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    muto610_d

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    muto610_d

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    시범 無い話だから本編のどのタイミングにも無い。よくわからない話。

     人気のない空き教室で、オ・ボムソクはぐったりと机に伏していた。ぼんやりと回る視界の中で荒い息を吐く。最初はひんやりとしていた机も、頬をつけているうちにぬるくなってしまった。がら、と誰かが教室に入ってきた気配にゆっくりと目を開く。
    「これ、買ってきた」
     ヨン・シウンが差し出してきたペットボトルに、のろのろと顔を上げる。ボムソクの青白い顔色に、シウンの目が心配そうに細められた。
    「あ、ご、ごめん……お金、」
    「いいから。ゆっくり飲んで」
    「あ……」
     ぐい、と押し付けられたペットボトルの冷たさに驚きつつも、おとなしくすでに緩めてあった蓋をあけて、ボムソクは一気に半量ほど飲み干した。机なんかよりよほど冷たい水が喉をとおり、ようやく一息つく。
     ボムソクが立てなくなったのは、ちょうどシウンと帰宅するタイミングだった。今日はスホがバイトで先に帰っていて、塾も珍しくない日だったから、2人でどこかで勉強でもしようかと話しながら学校を出ようとしていた矢先。倒れるまでは行かないものの、急なめまいと吐き気でうずくまるボムソクを、どうにかして校内の空き教室につれてきたのだった。ここ数日急激に上がった気温のせいでただでさえあまり調子がよくなかったのに、昨日は運悪く養父の帰宅に時間が重なってしまったことで、よく眠れなかったせいもあったのかもしれない。口元を拭いながら、喉の奥に苦いものが広がるような罪悪感を覚える。
    「ごめん、付き合わせて」
    「謝らなくていい。本当に保健室じゃなくていいのか?」
    「うん。少し休めば平気になるから」
     ボムソクは議員の息子だ、というのは学校側も承知のことだった。そんな生徒が学校内で倒れて、万が一のことがあったら、と保健室から家に連絡が行くことを、ボムソクは何よりも恐れていた。誤魔化すように笑うボムソクを、やはり心配げな顔でシウンは見つめる。シウンに心配をかけていること、彼の勉強時間を奪っていることが申し訳なくて、焦燥感とともにボムソクは自分を恥じた。
     自分のことなんて放って、先に帰ってくれたらいいのに。そんなことを考えていることすら、どうしようもなく恥ずかしかった。
     そんなボムソクの様子には気付かずシウンは荷物をおろして隣の席に座る。
    「カーディガン、脱いだほうが良いと思う。体温を下げないと」
    「それは……」
     言い淀むボムソクを、シウンは怪訝そうに見つめた。暑いし、汗が張り付いて気持ち悪い。ボムソクだって脱ぎたくてたまらなかった。けれど。
    「前の学校でいろいろあって、その、痕が残っていて、見苦しいから。見せるなって」
     とうさんが、と目を伏せて小さな声で言うボムソクを見て、軽い気持ちで言った言葉をシウンは後悔した。ボムソクの養父は政治家だと言っていたし、イメージの問題でもあるのだろうと想像がつく。大人は時にそれらを簡単に子どもに押し付けることを、シウンはよく知っていたから。
     シウンの大きな瞳が揺れて、ああ、やってしまった。とボムソクは思った。言わなくてもいいことを言って、迷惑をかけて……。思考がぐるぐるとめぐる。じっとりとした疲労が積み重なって、うまく頭が回らなかった。これ以上シウンに気を遣わせるのは嫌だな、とそれだけをぼんやりと思う。
    「でも、それで倒れてちゃ世話ないよね。暑いのは本当だし……」
     気まずげに笑うボムソクに、無理しなくても、と口を開きかけたが、何を言っても今は正しくない気がしてシウンは口を閉ざした。手慰みに、鞄から取り出した下敷きでゆるくボムソクに風を送る。
     白いカーディガンが、するりと腕から抜けた。ぼんやりとそれを見ながら、シウンは小学生の生物の時間に見た、百合の花が開花する映像を思い出していた。一年中隠し通されてきただろう肌は、布1枚剥いでもなお、白い。

