リュドミラはなんとなく自分のズボンのポケットへ手を入れる。
リュドミラはまだウルサスを出たばかりで、シラクーザまでは程遠いが、喉が渇いて、腹も空いた。
自分がポケットから出し忘れたガムやチョコなんかが入ってはいないかと思ったのだ。
それで腹を満たせはしないだろうが、ほんの少しでも喉が潤えば、腹が満たせればいい。
舌に何か味を感じられればいい。
そんな可能性は低いとは薄々分かっていたが、それに賭けてみたかった。
「……!」
指が硬いものに触れる。
期待が薄かった分、喜びは大きい。
リュドミラはそれを取り出す。
「これは……」
キャンディだ。
何年も前、冷気を操るコータスから受け取ったものだ。
ある日、彼女が食べてみろと言ってキャンディを渡してきたので素直に口へ入れたら、強烈な辛みが舌を襲った。
あれは味というよりは刺激そのものだった。
リュドミラはすぐさま飴を地面へ吐き出し、何をするのかと彼女へ怒鳴った。
そんなリュドミラを見て彼女は―いつも冷ややかな表情をしているが、その実、父と部下をとても大事に思っており、その胸に熱い感情を抱いているスノーデビル小隊のリーダーは―いたずらが成功した小さな子供のように笑った。
毒ではないから安心しろという彼女の言葉にそういう問題ではないと怒鳴り返したが、彼女はあまり気にしていないようすだった。
まだ顔に笑みを浮かべたまま、小さく手を振りながら去っていく彼女を、リュドミラは呆れた目で見送った。
その後、鉱石病の症状が進行した彼女には―比喩ではなく、触れるものを全て凍らせてしまうような彼女には、あのくらいでなければ味覚として感じ取れないのではないかと気づき、怒ったことを少し後悔した。
ただ、直接謝りはしなかったのだが。
謝った方がよかったのだろうか。
―いや、彼女はそんなことは気にしないだろう。
彼女にとってあの行動は、意図しない出来事に驚く人々を見たかったという、ただそれだけのことなのだろうから。
そんな彼女のキャンディをリュドミラはまた受け取り、ずっとズボンのポケットに入れたままだったのだ。
タルラを介し、凍原からやってきた彼女たちに会ったあと、リュドミラの身には様々なことが起きた。
もう、自分が何故あんな目にあったのに2回目のキャンディを受け取ったのか、何故それをポケットへしまったのか思い出せない。
「……」
久しぶりに舐めてみようかと思う。
しかし、リュドミラはキャンディをまたポケットへしまった。
リュドミラがケルシーへの復讐に向かとうとした時、彼女はリュドミラを止めはしなかった。
しかし、リュドミラに自分の本来の目的を忘れるなと言った。
彼女は気づいていたのかもしれない。
リュドミラが復讐や怒り、憎しみに―自分で決めたはずの目標や、自分の感情に囚われつつあったことに。
自分の感情を自分で制御できなくなりつつあったことに。
自分がシラクーザで十分に力をつけたと思い込み、そこを飛び出し、長く復讐を目的とするうち、もはや復讐以外の何を生きる目的とすべきか分からなくなってしまったことに。
そんなリュドミラが、感染者のリーダーから暴君へと変わったタルラにとっては都合のいい駒でしかなかったことに。
もしかしたら、彼女以外にも、リュドミラのことを真に気にかけてくれていた人はいたのかもしれない。
しかし、リュドミラはそれに気づけなかった。
いや、気づかないようにしていたのかもしれない。
復讐へと走り出してしまったリュドミラはもう止まれなかった。
そうするだけの強さがなかった。
今更立ち止まり、自分は何をして、何を得たのか、本当に何か得られたのか、自分はこのまま復讐を続けるべきなのかということに―自分が今までやってきたことは、ひょっとすると無駄なことや間違ったことだったのではないかということに向き合う勇気がなかった。
ケルシーに肉体的にも精神的にも打ちのめされ、リュドミラはようやく自分の歩いてきた道を振り返った。
これは―彼女の飴は、戒めだ。
かつての視野が狭く、感情に任せてしか行動できなかった自分にはけして戻ってはいけないという。
リュドミラはポケットの中のキャンディを一度強く握り、再び歩き始めた。