物理的に距離を取る弟 思い出してしまった。ビリビリと紙が破ける音と共に、風に舞ってその敗れた破片が何処かへ飛ぶところを、まるで自分の事でないかのように見たまま、思い出してしまった。
「こんなことより勉強しろ」
思い出したら不思議と言われた意味を理解出来た。こんなこと。なるほど。兄貴にとってこれは「こんなこと」なのだと。
ぐらりと視界が反転する。だが倒れるほどではない。浅くなる呼吸を何度か繰り返した。
こちらに向かってくる友人。取り押さえられる兄。ただ茫然と、呆気にとられる体育館。兄貴の怒鳴り声だけが響いていた。
思い出したのだ。思い出してしまった。だから今度は傍にいてはいけない。
体育館から出てすぐに理事長室に向かい退学届を出した。優しい顔をした理事長がただ困ったように俺に話しかける。
「今は気持ちの整理がつかないんだね。落ち着いてからもう一度話をしよう。それまでは私が預かっているよ」
正式な退学届ではない。破いたノートに殴り書きした効力のないただの紙だ。だけどそれを理事長は大事に机の中へとしまう。その優しさが全てを理解しているように見えた。
「後の事は私に任せて、早く行きなさい。でもきちんとご両親には話をするんだよ。玄弥」
理事長の言葉に返事を返せなかった。返したらそうしないといけないと思ったからだ。だけど理事長の言う言葉も分かる。ここで勝手に出て行ったら学校側に責任が出てしまう。そう言う意味ではないとは分かっているけど、事実そう言う事なのだ。
誰も居ない教室に戻って鞄を持って学校を出た。机の中の教科書とか、廊下のロッカーの中身とか、そこまで頭は働かない。ただ一刻も早く離れなければいけなかった。
今どき、授業中だろう時間に制服を着た生徒が電車に乗ろうがバスに乗ろうが気にする人はいない。早退だと思われているのだろう。その方が都合は良い。
帰りながらせめて家の誰かに伝えてからと最後の良心が動いた。母親は駄目だ。すぐ見つかってしまう。あの母親は優しいから捜索願も出すかもしれない。それでは駄目なのだ。
だから不携帯常習犯、さらには滅多に俺たちからの連絡を見ようとしない父親にメールを送る。
家に帰って着替えをして、それから貯金箱のお金を小さなポーチに詰め込み、三日分くらいの着替えを持って部屋を出た。部屋の机の上には唯一の連絡手段である携帯電話を置いてきた。唯一の身分証でもある学生証も置いてきた。定期も置いて来たし、保険証は親が持っているからいいや。
とにかく、早くこの家……あの人から離れたかった。離れなければならなかった。だって俺がいるせいであの人は幸せになれないのだから。