◆プロローグ
あぁ。この”飛び散る飛沫”が、甘い紅茶ならいいのに。
牧場での朝イチ採れたて脂肪分ぷりぷりミルクと、ジャリリと口内で感じるほどに溶け残った量の角砂糖たっぷりの。青年は、もうずいぶん長いこと目にしていない琥珀色の紅茶の芳香や味を思い出す。
もしくは、水。“これ”がキレイな水ならいいのにな、と。そしたら、青年が今、行っている行為も『水遊び』のようで大層気持ちがいいだろうにと。
が、現実はどうだろう。
この身に浴びるは、赤黒い血飛沫。ヒトのそれより更に煮詰めて濃厚にしたような、サビ散らかした鉄の香り。それが鼻腔から青年を鈍重に、憂鬱にさせる。
青年が醜悪な魔物を一刀両断する度に血飛沫は飛び散り、肌や服に赤く染みつく。いや、そもそも既にとっくの昔に染み付いていた。乾いた血液汚れの上に覆いかぶせるように、新しい鮮血を浴び続ける。
魔物共は、やられた腹いせに血を飛び散らせているとしか思えない程の量をぶちまけてくる。いつからか、いちいち肌や服を洗うのも面倒になってしまった。
切断した魔物の断面からチラリと見える内臓が、なんだかストロベリーパイやラズベリーパイの上に乗っている、テラテラと光る果実の山のように見えた。あんなものが、一周回って鮮やかでキレイに見えてしまった自分に苦笑する。
背後に野太い咆哮が聴こえたので、青年は振り返ると同時に、持っていた長剣をその”やかましい主”の方向に力強く投擲する。相手の容貌・位置などの詳細がわからないまま、勘での投擲。
が、長剣は見事に立派な角の魔物の額に深々と突き刺さっていた。常人なら「これは奇跡!」とヒットを喜んだだろうが、青年にとっては朝飯前……どころか普通の事、他愛ない事なので特に喜ぶ事はしない。青年はずっと、もうずっと虚無感をまとわせた死んだ目をしている。
倒れた魔物の額から長剣を取りにいく、までの距離の間にいた中型のシカのような魔物を素手で豪快に殴り飛ばしていく。青年は華奢で力がなさそう……むしろ弱そうに見えるが、持ち前の運動神経と体のしなやかさ、躊躇のなさで魔物をぶちのめしていく。筋力増強魔法も適度に己にまとわせているので、シカくらいの魔物なら殴ったり蹴ったりすれば容易に吹っ飛んでいく。
更に言うと、青年は「魔物のウィークポイント、なんとなくわかるんだよね」という野生の勘で、的確に各魔物をぶちのめしていく。
「触ると毒が体に回る・呪われる」だのと逸話が尽きない魔物の頭部を容赦なく掴んで、膝蹴りを顔面にぶち込む。魔物の鋭い歯が青年の膝に突き刺さったが、すぐに抜いてそばの魔物の眼球に突き刺す。
倒した魔物に突き刺さった長剣を抜く。青年は、見開き続けたまぶたを弛緩させ、そこでやっと一息ついた。
「………本、読みたいなぁ」
緊張を緩めると即座に思い出すのが『読みかけの小説や、続きが楽しみな小説』の事だった。先程までのような魔物討伐のせいで、もうだいぶ読めていない。何も読めていなかった。
こんなにも『活字』に触れていないのは幼少期以来……久しぶりの事だったので、青年の心にはぽっかりと穴が開いていた。頭を使わず、体だけを動かし続ける日々。あの頃のような、非知性的で野蛮な生活をしているような自分がほとほと嫌になった。
まぁ、今回のこの“野蛮”は『自ら望んだ事』なので、後悔しても嘆いても仕方ないことなのだが。
と、青年はだんだんと『妻や子供の事より、本の事を思い出した事』を申し訳なく思いだした。
そこから「家族より、趣味を優先がちにしてしまって怒られる男のコメディ小説……あれは何だったっけ?」と連想してしまった。
それを思い出そうとする、久しぶりの知的な脳の使い方をした事による嬉しさで、若干微笑む事が出来た。
◆1話
町人は、一人の少年の軽やかな動きに見とれていた。
