無題 自分の心情で周りの人間が振り回されるのが、とても嫌だった。
私は小さい頃から、小賢しいもので、自分の感情など表に出すべきではないと勝手に決めつけていた。一人っ子であることに咥え、唯一の家族である母は私を育てるため働きに出ていた。笑ったり泣いたりしても、それを見る相手がいなかった。自然と、一人でいる時は無表情だった。これが、仮面(ポーカーフェイス)の基盤になった。
私に構うことをしなかった母を責める気はない。何故なら私が一人でぼんやりと過ごしていたことが誘因になったとはいえ、無表情を選んだのは結局私だからだ。
小学校にあがる頃には、感情を表に出さぬよう、常に注意していたと記憶している。とはいえまだまだ子どもだ、よくケンカして怒っていた。笑うこともまあまああったはずだ。ときたま漏れてしまう表情のせいで、担任にも同級生にも「大人びた子」程度に映ったらしい。笑わない子どもは不気味がられるだろうが、私は頼れる友人という枠に収まった。
中学生にもなると、かなりポーカーフェイスを保つ技術は進歩していた。大体の時間を変わらぬ表情で過ごせるようになっていた。こんな無表情では友達ができないかもしれない、もしいじめられたらどうしようと考えていたが、私の悲観で構成された想像と、実際の学校生活は運良く違っていた。何の力が働くのだろう、中学生になった途端、皆、大人であることがかっこよさに直結しているとみなし始めた。
すると私のポーカーフェイスは大人っぽい態度として評価されたのである。周りは私のことを、落ち着いた、他とは少し違う人と認識した。難しい問題や悩みなどをぶつけて、お前ならどうするのだと答えを求めた。私はあれこれせわしく考えてようやく自分の意見らしきものをひねり出すのだが、その間も無表情なために、それがいきなり浮き出たものとして受け取られた。そして「ううんさすがだ」と、腕を組んだりする。
何度かこの仮面を外してやろうかと考えた。しかし私の学校での立ち位置が大人びた少年、つまり絶対のポーカーフェイスであったので、どうしようもなくなった。ここでぶち壊したりすれば、皆、私を軽蔑するだろうと、私は弱々しく仮面の下で怯えていたのだった。
この思いを悟られてはいけない、と私はさらに感情を隠した。
私の言葉は正しいと純粋に信じる彼らの眼差しに、どれほど恐怖を感じていたか。それは誰も知らない。
母は私が学校へ行き、普通に会話してくれることだけで満足のようだった。相変わらず日中は家にいなかった。一人息子が部活に入らず、授業が終わるや否や逃げ帰って感情の整理に苦しんでいたことなど、知る由もなかっただろう。
すべては自分の選択なのだから、仕方なかった。
実にうまく、私は仮面を作り上げた。
現在の私は、ほぼ無意識のうちに感情の起伏を内だけで処理している。少し深く息を吸い込めば、大概の動揺は抑えられる。だからこそ、武田の言葉は衝撃だったのだ。
小賢しい。天才に勝てるものか。
私は判を押す手を止め、机のそばに立ったままの玉木を見上げた。玉木は自分の本音を吐かずにうまく組織の中を立ちまわる、ある意味私の部下らしい人間だ。表情がコロコロと変わるのでおもしろい。笑ったかと思うとすぐ怒っている。今回の私の異動にも、文句を垂れつつ、ついてきてくれた。