それは残暑もようやく落ち着いて、ああ次は秋だな、と思うようになった頃。扇風機そろそろ片付けてもいいか、あんたそれ明日やっときなさいよ、なんて会話をアンナとした次の日の朝のことだった。
朝飯をを大急ぎで作って食卓に並べ、多めに作った卵焼きと昨日の晩ごはんの残りを弁当箱に詰める。やれやれ間に合ったと胸を撫で下ろす頃になってようやくアンナが階段を降りてくるのが朝の常、になっていた。
一緒に暮らすようになって2ヶ月ほど。朝はますます慌ただしくなったものの、それにも大方慣れ始めたところだった。
「……ん?」
何か、違和感を覚えてみそ汁を注ぐ手を止めた。なんだ? 改めて考えようとした時にはそれがなんだったのか忘れるほど、ささいなものだった。気を取り直してごはんと一緒に運んでいると、小さくあくびをしながらアンナがやってきた。
「…おはよ」
「おお、メシできとるぞ」
この会話もくり返すうちに当たり前のものになった。…なんというか、なんとかならないものかとも思うが。阿弥陀丸などには「男が給仕するのも今風なんでござるなあ」と感心されたが、否定したところで状況が変わるわけでもない。同情されても虚しいので笑ってやり過ごしていたらあっという間に朝の定番のやりとりになってしまった。
「ごはん、多いわ」
座るなり、茶碗から2口分くらいを取って葉のものに乗っけてくる。
「…いや、お前それだと少なすぎ」
「あんたが盛りすぎなのよ」
みそ汁を啜りながらチロリと睨まれる。俯いていたぶん見上げられるような形になって、その目のキレイなのに反論を忘れる。
「ああ。今日だけど、ちょっと寄るところがあるから」
ついでのように言われる。
「ん?」
メザシを咀嚼しながら聞き返す。
「学校帰りに用事があるから遅くなるわ。はいコレ」
「んん?」
渡されたメモ用紙には文字がびっしりと書かれていた。
「今日の特訓メニューよ。見てないからってサボったら5倍にするからね」
「ごっ…!!?」
脅しじゃねえマジだ…と本能が悟っていた。5倍にならなくても鬼のようなボリュームに背筋が凍る。ごちそうさま、と、さっさと食べ終えたアンナは食器を持って席を立った。
あれ…?
また、先程の違和感を思い出す。今度ははっきりとわかった。静かに、鼻を利かす。
甘い、香り。
菓子ともちがう、花、ともちがう。もっと濃くて嗅いだことのない甘い、頭の中に残るような香りが、ふわり、とあたりに漂っていた。
なんだこれ?
記憶にない匂いだったが、時計をみて慌ててごはんをかき込む。歯磨きをする頃には玄関がピシャリと閉まる音がした。一緒に登校するわけにもいかないので、自然、アンナが先に出ることが多くなったのだ。
5分ほど遅れて飛び出すと、庭で素振りをしていた阿弥陀丸が人魂の形になってついてきた。
「なあ、何の匂いだと思う?」
「匂いでござるか?」
阿弥陀丸はフム、と請け負った後、幾分申し訳なさそうな顔で言った。
「拙者、霊なので匂いはわからないでござる」
「…あ」
すっかり失念していた。あとでアンナにも聞いてみるかと考えて、とりあえず先を急いだ。
次にその匂いに触れたのは、意外なことに昼休みだった。てっきり家の周りから漂ってきたのだと思っていたそれは、屋上で待っていた人物が出所であった。
風が吹くと髪がふわりと舞い、そこらに柔らかな香りがかすかに残る。
「何よ?」
「い……いや、なんも?」
ジロリと睨まれ反射的に首を横に振る。まん太、早く来てくれ…と念じる。余計なことを言ってしまいそうになるからだ。
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