どこからともなく上空から無駄に縦に二回転して現れたかと思いきや、そのまま足腰をブレさせることなく華麗に着地し、低い姿勢のまま魔物の方に突撃するように斬撃をくらわせる……あとは、速すぎて凡人な中年の目では追えなかった。
凡人である町人らが、ぬたぬたとしたゼリー状の魔物の襲来に怯え、逃げ惑う最中に少年は一切の躊躇なく魔物に飛びかかっていき、魔物の討伐をしてくれていた。
以前に「あのゼリー状の魔物……スライムって剣で切れるの?」と訊いたら「え? あいつら、体のどこかしらに“切れ込み線”があるじゃないですか。ソコを切れば一発ですよ……見えないんですか?」と、逆に驚かれた。
「何それ、どこにあるの……?」と、他の町人にもそんなものが見えるかどうか訊いたが、自分と同じように「何それ、そんなのどこにあるの……?」と返された。
そう、少年は“我々”とは違うのである。戦闘の才能があるのだ。
「……っシャア! 終わりっ!」
その、才能ある160cmほどの若き少年が、叫びながら犬型の魔物の腹を突き刺し、蹴り飛ばす。魔物は近くの大木に勢い良く叩きつけられた。大木の太い幹がへしゃげ、魔物の血がこびりつく。本人は軽く蹴飛ばしているつもりらしいが、では、その大木への凄まじい激突音は何なのか。
少年は、町人らの拍手喝采と賞賛を浴びた。
ふぅ、と呼吸を整えた少年に対して「ギン君、ありがとう! さすがだわぁ……!」と声をかけると、ギンと呼ばれた少年はニカッと笑いながら、謎の決めポーズをした。
戦闘中は眼光鋭く、眉間に皺を寄せ、恐ろしい顔をしている少年だったが、平常時は何ともハキハキと明るく可愛らしく「孫として、こんな生き物がほしいなぁ」と町のジジババらから愛されているような若人だった。ゆるっとした七分袖のシャツ、着古して鮮やかな青みが飛んでしまっているオーバーオールも、これまた『孫感』があった。
風に揺れるほど左右の前髪が長いが、中央にきれいな額が広がっているので、さほど陰気な感じはしない。むしろ、前髪・ハネッ毛すらもイキイキと躍動しているような造形をしていた。
「どうだい? これから、お礼に食事でも……」
「いえ! やる事あるんで、すぐ帰ります!」
魔物の片付けは相変わらずお任せします、すみません、と少年は元気に爆速で帰宅した。
先程まで結構、魔物相手に飛んだり斬ったりはねたり殴ったりしていたというのに「その疲れはないのか?」と、いうほどに爆速で走っていった少年──ギン・ユルシャを凡人らは温かく見送った。
「申し訳ないなぁ……いつも呼び出してしまって」
「ギン君のやりたい事、邪魔したくないんだけどねぇ……」
町人らが、申し訳なさそうに呟く。
結構な数の魔物を倒したばかりのはずの当のギンは、家までの最短ルートを駆けた。
柵を越え、壁を軽々と登り、商店街を駆け抜け、自宅まで直行直帰した。ほぼ毎日その速さで町中を走っているのだから、そりゃあ嫌でも『町の有名人』にはなる。
ギンの自宅はさほど大きくも小さくもない。こじんまりとした家であったが、父親と二人暮らしの身分ではこの大きさで充分だった。ちょっとした畑で、ちょっとした野菜を栽培して、それを食べたり人様に譲ったりして生計を立て……てはいなかった。そんな、素人趣味で作った野菜で生計を立ててはいない。また、別の事で金を得て、生活をしていた。
力強く玄関のドアを開け、軽く息を弾ませながら自宅に入る。窓からの太陽光に照らされた、リビングの机に静かに着席する。その反動で、落ち着いていたホコリが舞う。
その机の上は、書きかけや未使用の原稿用紙が散乱していたり積まれていた。そのそばには、これまた様々な本が積まれていたが、原稿用紙ほど雑には積まれていない。
ギンは自身の書いた原稿は若干、粗末に扱ってしまう癖があったが、人様の書いた物語の集大成──『本』だけは適度に大事に扱う。作家が悩み苦しみ、生み出した作品の塊『本』というものは、ギンにとって友達であり先生であり、畏怖すべきものであった。
