卵焼き(乾海)あれは、中学生の頃だったと思う。
俺と乾先輩がまだ部活でダブルスパートナーだった頃、俺は先輩のことが好きで、先輩も多分俺のことが好きだった。
ある日、何がきっかけだったか忘れてしまったが俺は先輩に弁当を作ってやることになった。母親に事情を話して早朝にキッチンを借り、俺のと先輩のと、平日だから父さんの分の弁当を作った(葉末は給食だ)。
昼休みに校庭の端の奥まったところにあるベンチで待ち合わせた。辺りの地面を赤茶色の落ち葉が埋め尽くしていて、少し肌寒かったのを覚えている。外で弁当を食えるのは今週までだろうねと先輩が言って、だからこのタイミングで俺に弁当を持ってこさせたのかと思った。
先輩が一品一品に感想を言おうとするのが恥ずかしくて、早く食えと急かした。人がめったに来ない場所を選んではいるが、こんなところを誰かに見られてしまったら言い逃れはできない。
先輩は俺と全然違う順番でおかずを減らした。特に、いの一番にごぼうのきんぴらを全部口に入れたのがなんだかおかしくて、先輩が小動物みたいに口をモグモグさせているのを横目で盗み見た。
「海堂の家の卵焼きは、優しい味だね」
「砂糖は入れないの?」
「さ、砂糖っスか?味付けはダシを使ってます」
砂糖を入れたら菓子みたいに甘くなってしまわないだろうか。
「俺の弁当の卵焼きは甘いんだよ。今度弁当に入ってたら持ってくるから、食べてみてよ」
先輩、だし巻き卵は嫌いだっただろうか。
それから1か月以上経ち、少し落ち込んでいたことも忘れかけた頃、昼休みに先輩が教室を訪ねてきた。
「海堂、ちょっと弁当持って集合。」
部活みたいな口調で呼び出されたのでおとなしくついて行くと、先輩がよくいる資料室に連れてこられ、部活の用事ではなかったことを知る。
「海堂、前に言ってた甘い卵焼き、食べてみてよ」
正月の伊達巻きみたいな味で、美味かった。
「おいしかった?」
「はい、俺も次から、卵焼きは甘くします」
「違うんだ海堂。ごめん、甘い方が良いって言いたかったわけじゃなくて……。ただ食べてみてほしかっただけだよ」
でも中々母さん弁当作ってくれなくて、と続ける先輩に違和感を覚える。先輩はいつもは購買のパンやおにぎりを食べていて、弁当は持ってきていないようだった。
先輩の弁当箱に、卵焼き1つ分だけ空いた穴。
「先輩、卵焼き…1個しかなかったのに。久しぶりに作ってもらったのに、俺に食わせたんですか」
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久々の、用事の何もない休日。
俺がキッチンに立つと、リビングで読書をしていた先輩もこっちへ来た。
「何作るの?」
冷蔵庫から食材を取り出す俺に、興味津々といった様子で聞いてくる先輩は、全く子どものようだ。
「今日は暇だし、何品でも作りますよ。…そうっスね、卵焼きとか」
甘いのとしょっぱいのとどっちがいいですかと聞くと、どっちも作ってとねだる先輩に俺は破顔した。
終わり