八柱将『豪腕の』ヴライ。ヤマトの矛とも呼ばれる猛将はヒト付き合いが悪いことでも有名であった。
そんな彼でも僅かながら私語を交わす相手がおり、その一人が左近衛大将ミカヅチである。将と将、武人と武人、仮面の者と仮面の者たる二人がどんな話をしているのかというと、
「貴様の部下は休みを取っているのか」
ミカヅチの問いにヴライが無言で視線を向ける。周囲にもやが揺らめいているのは火神の猛り、というわけではなく、単に此処が蒸し風呂だからである。
二人きりとはいえ、鍛練の熱冷めやらぬ武人で室内は非常にむさ苦しい。そんな中ミカヅチは顎をしゃくり、
「貴様の所の副官だ。何時も引っ付いているだろう」
扉の外に控えるヒトを指した。
ヴライは唯でさえ深い顔の溝をますます深める。余計なことを、と言わなかったのは、思い当たる節があったからであろうか。
ミカヅチがフフンと笑い、
「部下への心配りも将の役目であろうぞ」
「誰からの受け売りだ」
「正真正銘俺の考えだ」
あえて言うなら、同僚である右近衛大将に「上の者が休んでみせるのも肝要だ。上が休まねば下も休めぬからな」とドヤられたからだが――その発言者は『休みだから何をしようと某の自由』と称し身分を偽っての市中見回りに精を出しているのだが、それはさておき――、彼の名を出すとヴライがへそを曲げるので黙っておく。機嫌が悪くなるのはどうでもいいが、蒸し風呂の温度が上がるのは厄介だ。
くだらぬ、とでも言いたげに腕組みするヴライ。汗に濡れた筋肉が、きちり、と鳴った。
「子供の遣いでもあるまい。己れの休息なぞ己れで決める」
「とはいえ、部下の方からは言い出しにくい場合もあるだろう」ミカヅチが軽く頷く。「俺の小姓なぞ、休めと告げた途端に『休みなんて要りません!』『粗相がありましたら直しますから、お側に置いてください……』と泣いて頼んできたわ。クク、忠義の過ぎる奴よ」
加虐に溢れる笑みは、その実本気で喜んでいる。ヴライが「それは信用されていないのでは」と指摘しなかったのは、単に面倒だったからだ。
「まあ休息は悪いものではない。一度与えてみろ。俺の小姓も以前よりはりきって働いておるわ」
暇を出されるのを警戒しているのでは?とヴライは思ったが、口にはしなかった。面倒だったので。
後日。
同じ蒸し風呂で、同じようにミカヅチとヴライが鉢合わせた日のことである。
「おう、それで、休みはやったか……なんだその面は」
渋いを通り越して凶悪なご面相の同僚へ、ミカヅチは全く臆するところがない。ヴライは苦虫を噛み潰した顔のまま、
「告げた」
「ほう」
「休みは要るかと。そうしたら『誰に唆されたんですか?』と」
「……は?」
そう。
ヴライに長く仕える部下は、ほぼ初めてかもしれない主からの気遣いに、あろうことか猜疑の目を向けてきたのだ。
「誰に吹き込まれたんですか?」「ミカヅチ様? あの方が迂遠な手を使うとは思えませんが……後ろにライコウ様がいる可能性も……」「宮廷で何か動きがないか調べます」
部下ときたらぶつぶつ独白の挙げ句「私を貴方から引き離す案に、絶っっ対に! 耳を貸さないで下さいね! 貴方ひとりで政に関わる判断をせぬよう!」と釘を刺してきた。まるきり幼児に対する母親の態度である。
「ぶははは! 信用されておらんなァ!」
ゲラゲラ笑うミカヅチにヴライは歯を噛み鳴らす。「下らぬ政なぞ、武人には不要」との言葉も負け惜しみに響く。
笑い声が、蒸し風呂の温度が急上昇したことへの悲鳴と罵倒になるまで今少し猶予があった。
余談であるが。
後日、友人の妹を自宅に招いた左近衛大将がかの少女に滅茶苦茶に警戒され「もしや俺はヒトに信用され難い性質なのでは……?」と小姓にこぼしたところ「今更気づいたんですか?」と返され、大層落ち込んだとか。
ヤマトが割れる前の。ただの、余談である。