったんだ。付き合ってくれてありがと、暦」
     ランガの視線を追うように、顔を上げる。
     夕焼けだ。あかい、燃えるような夕焼けだった。
     灰色の視界の中、ただ、真っ赤な夕焼けと、ランガ。失くしたと思った色が、心の奥に、ひとつ咲いた。真っ赤な、これは、そうだ、俺はこれを知っている。
    「…………すげーな」
    「夕焼けが見下ろせる場所ってそうそうないだろ」
     まるで世界が終ってしまうかのようだ、と思った。灰色の視界と、その視界を埋めるように燃える赤、そして。
    「……ランガ、俺の話聞いてくれるか?」
     聞いて欲しいと思った。この、唯一の極彩色の中にいるランガに。
    「暦が話したいなら」
     少し笑ってランガはこたえた。
     何から話せばいいんだろう、と考える俺の視界の隅に鮮やかな水色が映った。
    「……色が、なくなったんだ」
    「え?」
    「突拍子もないと思うかもしんねーけど聞いて欲しい。大前提として、俺は人の顔色が見える。例えば、怒ってる人は赤黒かったり、落ち込んでる人は青白かったり」
    「……普通じゃない?」
    「ベースカラーが肌色じゃねーんだ、本当に絵具で塗ったみてーな。顔以外の部位はちゃんと肌色だから本当に俺は文字通り『顔色を窺って』生きてた」
    「過去形か」
    「言っただろ、色がなくなったんだよ」
     太陽が徐々に水平線に沈んでいく。赤色を濃くしながら、ゆっくりと。正円はやがて半円になった。
    「顔色だけじゃない、全部の色がなくなっちまった。景色も、建物も、何もかも、ぜーんぶ灰色になっちまったんだ」
    「あー……信号の色とかわかんないと危ないよな、それでスケート乗ってなかったのか」
    「信じんのか?」
    「だって暦嘘ついてる感じじゃないし」
    「心底おかしくなってて自分で信じ込んじまってたら自分にとっては嘘じゃねーじゃん?」
    「暦、自分がおかしくなってると思ってるの?」「……そりゃあ、なあ、……おかしいだろ?」
    「どうだろうな。そんな事言われたら俺もゾーンだとか父さんの幻覚とか結構眉唾経験してるし」
     そう言ってランガは肩を竦めた。
    「……解ってんだ、他人の顔色窺いながら生きるなんて馬鹿げてる。でも、どうしようもねーんだ。顔色が見えなかった時のことなんかもう覚えてない。顔色が見えなかった頃、俺はどうやって人と向き合ってたのか、もう、」
    「……リセット、でいいんじゃない?」
    「え?」
    「暦今朝クラスの友達と普通に喋ってただろ。あれでいんだよ」
    「……簡単に言ってくれるよなー」
     わしわしと後頭部を掻きながら溜息を吐いた。それが出来れば苦労はしない。
    「ちなみに俺の顔色も見えてたの?」
    「それがなー、どういうわけかランガだけはずっと顔色が見えねーんだよ。しかも、色がなくなった今もランガだけはカラーなんだ、不思議だろ?」
     そうこたえて笑うと、ランガが何かを言いかけてから言葉を飲み込んだ。
    「じゃあ俺だけは顔色見ないで付き合ってたワケだ」
    「そうそ。だから、ランガと話す時は結構困ったよなー。でも顔色気にしなくていいっつーのは逆に気が楽でもあったけど」
     話していると、沈んでいく夕日が、ただの赤だったように見えていたのにオレンジと赤のグラデーションになった。また、一つ色が戻った。
    「ふーん……」
    「昼間はさ、色が多くてすげー疲れんだ。夜になると色が減って、なんつーか安心する」
    「色が見えすぎるっていうのも困りものなんだな。暦、それって色が見えすぎて一つ一つが認識出来なくなっちゃったから色が消えたんじゃない?」
     視線の先で、青とオレンジが混ざり合った。黒に見えていた部分が濃紺になった。その上に月が浮かんでいる。黄色。一つ、また一つと心の奥に色が咲いていく。
    「……そうなのかな」
    「確かに暦はちょっと気張りすぎなとこあるからなあ。あんまりいっぱい処理しようとするなよ。全部なんて拾わなくていい。自分の手の届く範囲で、顔色なんか見なくても話が聞けるやつのことだけちゃんと分かってればいいんじゃない?」
