サブスクリプション型空費【メガダイ】 ダイノボットは己の感情の塊をどう認識すべきか悩んでいた。メガトロンの存在は、ダイノボットにとって大きなウエイトを占めていた。かつての己のボスであり、現在の敵対する相手であり、力を持った強大な存在でもあった。彼らが袂を分かった後も、ダイノボットにとって、減弱するどころかますますその存在感を増すのだった。
地上にしんと夜の帳が降りてからしばらく経つ。今、月は天頂に座している。今のこの時代のこの惑星にはいるはずのない太古の恐竜が暗い森の中で行き合った。
その時その場所で出会うことはふたりの間で決められていたことで、それでもふたりは偶然の出会いを演じた。観客も舞台もない演戯は空虚で滑稽だった。
「ダァ、メガトロン」
「おや、何だね? ダイちゃん」
メガトロンは猫撫で声を作り、ダイノボットの呼びかけに応じた。今の彼の機嫌はなかなかどうして悪くない。
揶揄するような呼称にも、相手を下に見たような不自然で甘ったるい声にも、ダイノボットは反発など感じなかった。それは彼にとって挑発にすらならなかった。
「テメェがなんでオレを選んだのかなんて知りたくもないが、オレは……そうだな、楽しかったぜ」
彼は自身の感情を、不合理な変換器を通して口に出した。デタラメに言い換えられた言葉は、彼の感情の真の形を伝えないが、正しく伝える必要性を彼は感じていなかった。ただ、一種の確認作業だったのだ。言語化する歪んだプロセスは、彼に彼自身の感情を改めて認識させた。
メガトロンはダイノボットを興味深げに見下ろした。彼から見て、ダイノボットは奇妙な表情をしていた。黙して彼は、ダイノボットの言葉を矯めつ眇めつするように多角的な解釈を試行していた。彼の口元は空虚に微笑みの形を取っている。
「やけに饒舌だな」
「ああ? ……ああ、あっち側についたからかもなァ?」
「楽しんでいるようで何よりだ」
メガトロンは肩をすくめた。軽口の応酬など、嘗てはなかったことだ。以前の寡黙な戦士を思い出し、メガトロンは意図せず歪な笑みを浮かべた。
特に意味などないと、自惚れるなと言ってやろうとメガトロンが口を開くより先に、ダイノボットが言葉を発した。
「あの時もアンタは容赦がなくて、抜け目なくて……鮮やかだったよ」
苦み走った顔をして語ったダイノボットに、メガトロンはスパークがさざめいたのを自覚した。額面通りに受け取る愚かしいまでの素直さは、メガトロンにはなかった。それでも、くだらない感傷で冷静さを欠く愚を犯すまいと彼にしては努めて無感情を意識した。
「どうも、らしくないなァ」
メガトロンは平坦な声で呟いた。
ダイノボットは明後日の方向に視線を逃がした。時を越えて、強襲と強奪、そして裏切りを幻視するかのような視線だった。
これまで、ふたりが過去を振り返って話題にすることなどなかった。
「ダァ……散歩なんてどうだ?」
メガトロンは失笑するもその提案を承諾した。
遅れず、先走らず、身体の大きな生命体特有の緩やかさで歩く。彼らに目的地はなかった。ただ、どちらのテリトリーにも深入りしないよう緩衝地帯を進んだ。このまままっすぐに行けば、先は断崖になっている。先に足を止めたのはダイノボットだった。
「何か言うことはねぇのか」
「ないなぁ、お前が何か言ったらいいじゃないか」
ふたりの奇妙な逢瀬においては、ダイノボットはメガトロンの態度言葉に一々噛みつくことはなかった。
「ダァ……」
思い浮かぶどんな話題も、今このときにそぐわない気がして、ダイノボットは口を噤んだ。
「ここまでだぁ」
あと一歩も進めば崖下へとまっさかさま。ダイノボットは足を止めてメガトロンの方を振り仰いだ。
「そうか」
