好きな人に会いに行くならお洒落するだろ②「お前のアカウントを教えろ」
「えっ」
伏黒が半ば放心状態のまま買い物を終え、律儀にスクナのスペースに戻ってきた頃には、先程までの行列はなくなっていた。というか本が全て売り切れており、売り子が片付けをしている最中だった。相変わらずスクナは椅子に腕を組んで座っており、話しかけようか躊躇っている伏黒に気づくと、開口一番そう言った。
「俺のことをフォローしているアカウントがあるだろう。それを教えろ」
「それはいいですけど……知ってどうするんですか?」
「フォローする」
「は!?」
伏黒はギョッとした。
スクナはSNSのアカウントを持っている。誰とも交流せず、たまにイラストや短編小説などがアップされている、フォロー数0人の所謂壁打ち垢だ。そんな人が、記念すべき(?)フォロー1人目に自分を選ぶメリットなど何もない。なんせ伏黒のアカウントは、ROM専の鍵付きで投稿など一切しておらず、勿論フォロワーも0人なのだ。正直フォローする意味など全くもってない。
「いや、ROM専なので、何も投稿したりしてなくて……」
「それは好都合だ。これからは俺とだけ交流すればいい」
「ええ……?」
何が好都合なんだ……?
伏黒は本気で意味が分からなかった。ただ、イベント中と比べてスクナがやけに機嫌が良さそうだったので、まあいいかと思うことにした。
スマホを取り出して、自分のアカウントを見せる。
「これです」
「……お前の記念すべきフォロワー1人目になれるのは喜ばしいことだが、お前は俺以外にもフォローしているんだな」
「まあ、色々見てますし」
「俺がフォローするのはお前だけだというのに……」
「は?いやそんな浮気みたいに言われても……!?」
いや、浮気ってなんだよ。伏黒は我ながら妙なことを口走ったと焦ったが、スクナは特に気にしたふうもなく自分のスマホを操作していた。ホッとしてから気を引きしめる。多分、色々ありすぎて頭がおかしくなっている。
スマホが通知を知らせる。スクナさんがフォローリクエストしています、という表示を見て、伏黒は反射でスクリーンショットを撮っていた。この画像はお気に入りに入れよう。未だによく分かっていないが、記念に。
「宿儺様、終わりました」
「ご苦労。では行くか」
「はい」
片付けと発送手続きを終わらせた売り子が、スクナに声をかける。スクナがそれに頷いて応えているのを見て、これから自分はどうすればいいんだろうと伏黒は迷った。もう用がないのなら帰ってもいいんだろうか。しかしそれをそのまま伝えるのもどうかと思い、話の切り出し方が分からない。
そうこうしているうちに、2人はこちらに背を向けて歩き出す。やはりここでお別れのようだ。せめて一言くらい挨拶してから帰ろうと、伏黒が声をかけようとした時、スクナが振り返った。
「何をしている。お前も来い」
「……え?」
立ち止まってじっとこちらを見ている。伏黒が戸惑いながらもスクナの方へ行くと、スクナはまた前を向いて歩き出した。ついて行っていいのか。来いと言うのだからいいんだろうか。
「あの、どこに……」
「居酒屋だ。アフターというやつだな」
「アフター……!」
夢のアフター。まさか自分が参加することになるとは。1人でイベントに参戦していた伏黒にとっては、思いがけない幸運である。それも、憧れの推し作家とだなんて。
酒は飲めるかと聞かれ、飲めると即答した。数ヶ月前に20歳になったばかりだ。あまり飲んだことがなく興味もそれほどなかったため、自分がどれほど飲めるのか把握できていないが、まあなんとかなるだろう。
夢心地でスクナと売り子について行き、予め手配されていたらしいタクシーに乗り込んだところで、2人がコスプレ姿のままだと伏黒は今更ながらに気づいた。着替えなくていいのかと恐る恐る聞いて、「普段着だが?」と返された時の衝撃は計り知れない。これがコスプレではないということは、その目立つ刺青も本物ということか。着物に刺青。まさかヤのつく職業だろうかと、伏黒は少し恐ろしくなった。組長と言われても納得できる出で立ちと貫禄をしている。そしてスクナが目立ちすぎてまだ普通に見えているが、売り子(裏梅というらしい)の方も着替えなかったということはこれが普段着ということで……、袈裟が普段着ってどういうことだ。僧侶なのか。髪もまさか地毛だったり、と考えたが、身近に五条という例がいるのでありえなくはない。もしかしたら親戚とかかもしれない。
そんなことを移動中ぐるぐると考えて、気づけば居酒屋についていた。よくある大衆居酒屋だ。なんとなく、スクナは騒がしいところが嫌いそうだと伏黒は勝手に思っていたので、意外だった。
店に入ると裏梅が店員に何事か話し、それから奥の個室に通された。どうやら予約していたらしい。机を挟んで向かい合わせに座る2人。着物姿だから畳の和室とよく合っている。
伏黒はどちらにいけばいいのか分からず戸惑ったが、スクナが隣に呼んだのでそれに従った。が、
(なんか、近くないか……?)