自室で執筆作業をすればいいものを、何故にリビングに持ち込んでやるかというと……自室で書いていると、そばにベッドがあるせいで、執筆が難航したらすぐ不貞腐れて横になり、そのまま寝てしまうからである。
全速力で走ってきたにも関わらず、既に呼吸を落ち着かせているギンは、机上の書きかけの原稿用紙を大きい目を細めながら見つめた。
「この後のセリフ……何を言わせようとしていたんだっけ………?」
複雑な顔をしながら、ポツリと呟く。
ギンは『やたらと助けを拒む意地っ張りヒロインに対して、主人公が屁理屈を言って相手を納得させようとするセリフ』……を思いついたところで、自宅のドアを勢い良く開けられ「ギン君、ごめん!! 魔物が出たから助けてくれ!」と呼び出され、思いついたものをメモしないまま、剣を持って現場に急行してしまった。
何かイイ感じの『ひねくれたカッコイイ言い回し』を思いついたはずだったのだが、その直後に全速力で走り、ひとバトルしてきたのだから、そりゃあ思い付いた言葉の欠片なぞ──とうに忘れている。
行く前にメモをしていけばよかった、とギンは心底後悔した。何回か、こういう事はあったのに喉元過ぎれば熱さを忘れる……後悔が身についていなかった。
自分にとって『最高だと思えた名台詞』……なはずのセリフを記憶から引きずり出そうと、しばらく頑張って思い出そうとするが、何も出ない。
そういう時、ギンは「あぁ。才能がある人なら、たとえ邪魔が入ろうとも思いついたセリフを忘れないだろうに。もしくは、忘れてもすぐ思い出すだろうに」と自身の出来の悪さを呪う。いや、そもそもちゃんとした人なら、メモをしっかり取ってから出かけるものだろう。才能うんぬん関係なく、ただ己がマヌケなだけである、と嘆いた。
たくみな身のこなし・魔物に単身、乗り込んでいく勇気や剣の扱いという運動神経の才能なぞいらないから、それよか『そういう細かい後悔をしないような才能(?)』、『誤字脱字にすぐ気がつける文才』がほしかった。
と、ギンが眉間にシワを寄せながら難しい顔をしていると、玄関方向から「おぉい。町の人からお礼として、リンゴもらったぞぉ」と呑気な野太い声がした。父親が帰ってきたようである。
「えぇ? マジィ?」
ギンが魔物を倒す度に、ありがたい事に町人からこういった差し入れを毎回いただく。野菜・果物……ギンの為に、本を譲ってくれる人もいる。
淀んだ気持ちの切り替えがてら、父親を出迎えようと玄関に向かったギンは悲鳴をあげた。180cm程の大男──父親が、玄関でうつ伏せに倒れていた。
腕を前方に伸ばし、りんごをこぼさないように紙袋を直立させ、自身も真っ直ぐとした姿勢で倒れている。バタリ、と唐突に倒れた形……と見るには、違和感がある。ゆっくり、ゆっくりと膝を折りながら少しずつ、この形に倒れていったと思われた。
「親父ぃ!」ギンはそう悲痛に叫んだが、父親がそうなっていた理由はわかっていた。
「…………腰が痛い」
「急に?!」
「ドアを開けたら、ビキッた……」
顔も上げず、床に伏せたまま父親が呟く。
ギンの父親、キン・ユルシャは酷い腰痛持ちである。ふとした事で、その腰の爆弾は炸裂する。そして、そのまま身動きが取れなくなる。
「あぁ、もう! 大丈夫かよ?! 立てる?」
「……ムリ、無理無理。動かさないでくれやめてくれ頼むから」
特段、わざわざ運動などはしていないが、過去の筋骨隆々の様が未だに体に残ったままの父親の体重は、だいぶ重い。ギンが頑張ればそんな父親を動かせるが、余程の非常時でもない限りはご遠慮願いたかったので、その申し出は実はありがたかった。
「アップルパイを作ってやりたかったのだが……すまない……」
「とりあえず、りんご貰っとくぜ……?」
「あぁ、頼む……」
突っ伏したまま動かない父親の手から、とりあえず”りんごの入った紙袋”を受け取り、ダイニングテーブルの上に置いた瞬間──玄関のドアが勢い良く開けられた。