ティラノサウルスの口が大きく開き、ダイノボットの腕に噛みつくような挙動をした。実際にはその強靭な顎が咬合することはなく、ただ尖った歯がダイノボットの腕、その装甲の表面を撫でるに留められた。それはダイノボットにはどこか甘ったるい動きに感じられた。
赤く丸い目がギョロリと動く――ダイノボットがメガトロンとの距離を埋めたのだ。
「げぇ、どうしたんだ」
「先に手ぇ出したのはお前の方だろ」
「コラ、ダイちゃん、人聞きの悪い言い方はやめたまえよ。あまりにも語弊がある」
大げさに茶化すメガトロンの言葉もダイノボットは取り合わず、離れるどころかメガトロンの肩口に顔を埋めた。彼は夜闇に滲む紫の装甲に触れて、あたかも深い溜息のように排気する。彼はすぐ顔の横でメガトロンが舌打ちするのを聞いた。
「くっくっ……」
「何が面白い」
唸るようにそう言って、呆れたと、諦めたというポーズでメガトロンは腕をだらりと下ろした。しかしどうして、ティラノサウルスの目はあちらそちらへと動き、落ち着きがない。
「たまにはいいだろ」
ダイノボットの深く落ち着いた声が、直ぐ側でくぐもって聞こえることに、メガトロンは苦虫を噛み潰したような表情を作った。
「かわいくないんだがなぁ」
袂を分かち、敵対したふたりが身体を寄せている滑稽な事態を見る者はいない。草木は眠り、風もない。ひそひそと交わされる会話もひっくるめて、ただ冷ややかな夜気がふたりをくるんでいる。彼らは有機物に溢れたこの惑星で、泥に埋もれさせるような短い時を過ごすことを繰り返していた。
「あぁ、もう間もなく夜が明けるな」
空のすそ野が色を変えている。朝日が夜を駆逐する前、少しの猶予だ。薄明の時が逢瀬の終わりを告げていた。少し前まで見えていた等星が今は地上からは見えない。
「ダァ……」
醒めた夢の続きは地獄のような現実だ。無情な銃口は、過たずダイノボットの急所に合わされた。彼の破壊大帝の名を借りるこの男の持つ火力であれば、余波が掠るだけでも重大な損傷を齎し得る。
メガトロンのオプティックは赫赫と輝き、アイカメラのレンズはしっかりと像を結んでいた。
「この距離で外すオレサマじゃあない。お前はよく知っているよなァ?」
「ダァ、俺だっておとなしく的になるかよ。わかってンだろ?」
ダイノボットは剣を抜いた。
緊張を湛え、一気に張り詰めた剣呑な空気。それとは裏腹に、双方口角は上がっている。複雑な感情はすっかりと覆い隠されてしまっていた。
彼らはただ眼前の相手だけを見つめている。ジリジリと、最良の機を窺っている。
何れかの陣営の者、或いは第三勢力の何者かでさえも、今このときこのふたりの間に闖入することがないと、まるで決まっているかのように彼らは互いだけを見ていた。
すべてが背景で、まるでふたりだけの惑星だった。
山を越えて漏れ込んだ旭暉を、ダイノボットの振り翳した爪が反射した。白刃が如き眩い光はメガトロンのアイセンサの最大値を超え、束の間、その視界を焼いた。それが彼の気を削いだ。彼はだらりと腕を落とした。ダイノボットに向いていた銃口が地面に向く。
「はぁ……やめだやめ」
戦闘はその冷酷さを裏切ってスッパリと切り上げられた。一部始終を見る者があったならば、どこかパフォーマンスめいて映ったことだろう。それほどに呆気なかった。
鬱蒼とした森の中へと入ったダイノボットをメガトロンは追わなかった。彼は踵を返し、緑の少ない方へ、墜落した旗艦へと向けて歩を進めた。歩くスピードはいつもと変わらない。帰着までの時間を彼は把握していた。
「永久機関じゃああるまいし」
地上を焼き尽くさんと東の果てから地を這うように陽の光がどんどん迫ってくる。照らされる前の薄暗がりで、メガトロンは苦々しく呟いた。
ある種の感情は心を食い潰して増大する。消費する心がなければ代替物が要求される――メガトロンのダイノボットに対する感情はそういうものだった。澎湃として起こる感情に彼は強いて名前をつける気にはなれなかった。