無題(あるいは大いなるヒント)「霧谷くんさー」
UGN日本支部。その総責任者(トップ)の仕事部屋である支部長室。
その応接ソファーの背もたれに腕を乗せ、私立探偵は仕事の手を止めることのない、いかにも生真面目そうな男へ話しかけた。全体として品よくまとめられた支部長室のなかで、その行儀のよろしくない姿勢は明らかに異物であったが、探偵はまったく意に介せず、支部長の席に座る男へ、気だるげな声で話しかける。
「恋バナとかないの? 別に現在進行形の話じゃなくてもいいよ。昔の思い出とか。初恋とか」
男の手が一瞬だけ動きを止め――すぐにまた澱むことなく動き始める。
「それは何か、あなたの仕事の役に立つのですか?」
「あ、『ない』とは言わないんだ。へえ」
探偵がにんまりと口元に笑みを浮かべる。揚げ足取りでしかない言葉だったが、探偵を職業としている彼にそう言われると、僅かながら不安になる。
「……ありません」
「つまんないなぁ!」
改めて否定した男の言葉に、探偵は背もたれから体を離し、今度はソファーに寝転んで、ばたばたとだだをこねるように腕を振り回した。成人男性の振る舞いではない、と男は眉をひそめかけたが――そこにいる探偵がそもそも人間でないことを思い出す。あれはレネゲイドビーイングで、概念が形になったものだ。その根底にある「概念(レジェンド)」が何であるか、男は未だ把握できていなかった。
「――知りたい?」
いつの間にか探偵は子どもじみた動きをやめて、力なくソファーに寝そべっていた。
声に出していないはずの自分の思考を前提とした台詞に、男はス、と表情を消した。
「はい。不確定要素は、なるべく省いておきたい」
「……」
「……」
「今まで何回もヒントは与えているつもりなんだけどな。ま、いつかね」
「できれば速やかにお願いします」
非難の滲む男の声に、探偵は潮時かと体を起こす。立ち上がってガラスのローテーブルに置いていた帽子を被ると、男から渡された事件資料を手に取った。
「それじゃあ3日でどうにかするよ。仕事をしていれば文句ないだろう?」
「そういうわけではありませんが……。しかし、協力的であるうちは、深追いしません」
事件資料をひらひらさせ、探偵は軽く肩をすくめた。
「昔みたいに実験、実験はもうイヤだなあ。それじゃあまたね」
探偵が出て行くと、男は小さくため息をついて、探偵がぜひ読むといいと置いて行った少女漫画の表紙を撫でた。
――ヒントは与えているつもり、か。
漫画、学生、青春、学校、怠惰、真実……。
いくつかの単語が頭をよぎるが、どれもしっくりこない。あれは一体、何なのだろう。