     夕陽の中で笑うランガが、鮮やかで、触れてみたい、と思ってしまった。でも、触れてしまえば、ランガはおかしく思うだろうか。ランガはとても勘がいいから、俺の感情なんかすぐに察してしまうかもしれない。気付かれないようにしなければ。
    「……ランガはすげーな」
     どうしようもない感情に気付いてしまった。俺は、ランガが好きなんだ、どうしようもなく。
     だから、ランガだけは色褪せない。
     気付いた瞬間、洪水のように視界に色が溢れた。彩られた世界は美しく、圧倒的で、まるで何かを祝福しているかのようだった。
     ランガからどこへ行きたいかと問われても何も浮かばなかったのは、ランガと一緒ならばどこでも良いからだ。ランガと一緒にいられるだけでどこにいたって満たされてしまう。
     とても簡単な話だった。ランガだけ顔色が見えなかったのは、俺が見たくなかったからなんだ。好意的なものばかりではないかもしれないその感情を汲み取ってしまうのが怖かったから、そんなつまらない理由だ。
    「別にすごくないよ。他人の顔色とかどうでもいいと思ってるから友達も少ないし……暦の方がよっぽどすごい」
    「そんなことねーって。俺はいつもお前の優しさに助けられてるよ。お前は自分で思うよりもずっと周囲から信頼されてる」
    「……暦に言われるとなんか照れるな」
     手の甲で口元を隠すランガの顔が赤い。夕陽のせいだろうか、それとも。
    「あ、ランガ、ほら」
    「な、なに」
    「上!」
     そう言って人差指を上に向ける。示す先は空だ。
    「うわ、すっごい」
     満点の星空だ。ここまでの星は街中ではそうそうお目にかかれない。
    「やっぱり海岸だと明かりが少ないからよく見えるね! ねえ暦、あれ天の川じゃない!?」
     珍しくはしゃぐランガを見て、心臓の辺りが暖かくなるのを感じた。夜の空気は澄んでいる。
     月と星の光が明るくて、何かを想起させた。
    「……光に似てるんだ」
     モノクロの世界でただ一人色を持つそれは、暗闇の中にある光に似ていた。
     どんな色彩の中でも光は明るい。色が戻った視界の中でも、相変わらずランガだけが鮮やかで眩しかった。ランガを見ていると、ストロボのようにチカチカと光が点滅と明滅を繰り返した。
    「似てるっていうか光ってるだろ? 何言ってんだよ?」
    「はは、何でもない。おっ、ランガ、流れ星だ!」
    「うそ!? どこどこ!?」
     ランガは必死に天空を凝視したが、見つけてから声に出して探す頃には消えてしまっているのが流星というものだ。
    「あー消えたな」
    「あー……」
    「これだけ星がよく見えんだ、またすぐ見れんだろ」
    「うーん……、でもさすがにもう時間がやばいよ、暦。そろそろ帰ろ」
    「バイクだと帰りちょっと寒いかもなー」
    「あーラーメン食べたい」
    「いいねえラーメン」
    「帰り食べてこっか」
    「だな!」
    「――……あ、」
    「ん?」
    「流れ星! 流れた! 今!」
    「マジで!? やったな、ランガ!」
    「よし、思い残すことはない! 帰ろう暦!」
     ランガに手を引かれ立ち上がり、二人並んで歩き出す。
    「今度は流星群の時にでも来るか」
    「そんな絶対見えるって保障されてる時に見えたって仕方ないよ。普通にしてたら見えない時に見つけるから意味あるんだろ、こういうのって」
    「…………なるほど」

     なるほど。目からうろこが零れ落ちる気分だった。そうか。どんなに色が溢れてもランガだけが一際鮮やかに見えてるのと同じなんだな。
     ランガの選ぶ言葉は、何気なくて意識もしていないだろうに時折思いがけない程にセンスがいい。

     夕陽がすっかり沈んでしまうと、濃紺の下には無数の灯が光っていた。この光の下で、これからも俺はランガと生きていく。
     何の根拠もないが、なんとなく、すべてはうまくいくような気がした。
     だって、世界はこんなにも鮮やかで明るいのだから。
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