「おぉい、ギン君助けてくれ! 魔物が町の船着き場に……ぉ、おおお?!」
ドアを開けたすぐ下に、結構な図体の大男が足元で真っ直ぐに倒れている様を見て、町人──ニコ・ティバコは面食らう。
「……う、ぉおお?!」
自分の話を聞いた瞬間に、すぐさまそばにあった長剣を持って自分の横を爆速で走り抜け、外に向かったギンの行動の速さにも驚く。ニコはユルシャ家にお邪魔して、わずか3秒で2回悲鳴をあげた。
「ギン君、行動がはえぇよ……」
凡人である町人・ニコが感心する。その後、足元の腰痛持ちの哀れなデカイおっさんをチラリと見る。
「立てそう?」
「……ムリ」
若さと体力とパワーのあるギンが立たせようとしない大男を、一介の町人であるニコおじさんなら尚の事、持ち上げたりして立ち上がらせる事など無理である。
「せめて、肩は貸すぜ。立てよ……」
「すまない」と、キンは自力で少し起き上がり、ニコの肩に捕まって更に起き上がろうとする。が、細身なニコの肩……も、ニコ自身もキンの重みで悲鳴をあげた。少しは遠慮がちに体重をかけるのが普通だろうに、キンは“普通”ではなかった。だいぶ、うっかりさんだった。
己より、遥かに痩せ型であるニコの肩に、あろう事か全体重をかけたのだ。
ユルシャ家と関わって20年来、ニコは驚かされたり悲鳴をあげさせられたりする事ばかりだった。
魔物の頬に、勢いよく飛んできてメリ込む靴底があった。
軽々と全速力で走ってきたギンが、そのままのスピードで地面を蹴って高く飛び、何故か無駄に横1回転をしながら魔物の頬を踏み潰した……というか、蹴りを入れたのだ。
魔物は真横に盛大にぶっ倒れ、顔面に更にギンの足が食い込む。『ただの人間風情』が、何の躊躇もなく自分ら……異形の者に物怖じせず突っ込んでくる様に、魔物らのほうが思わず物怖じした。
「よぅ、お前ら! よぅけ、そんな湧いてくるなぁ!」
魔物を下に踏みながら、太陽からの後光をバックにギンがヤケクソに叫ぶ。
書こうとしていたネタを忘れた鬱憤晴らしに、ギンは容赦なく長剣を振るった。船着き場にまとめられていた、輸入出物の野菜・果物に群がる中型の魔物を狩る。
周囲の者らは「待ってました」とばかりに、慣れた流れでギンの応援を始める。ギンより先にここに駆けつけ、魔物を相手にしていた討伐者(冒険者)らも、素早く立ち回るギンの邪魔にならないよう、観客の中にすごすごと混じる。
ギンは目が良く、魔物の動きのスキを狙うのが上手い。本人自体は、戦闘時に特に何も頭を使っていない。何も考えていない。執筆時の、一万分の一も頭を使っていない。
「なんとなく、わかるじゃないですか。『あぁ。今、攻撃したらイケるな』みたいの」
いつぞやかに、恥を忍んでギンに「何故、そんな強いのか」と尋ねた討伐者が、彼にこう返された。感覚論である。何も参考にならない。
普通、魔物と対峙する時は『魔物とはいえ、生き物を殺す覚悟・自分が怪我したり殺されるかもしれない恐怖心、緊張感』と、総じて『勇気』が必要だというのに、ギンにはそれがない。
特に恐怖心も緊張感も勇気も何もなく、異形に突っ込んで戦える『才能』があった。フラットに向かっていって、剣を振るえた。
ちなみに、彼の事を「運動神経もいいし……すごく体育会系だね」と評すると「俺は根っからの文系です」と、とてつもなく苦々しい顔をされる。
本人は、全くもってこの『才能』をどうとも思っていなかった。むしろ「文系の陰キャ」と言われるのを褒め言葉と思っており、そう言われたいのだが……その言葉は、誰にも言われたことがなかった。
無理もない。幼少期から図書室・本屋に入り浸り、気がつけば読書をしているか物書きをしているような子ではあったが、その文系要素が霞むほどに、たまに披露するズバ抜けた運動神経の方が目立つのだ。
