企業やルビコン解放戦線などあちこちから依頼を受け、それらを実行する中で様々な人と接した結果、621の中には少しずつ感情というものが生まれつつ―あるいは復活しつつある。
そうウォルターは言っているし、621自身も同様に感じている。
とはいえ、他の人々と比べれば、621はまだ感情の起伏が少なく、したがって表情の変化も少ない。
しかし、だからこそ、それは621としては珍しいほどの大きな感情表現だった。
すなわち、目の前で話しているフロイトに対し、621は眉を寄せた。
それはほんの数ミリの変化だったはずだが、
「……ん?」
さすがV.Ⅰと言うべきか、フロイトは見逃さなかった。
「お前の気分を害してしまったか。悪いな」
フロイトの謝罪の言葉に621はますます眉を寄せる。
621が今、怒りを感じているのはフロイトの他人の感情や命を軽く扱うような態度のためだが、はたして彼はそれを理解しているのか。
本当に「悪い」と思っているのか。
621はどちらも違うと感じていた。
全く違うわけではないのかもしれないが、おそらくフロイトの謝罪は、彼が今までの経験から相手が怒っている時は謝った方がいいらしいというパターンを学び、それを実行しているに過ぎない。
事実、フロイトはずっと唇に薄い笑みを浮かべたままだ。
しかも、フロイトの瞳には期待が見える。
621の怒りがこのまま膨れ上がり、あるいは長引き、621が再びフロイトとACごしに向き合い、刃を向けてくることにならないかという。
「……V.Ⅰ、フロイト」
突然自分の名前を、それも肩書きと合わせて呼んだ621に、わずかに戸惑いを声にのせて、
「ん?」
とフロイトは答える。
その瞬間、621は素早く前方―フロイトの方へ手を伸ばした。
フロイトは避けなかった。
それは、突然の出来事に反応できなかったのか、621がどのようなことをしようとしているのか確認してみようと思ったためか。
621の手が自分の体からほんの数センチの距離に近づいても、まだフロイトは笑みを浮かべていた。
しかし、すぐに大きく目を見開いた。
621はフロイトの襟首を掴むのでもなく、フロイトを殴るのでもなく、ただフロイトの胸へ指先で触れたからだ。
621は眉を寄せたまま言う。
「……もし、私が今ACに乗っていればブレードであなたの胸は切り裂かれていただろう」
数秒の後、さきほどよりも深い笑みを浮かべながら、
「……ああ、残念だ」
とフロイトが返す。
頭の中で、実際にそうなったらどう行動するかシミュレートしているのかもしれない。
「今から実行しても構わないが?」
「そんなことはしない。ウォルターに迷惑がかかる」
「弾薬費と修理費か?それなら俺が出してやる」
「私はさきほどまでのあなたの発言に怒りを感じた。しかし、現時点ではウォルターからあなたをどうこうするよう指示を受けていない。だから、あなたを傷つけるようなことはしない。私は自分の感情のままに行動し、ウォルターの計画を妨げるようなことをするわけにいかない」
「ふうん、飼い犬は不便だな」
フロイトは少しガッカリしたような、皮肉るような表情と声で言う。
「……あなたの捉え方ではそうなのだろう」
そう言うなり、621は背中を向けて歩き始める。
これ以上の対話は不要だ。
世の中にはどうしても理解し合えない人間もいる。
それも、最近621が学んだことだ。
そんな621の背中に向けて、フロイトがやや大きな声で話しかける。
「残念だが、今日のお前はそういう気分じゃないみたいだ。……いや、俺がそうしたのか。まあいい、今度会った時はやろう」
621は返事をしなかった。
フロイトも言いたいことを言って満足したのかそれ以上は何も言わなかった。
フロイトとは今回も含め何度か会話したことがあるし、模擬戦闘もしたことがある。
フロイトは誰かを無闇に傷つけたり、欺いたりはしない。
蔑んだり、嘲ったりもしない。
また、ACのパイロットとしては間違いなく称賛に値する人間だ。
フロイトとの戦闘から学ぶことは多い。
だが、こちらと根本的なところがズレている。
フロイトと接していると、以前グリット012で出会った人物―オーネスト・ブルートゥのことを思い出す。
会話ができないわけではない。
だが、意思疎通ができない。
自分だけで全てが完結している。
ブルートゥの方がよりそういった要素が強いが、きっとフロイトも「様子のおかしい人」だ。
621はそう思っている。
しかし、彼らとの接触―刺激も旧世代型の自分には必要なのだろうか?
ウォルターはどう考えているのだろうかと少しだけ621は考えた。