「で、誰が一番強いんですか?」
新米速記官の無邪気な一言で、軍議の間は凍りついた。
「おまっ、馬鹿っ、口を閉じてろっ」
「痛って!」
背中をはたかれ、新米は隣に座る先輩の速記官に向かい文句をつける。先輩は更にもう一発を後輩に入れ、席の準備をしていた官吏らは真っ青になって扉を見た。
廊下に続く扉は開け放されている。その先にはヒトひとりおらず、此処を使う予定のヒトたちは未だ来ていない。助かった、と、部屋の誰もが胸を撫で下ろす。
先輩速記官は大きく溜め息を吐き、
「お前、その話は宮中では止めとけよ。まずいから」
「なんでですか?」
唯の雑談だ。
ヤマトに仕える数多の将、その中で最も強いのは誰かという、子供っぽいと言えば子供っぽい、益体もない話題だ。
先輩は苦虫を噛み潰した顔になり、「じゃあ聞くがな」ぼそぼそと後輩の耳元で囁く。「お前、誰と誰を比べる?」
「そりゃあ」
囁きにつられ後輩も声を落とし、
「軍略ならばライコウ様、鉄壁の護りというならムネチカ様ですけど、やっぱり『強い』というなら戦場での武勇でしょう」
そうなるとやっぱり――後輩は目に少年めいた憧憬をきらめかせ、「右近衛大将オシュトル様、八柱将『豪腕の』ヴライ様のどちらかじゃないですか?」
「左近衛大将ミカヅチ様は?」
「あのヒトちょっと地味じゃないです? オシュトル様に比べて」
「……うん、お前、今日がミカヅチ様の参内日じゃなくて良かったな」
先輩が眉間を揉む。卓の用意をする官吏らはといえば、なるべく関わりたくない風に背中を向けている。
「後輩、宮中勤めの浅いお前に忠告してやる――強い、弱いの話は、絶対にするな。特に、ヴライ様のいらっしゃる時には」
絶対に、と繰り返す先輩に、後輩もやや気圧される。
「……何かあるんですか」
「……宮中勤めなら皆知ってる話さ」
そうして先達が語ったのは、かつて宮中にて開催された天覧試合の話、そこで起こった二人の仮面の者の激突と、現在まで続く因縁であった。
「というわけで、ヴライ様はオシュトル様に負けたことをずっと根に持ってるのさ。そんなヴライ様にオシュトル様とどっちが強い云々なんて聞かれてみろ」
「ど、どうなります」
さすがに血の気の引いた様子の後輩に、先輩はようやっと分かってくれたかと一息つき、「さあな。首でも引っこ抜かれるんじゃないか?」
「ひえっ」
首をすくめる後輩の耳を、ばしん、と高い音が叩く。
咄嗟に目を遣れば、官吏の一人が速記官らを睨んでいた。先程の音は布巾を卓に叩きつけてのものだったらしい。
「何ですか」
「……」
別の官吏が腕を引き、射るような視線は逸らされる。
何だったのだろう。後輩が首を傾げるのと、
「卑怯な手でよく『勝った』と言えるものよな」
独り言にしては大きな呟きが届くのとは同時だった。
やめろよ、と官吏を諌める声が軍議の間に流れる。先輩速記官が立ち上がりかける。あからさまな敵意を込めて睨み合う二人に、後輩の速記官はうろたえるばかりで。
「大老ウォシス様の入室です」
若い小姓の声に「救われた」と感じたのは一人ふたりではなかったはずだ。
ウォシスを皮切りに続々揃うヤマトの将。その面々でも特に目立つのは、帝より賜りし仮面を着ける二人の男。
澄んだ、一部の隙もない清廉さを纏うのは、その武勇と公明正大さで知られる右近衛大将オシュトル。
圧倒的な巨躯と威圧感とを誇るのは、屠った敵の数は比肩する者なき猛将、『豪腕の』ヴライ。
二人の間で、ばちり、と空気が弾ける。オシュトルの僅かな目礼に、ヴライの無言で踵を返すさまに、確かに、ひりつく気配を感じた。
(なるほど、これはうかうかと話せやしない)
発端となった後輩速記官は納得し。ちらりと隣を、先輩を見る。
官らしい礼節の下から見え隠れするのは、オシュトルへの敬愛とヴライへの侮蔑だ。
きっと、今は大老の傍に控える官吏も同じ表情をしているのだろう。敬愛の対象と侮蔑の対象を、そっくり入れ換えて。
――なるほど、これはうかうかと話題にするもんじゃあない。
速記官は納得し、忘れまいと心に刻み。己れの職務を遂行すべく筆を取った。