加えて、耳の遠いジジババが町に多い為に自然と大きくなってしまった声。癖なのか、ぱっちりした目で真っ直ぐこちらを見てくる眼力。ギンの事を「文系の陰キャ」と思っている人など、この町にはいなかった。
観衆の拍手の中に魔物の亡骸と、そこに立ち尽くす返り血まみれのギンがいた。
町人の一人がありがたそうに、そんなギンに手ぬぐいを貸す。戦闘時の怖い顔と打って変わって、ギンは華やかに笑い、礼を言った。
他にも口々に食事に誘ったり、お菓子をあげようと町人がギンの周りに集ったが、案の定ギンは笑顔でこう返した。
「やりたい事あるんで、帰ります! じゃ!」
やはり、ギンは戦闘の疲れを感じさせない走りで自宅に直行直帰した。
……が、今回は少し違った。爆速で走る帰還時に、まるで何者かに呼び止められたような『ただならぬ本の気配(?)』を感じ、思わず足を止めた。そこは、馴染みの本屋の一つだった。
あまり大きいものではないが、前の店主が出版関係者と知り合いだったので、レアな本がしれっと積まれている事があったりする侮れない本屋だった。
掲げられたのぼりを見て──なるほど、自分が立ち止まらされた理由がわかった。
この世界の『本』は、流通や品揃えの加減が雑である。例えば、同じ町に本屋Aと本屋Bがあったとして。仮に、本屋AがY先生の本が嫌いならそれを置かない・出版社側が本屋Aに不満があるなら、本を回さず本屋Bにだけ回す……本屋Bが配達しづらい土地にあってコストがかかるのなら「じゃあ行かねぇ」と、なったりする。いい意味で、平等ではない。
故に、この世界では一つ一つの本屋の品揃えがまちまちのバラバラだった。急に見たこともない意味不明の謎の本を見つける事もある……本との一期一会、ミラクル出会いの具合がハンパなかった。
「今日は金がない」と、後日お金を持って本屋に行っても、もう本がない……ヨソに行ってもお目にかかれない……あの本は一体何だったんだ? という悲劇は、この世界の大多数が幼少期に経験している。
新刊さん、はじめまして。既刊さん、いつか読んでやるから待っててな、とギンは本屋に積まれた本の数々に心の中で気持ち悪い挨拶をしつつ、ニコニコしながらその本屋に入った。
家の中にまだ読んでいない積み本があるので、なるべくなら、泣く泣く新刊購入は我慢気味のギンだったが『どうしても欲しい新刊』があった。
「(アググ・リシュケの新装版……!)」
ギンは、手にその”アググなんたら先生……の既刊のカバーデザイン違いなだけの本”を取った。とっくの昔の『既刊』だが、ギンにとっては『カバーデザインが違くて、後書き解説が別の作家』なら、それはもう『新刊』という括りに入った。
アググ・リシュケは、とぅの昔に故人である。なので、完全な新刊など、その故人の『隠し原稿』が関係者から新たに発見されない限りは絶対に出ない。アググ・リシュケの新作など見つかろうものなら、世界中の本屋がそれを置くだろう。その飢えを満たすために、このような感じでアググ・リシュケの既刊は割とよく出された。アググなんたらは、それほどに売れた作家だった。
ギンは、そのアググ・リシュケの『既刊な新装版』を持ってレジに行った。馴染みの本屋の店員がギンの姿を見るやいなや、ニヤリと笑う。
「来ると思ってたよ、本ヲタめ」
「あんなのぼりを出されちゃ、そりゃあ来ますよ」
ギンもニヤリと笑う。
「今日も魔物討伐ありがとうな、割引してやろうか?」
「お気持ちは嬉しいですけど、定価で買いますって」
そう軽口を叩き合いながら、店員がさくさくと本にカバーを折りつけて紙袋に入れる。店員とギンの年齢はそう離れていないのだが、どうも人見知りのギンは丁寧語を崩さない。少しでも年上だと、割と気を使ってしまう。
「……そういえばお前、今年も挑戦するんだろ? アググ・リシュケ大賞」
店員が、その『なんたら大賞』の告知ポスターをペラリと出す。それを見たギンはニカッと笑い、思いのほか小さなか細い声で「出したい」と呟く。「声ちっさ」と店員がツッコむ。
