君の隣に立つキセキ【その続きは、いずれまた】
ふわりと意識が浮上する感覚と共にゆっくりと瞼が持ち上がる。体内時計で7時間、いつもよりも少し早く目が覚めてしまったようだ。起きたばかりで眠たそうな愛しい使い魔の頭を撫でつつ、棺桶の蓋をそっとずらして部屋の中を見渡す。居住スペースの電気は消されており、人の気配は無い。
「おはよう、ジョン。今夜も良い夜だね」
「ヌー!」
「ふむ、若造は事務所かな? まぁいい。せっかく早起きしたんだから、ちょっとからかいに行ってやろう!」
今日は一日、事務所を休業日にすると言っていた。であれば、何か書類仕事でもやっているのかもしれない。一段落してしまう前に急いで準備をしなければ 若造で遊ぶ時間がなくなってしまう!
「ロナルドくん、な~にして……アレ?」
急いで身支度をしてから事務所への扉を開け放つ。電気はついたままのようだが、事務所内には誰も居ない。急な依頼か、小腹が空いてヴァミマにでも行ったのだろうか? 何にしろタイミングの悪い男だ、すっかり興が削がれてしまったじゃないか。戻ってゲームの続きでもやろっかな。
「ヌヌヌンヌヌ?」
「ん? 何か気になるものでもあったかい? ジョン」
ジョンが指差す先にあったのは乱雑に散らかった若造のデスクのようで、何通もの封筒が机の上を埋めつくしていた。
「五歳児ゴリラのくせして、ラブレターでも書く気だったのかね」
「ヌッヌヌー」
「当たって砕けろ戦法なんじゃない? 面白そうだからこの書きかけのやつとか読んじゃお~! 置いておく方が悪いもんね~」
「ヌ~!」
ジョンを肩に乗せ、まだ封筒に入れられてない書きかけの手紙を手に取る。近くに避けられていたものと合わせて、3枚くらいありそうだ。ワクワクとした表情の使い魔と共に手紙を覗き込み、文章を読み上げる。
「え~何なに? 『ジョンとドラルクへ。この手紙が手元に届いたって事は、恐らく退治人組合側で俺の死亡が確認され――』……えっ?」
肩口で、ジョンの悲鳴が小さく聞こえた。は? 俺の死亡? いや、だって、あの若造まだ生きてるし。今日はまだ見かけてないけど、そんなの、だって、聞いてない。
「…………ッ」
ハッとして机に積まれた封筒の宛名を確認する。オータム書店のフクマさん宛、吸対のメンバー、退治人仲間たちに宛てたもの。それから、彼の最愛の兄妹の名前まで。そうか、これは。
「……遺書、か」
言葉にすると、途端に手紙の重みが増した気がした。なるほど、ここにある手紙は全て、彼の死後届けられるものだったか。そして、今手にしている手紙が、自分たちへ宛てられたもの。彼からの、最期の言葉。
「……ヌヌヌヌ?」
「うーん、どうしよっか。でも私たち宛の手紙なら、いつ読んだって構わないと思わないかね?」
ぺしょりと垂れたジョンの耳が不安げに揺れる。宥めるように軽く頭を撫でてやりながら、私は手紙の続きを読み上げた。
【少し前の未来の話】
「……ただいまー」
無意識に出た声に、自分で驚く。だって今は、一人暮らし。返ってくるはずのない言葉を発したところで、無駄なだけなのに。兄妹で暮らしてた頃の癖がまだ抜けないのかなと、呆れたような笑みが込み上げる。
明かりが消えたままの事務所は暗く、相変わらず耳に痛いほど静かだ。この静けさはいつになっても、慣れない。顔が強ばりそうになるのを無視して、手探りで電気をつけた。
すると、不意に足元で赤い何かが動くのが見える。何かと思い目を向けると、それは自分がさっきまで被っていた退治人帽子のようで。
「…………?」
多分、帽子を置こうとしたんだと、思う。
いや、なんで? ここには帽子掛けなんてオシャレなものも、何も置いて無いのに。何かが足りない気がするのは、どうしてだろう。
「……飯でも食うかな」
誰に言うでもなく呟き、落ちた帽子を拾い上げてから適当に事務所のデスクの上に放り投げる。視界の隅で帽子の位置を確認。今日は上手いこと落ちずに乗ったようだ。そのまま居住スペースに向かい、同じように電気をつける。パチン、という音がやけに耳に残る日だ。
ブーツを脱いで、まずは洗面所に向かう。今日は部屋が広くて何だか歩きやすい。別に散らかってた事なんてないのにさ。
暖房入れてないからかな、外と同じくらい部屋も寒くて居心地が悪い。当たり前だろ、誰も居ないのに冷暖房入れておくわけないんだから。
ぐるぐる頭の中が自問自答で埋まっていく。答えはあるのに、その解き方が分からないみたいで気持ち悪い。きっと腹が減ってるからだ、早く作り置きの夜食でも食べて寝てしまおう。