     露わになった腕を見て、シウンが息を呑むのがわかった。不快だろうに、と慌てて隠そうと思うのに、視線に押し留められる。
     余り見るべきではない、と頭ではわかるのに、どうしてかシウンは目が逸らせなかった。点々とついたそれらの痕が、どんな行為の果てのものなのかシウンには想像もできない。布1枚隔てた先にそんなものが平然と隠されていたことが信じられなかった。
     所在なさげにボムソクが腕をさする。困惑、羞恥、さまざまな感情がないまぜになった眼鏡の奥の瞳に、秘密を暴き立ててしまったようでシウンの心臓が早鐘を打った。もう長い合い間、机と教科書とだけ向き合って扉を閉め続けてきた。知らないことばかりだ。出来ないことばかりだ。手を伸ばせば届く範囲ですら、シウンにはーーたった一人の子どもには解決できることなんてない。それでも。どうしようもない無力感と焦燥感に圧されるように、気づけばシウンは口を開いていた。
    「触っても、いいか?」
     ボムソクは一瞬シウンが何を言っているかわからずえ、と口を開けて固まった。腕の痕を指していることに数拍置いてから気付き、それでもやはりよくわからずパチパチと目を瞬く。シウンはボムソクの混乱に気付いたのか、慌てて「いや、やっぱり……」と言おうとするのをボムソクは「괜찮아」引きとめた。よくわからないけど、あのヨン・シウンが悪ふざけでそんなことを言うはずがないし、断ってシウンの不興を買いたくなかった。
    「いいよ」
     小さく頷いたボムソクに、シウンた躊躇いながらも手を伸ばした。誰かに触れられた記憶は、痛みやそれ以外の不快な感覚ばかりを伴っていたから、ほんの少しだけボムソクは身を固くする。大丈夫、大丈夫。相手はシウンだから、怖いことなんてない。ーー怖いことがあっても、我慢できる。