伏黒は確かにスクナから少し間をあけて座った。そこに座布団があったからだ。しかし、伏黒が座ってスクナがメニューをとり、間にそれを置いて2人で覗き込んでいる間に、肩が触れ合うほど近くなっていた。お香のようないい匂いがして少し横を見れば、間近にスクナの精悍な顔つきが目に入り、男相手なのにドキッとしてしまう。近づきすぎるのも失礼だろうと離れようとするも、狙ったかのようにそのタイミングでスクナや裏梅に話しかけられ阻止されていた。
「ここは値段の割に味がいい。酒も悪くない。……こういう場所の方が、お前も気兼ねなく注文できるだろう」
更にこんなことを言われて、伏黒は頭を抱えたくなった。気遣いの鬼か。伏黒自身はどちらかというと静かな場所の方が好きだが、お洒落な店やバーよりこういう賑やかなところの方が身近な分落ち着く。スクナの言う通り値段も手頃だ。スパダリかよ。思考がまた変な方向に行きかけて、慌てて頭を振った。
各々食べたいものや酒を決めて店員を呼び、裏梅がまとめて注文した。先に酒が運ばれ、それを率先して裏梅が配った。スクナは日本酒、裏梅は烏龍茶、伏黒はビールだ。
3人でお疲れの乾杯をして一息ついた頃、伏黒はずっと気になっていたことをスクナに聞いた。
「あの、なんで俺に興味があるんですか?」
スクナとは間違いなく初対面だ。会話したのは会場のあの時が初めてで、しかもSNSだって繋がったのはついさっき。当然そこでのやり取りだってしたことがない。それなのに、スクナは出会ったばかりの伏黒に興味があると言った。
スクナは伏黒から視線を外すと、すぐ横に置いていた荷物をあさって何かを取り出した。
「あ、それ……」
伏黒が渡した手紙だ。何故突然それを。
「読んでみて確信したが……」
「もう読んだんですか!?」
伏黒はてっきり家に帰ってから読まれると思っていたのだが。これを今出されたということは、まさか何か気に触るようなことでも書いてしまっていただろうか。
しかし伏黒の不安を他所に、スクナは随分機嫌がよさそうに言った。
「お前、何度か俺に匿名で感想を送っているだろう」
「は……」
確かに送っている。スクナはSNSのトップに匿名ツールを置いているのだ。特に返事などはされていないが、伏黒はスクナの作品の感想を送るのに使っていた。
「なんとなく文章から男だと思っていた。それも随分熱心なやつだ。こういったジャンルだからな、男というだけで珍しいものだが、その上感想を送る人間となると限られてくる。律儀に手紙と差し入れを持ってきたお前が、この感想を送った者と同一人物ではないかと思ったんだが、この手紙の文章を読むに当たりのようだ」
言いながら、スクナはスマホの画面をこちらに向けた。そこにはまさしく伏黒が以前送った感想が映し出されている。マジか。それでバレたのか。確かに人によって文章の書き方は変わってくるが。
「なんか恥ずかしい……!」
「何故だ?俺はいつもお前からの感想を心待ちにしているぞ」
「そうなんですか!?」
それが本当なら嬉しいことこの上ない。しかしやはり謎の羞恥心があるというか、いたたまれないというか。
伏黒が両手で顔を覆って唸っている間に、頼んでいた料理が運ばれてきた。焼き鳥、だし巻き玉子、唐揚げ、刺身の盛り合わせ、シーザーサラダ。定番のものだ。その中でも、だし巻き玉子がオススメだとスクナは言っていた。伏黒は出来たてで湯気が上がるものを1切貰い、1口食べて、スクナが言っていたことを理解した。ふわふわで柔らかく、出汁がきいていてめちゃくちゃ美味い。腹に余裕があれば後で揚げ出し豆腐も食べてみるといいと言われて、伏黒は素直に頷いた。
スクナの言っていた通り、値段が手頃な割に料理はどれも美味しかった。良い店が知れた。今度また来てみようと思えるほど。
酒がすすんだことでだんだんと緊張もほぐれていき、会話もはずむ。特に原作や推しカプの話で盛り上がった。スクナと裏梅が話した考察にはなるほどと思わされ、伏黒は代わりに自分の思うイメソンや歌詞を話して更に盛り上がった。
本当に楽しかった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
だから羽目を外してしまった。
個室内は十数分前とは打って変わってしんとしている。
裏梅は会計のために部屋にはおらず、宿儺は残っていた日本酒をグイッと呷った。
伏黒は眠っている。アルコールで頬を赤く染め、すうすうと静かに寝息をたてながら、宿儺の肩に頭を預けている。宿儺は伏黒が倒れないよう、腰に手を回している。
「宿儺様、終わりました」
「車は?」
「表に」
ケヒッと特徴的な笑い声をあげ、宿儺は抱いている伏黒の腰を撫でた。
「俺はまだ、伏黒恵の住所を伏黒恵の口から聞いていない。これは仕方ないことだろう?」
「勿論でございます」
宿儺は伏黒を横抱きにして立ち上がると、個室を出た。裏梅は荷物を持ってその後を追う。
店から出ると、表でタクシーが待っていた。運転手が後部座席のドアを開ける。そこに伏黒を乗せて宿儺も乗る。裏梅は助手席に乗った。
「ご自宅まででよろしいですか?」
「ああ」
車は走り出し、伏黒を乗せたまま宿儺の自宅へ向かった。