「いや、は?」
何言ってんだ? 自慢じゃないが、俺は夜食を作り置きするようなタイプじゃない。ほら見ろ、冷蔵庫の中だって空っぽだ。ヒマリとも最近会ってないし、今日はコンビニにも寄らなかったし……だから、いつも通り買い置きのレトルトカレーでも温めて食えばいい。カップラーメンだって、まだ残ってる。けど、何だろう。
「はぁー……寝よ」
なんか、訳わかんなくなってきた。今は、飯を食う気分じゃない。よく覚えてないけど、きっと今日も忙しかったんだ。これはそう、疲れているから。寝たら治る。
俺は強いから、大丈夫なんだ。
【親の覚悟と子の苦悩】
「そうだ! ドラルクに会いに行こう」
そんな一言から急に決まった、新横浜への訪問。久々に休みの取れた私に対してドラウスは満面の笑みでそう伝えると、ウキウキとした様子で手土産の用意を始めた。私の事を気遣ってくれたドラウスには申し訳ないが、正直、会いに行くのはまだ少し怖かった。
本当に私が遊びに行っても、あの子は喜んでくれるのだろうか? 共に暮らすの人の子は、私の事を恨んでやしないだろうか……そうこう考えている内に、私たちはドラルクの暮らす新横浜に着いてしまったわけだが。
「――メビヤツ 俺さ! 壁の支えなしでも逆立ち出来んだぜ」
「ビービ!」
「このままシンヨコ一周とか、できっかな 俺ちょっと今から外行ってくるわ!」
「ビッ」
「メビヤツ留守を頼むな! 待ってろ 俺がシンヨコ世界一の記録保持者になってみせる」
「ビッ…ビッ……」
「……何をしているのかね」
事務所のドアを開けてまず飛び込んできたのが顔を真っ赤にして逆立ちをしている人の子と、そんな彼を心配そうに見つめるメビヤツの姿だった。なんとも不思議な光景だ。ドラウスの城にもメビヤツはいるが、あんなに表情豊かに動き回ることがあるのだな。そう思って眺めていると、こちらを見て酷く機嫌の悪そうな顔をした。なるほど、あの顔には見覚えがある。
「あっ ドラ公の親父さんとお袋さん、どうも」
「えっ、あ、あぁ……」
「ドラ公なら留守だぜ! 俺の逆立ち見てく」
「さ、逆立ち…… いや、それよりも! またドラルクは留守なのか 何故だドラルクーー」
ドラウスが床に崩れ落ちるのを横目で見ながら、改めて人の子に向き直る。ドラルクが居ないからと勝手に帰ったりするのは、やはり失礼だろう。ふむ、そういえば逆立ちがと言っていたな、そこから話を繋げてみるのはどうだろうか?
「……こんばんは、人の子。随分と嬉しそうだが、何か良いことでもあったのかな?」
【これが私の愛してるってやつさ】
月明かりに照らされたダイニングスペースに、私と若造が向かい合って座り始めてから早数十分。長い沈黙に耐えきれず、電気つけないの? 夜食は食べる と声をかけてはみたものの、いいから座ってろの一点張り。頬杖をついて目の前の若造を観察してみれば、俯いてても分かるくらい耳まで真っ赤で、机の上で握り締めた拳は小さく震えている。
「…………」
「……?」
居心地の悪い沈黙ではあったが、不思議と嫌な感じはしない。初めて彼の事務所を訪れた時のような、期待と興奮が胸の中でふつふつと湧いてくる。鼻をくすぐるこの匂いは、彼が好んで吸っていた煙草の香りだろうか。
「…………ッあの、さ……」
「うん?」
目の前の銀髪が声に合わせて軽く揺れる。まるで身体全体で会話してるみたいだ。それくらい、この男の緊張や不安が手に取るように伝わってくる。頬杖をついていた手を机の上で丁寧に組み直し、怒らせないよう慎重に言葉を促した。
「これは、その……例え話、みたいな……アレなんだ、けど」
「うん」
「ずっと前から、考えてる事が、あって……さ」
「うん」
「お前との、こと……ちゃんと、考えなくちゃっ、て……思って」
「うん」
「ッ俺は ジョンと……お前ッが、来る前は、一人で暮らしてた、し」
「そうだね」
ポロポロと大きな瞳から涙が零れ落ちていく。多分、本人は気付いてないんだろう。全く君は、すぐ泣くんだから。
「俺たち、ってさ……退治人と、吸血鬼で」
「うん」
「俺、は……人間、で……ッ……いつか、お前を……置いッて、いくかも、しんなく、て」
「…………そっか」
いつか向き合わなきゃいけないとは、思ってた。私たちと彼の生きる時間は、あまりにも違いすぎる。分かっていた。分かって、いたのに。
言葉にされるのは、こんなにも、苦しいものなのか。