     ゆっくりと、シウンの指先が肌をなぞる。ペンだこが潰れて少し固くなっているのに気づいて、あのヨン・シウンに触れられているんだと、ボムソクは改めて自覚した。
    「痛くない?」
     丸い爪が、うっすらと残る赤い痕を辿る。血管が浮いていて青白く、骨ばかりが目立つ自分の腕。そこにいくつにも重なったいろいろな痕が、誰にも見せることなどないと思っていたはずのそれが、シウンの大きな瞳に映っていた。つるりと光を反射する瞳が瞬く。もう痛みなんてないはずの傷が、じり、と熱を持った気がした。
    「もう痛くないよ」
     こぼした声はどこか言い訳めいて2人の間に落ちる。痛くないよ、大丈夫だよ、たいしたことないよ。今更虚勢を張っても仕方ないのに、無性に自分が恥ずかしくてたまらなかった。
    「ボムソガ、」
     決して大きくないけれど、シウンの声はよく響いた。まっすぐに見つめられて、どこにも逃げ場なんてないことを知る。同時に、もう逃げる必要なんてないことも、夜の海のように凪いだ彼の瞳が伝えているようだった。
    「でも、痛かったんだろ」
    「……どうだろう」
     本当にもうわからなくて、ボムソクは正直に言った。覚えている限りずっと痛みが傍にあったから、擦り切れてしまったのかもしれなかった。それならそれでいい、とも思う。だって、痛いよりは、痛くない方がずっといい。
     ぱち、とまた水面が揺れる。シウンの指が赤い痕をひとつひとつゆっくりとなぞる度に広がる熱が、心臓にまで届く。
    「シウン…?」
     ぱち、ぱち、と瞬く度に瞳が濡れていく。憐れんでいるわけでも、悲しんでいるわけでもなく、もしかしたら彼は、どうしようもなく怒っているのかもしれなかった。どうして?と不思議な気持ちでシウンを眺める。彼の声はどこまでも静かで、触れる指先も優しすぎるのに、どうしてそんな風に思うんだろう。自分のために怒ってくれる人がいるなんてことは、ボムソクにとってあまりにも自分に都合の良い妄想に思えた。
    「そんな顔するなよ」
    「どんな顔?」
    「……シウン、泣きそうだ」
    「……あのとき、」
     応えずに、シウンはぽつりと呟く。
    「2人が来てくれたことが、本当はずっと嬉しかったんだ」
     口をついて出た言葉は、不思議とシウン自身の心にも深く馴染んだ。そう、本当はずっと嬉しかった。
    「1人を選んでいた自分を否定しないし、反撃することを決めたのも自分だから、今でも後悔はないけど、ずっと水中にいるみたいに息苦しかった」
     慎重に紡がれる言葉たちが降り積もる。いつの間にか、シウンはボムソクの手を握っていた。
     熱い、でも、心地良い。他人の体温を、そんな風に思うことがあるなんて。こんなにも優しく、誰かが自分に触れることがあることを、ボムソクは考えもしなかった。貧血もあったのか、冷えていた指先があたたたまっていく。
    「ボムソクとスホが、俺をここまで引き上げてくれた」
     とにかく、伝えなければとシウンは口を開いていた。深い、深い海の奥底に差し込んだ光を、絶対に手放すべきではなかった。目の前にいる友達が、長い間晒されてきた苦痛を理解することはきっとできないし、もしかしたら踏み込むべきではないかもしれない。それでも身のうちの激情が、シウンに言葉を尽くさせていた。
    「誰かと……友だちといると、息ができるって知ったんだ」
     どこか遠い異国の言語のように、シウンの声がボムソクの耳に届く。それなのに視界がぼやけて仕方なかった。曇る視界の中で、手に触れる体温だけが確かだった。
    「だから、ありがとう、ボムソガ」
     吸い込まれそうに真っすぐな瞳、握られた手に込められた力、嘘のない言葉たち。ヨン・シウンから与えられたそれらが、ボムソクには途方もなく感じられた。小さなころに、手を引かれて連れて行かれた広くてきれいな家を思い出す。突然たくさんのものが与えられて、小さな両手では抱えきれないそれらが怖かった。ぼろぼろと零れ落ちてしまっていきそうで、小さな子どものように途方に暮れる。どうしよう、大事なもののはずなのに、ちゃんと持っておかないと……。
    「괜찮아?」
     手を握る力がふと緩められて、ようやくボムソクは自分が軽く息を止めていたことに気が付いた。瞬きをした拍子に、ぽろ、と涙がこぼれてくる。突然泣き出したボムソクにぎょっとしたシウンは、珍しく動揺したようにごめん、と自分も泣き出しそうな顔をして慌てて手を離した。離れて行ってしまった温度に、あ、と声が漏れる。
    「ごめん、突然、」
    「いや、こっちこそごめん。大丈夫だから……」
     ぐしぐしと慌てて涙をぬぐうボムソクに、シウンの胸にどんどん後悔が押し寄せる。感情に任せて慣れないことをして、しかも泣かせてしまった。いつもの自分らしくない行動に、シウン自身内心混乱していた。2人に出会ってから、「いつもの自分」からどんどん遠ざかっていく。解のない問いに、シウンは慣れていなかった。
    「あの、シウン……」
     ほんの少し赤くなった手首を撫でて、ボムソクはシウンに向き直る。慰めでも、労りでもなくて、憐れみでもない。感謝を、されるなんて思わなかったし、どうしてシウンがそんなことを言ったのかもボムソクにはよくわからなかった。それでも、キャンバスにぽたりと落とされた絵具のように、滲んでいく熱が残っていた。
    「ありがとう、心配してくれて」
     うん、と小さく微笑んだシウンに、ボムソクもようやく笑える気がした。
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