「2年前は、書き終わる寸前でキャラブレ起こしてる事に気が付いて気になってしまい、〆切までに直せずに辞退……去年は中程まで書いた原稿にインクつぼをぶっ倒して心折れて……」
そこまで店員が言った後で「今年は、魔物が多くてヤバイっす」と、ギンが薄く微笑む。
「なんすかね……今年、めっちゃ多くないすか? おかげでまとまった時間がとれないんすよ……」
ギンが購入した本を受け取る。「あ。買ったはいいものの、もしかしたら読む時間もないかも」と今更に気がつく。とっくの昔に読んだことがある既刊だったが、買ったからには再読したい所存であった。
『読む』──それが、本というものに対しての礼儀である。しかし、それを実行できず未読のまま積んでしまっている事のほうが多くて、ギンは申し訳なく思う。
「せめて、親父さんが使い物になればいいんだけどなぁ」
腰を今より悪くする前はギンと同等、それ以上に強かったらしい父親がその魔物討伐を承っていた。腰が悪くなってからここ数年は、ギンが先程のように呼び出されては魔物を瞬殺していく──そんな日常が繰り返されていた。
「いや。息子に武芸を教えたいはずなのに、ソレを黙認して陰キャ読書やらせてくれてる親父には感謝しているので……」
父親から直接そう言われたわけではないが「きっとそうだろう」とギンは思っていた。卓越した運動神経を活かした事に青春を費やしてほしいだろうに、この息子ときたら引きこもって読書三昧なのだから。
父親の腰が良くなったらしく、予告していたアップルパイを焼いたのだろう。玄関の戸を開ける前から、既に焼けたりんごの甘い香りが外に漂っている。
戸を開けると「おかえりぃ」と、父親・キンが笑う。テーブル上に香ばしい焼き色のアップルパイ、ごろごろと大粒の野菜が煮込まれているポトフ。
そばでその調理作業を手伝っていた、近所に住む町人の一人・フォンおばさんが柔和な笑顔と共にギンに会釈する。
「すみません。また晩ごはんを作ってもらっちゃって」
「いいのよ。料理は私の趣味だから」
「……親父と結婚すれば、毎日ウチで料理できますけど」
ギンは父親に聞こえないよう、フォンにだけ聞こえる声の大きさでそう茶化したのだが、フォンが「うあぁ、ギン君?!」と焦る。
フォンは、明らかにキンに好意を抱いている。ギンや周りの“キン以外の”人らにも、その恋慕はモロバレしている。態度や雰囲気から、ソレは滲み出されている。
ギンは割と積極的に「親父とくっついてくれませんかね」「母親になってくれませんかね」と茶化しつつも本気でそう誘っているのだが、フォンは頑なに”どうもしてこなかった”。
そのくせ、積極的にキンの世話を焼いたり、様子を見に来てくれたりする。何故にそんな矛盾行動をしているのか、ギンが思いつくその理由として1つあるのだが、さすがにそれは自分の口から言うのは悲しいので未だに伝えていない。
「よぉし、じゃあ食べるかぁ」と、エプロンを外すキンの後ろに散らかし放題の凄惨な台所の様子がチラリと見えたが、料理を作ってくれるだけありがたいので嫌な顔は出来ない。
掃除片付けが苦手なキンの代わりに、ギンが掃除する。料理が出来ないギンの代わりに、キンが料理する。父子家庭だったが、家庭内バランスは案外と取れていた。
やっと一息つけるなぁ、なんか今日ずっと走りっぱなしだったような気がするなぁ、とギンは小さくため息をつく。『魔物を殲滅した事より、走って帰宅してきたことの方』が記憶に残っているのは一体どういう事なのだろうか。
「で、何かアレ。小説はどうなんだ?」
焼きたてのアップルパイをモサモサ食べる度にカサカサのパイかすを落とす、抜けている父親が訊く。
キンは、息子と違って読書に興味がない。本を読まない(読めない)。かと言って、息子の本好き趣味を否定も拒否もせず「まぁ頑張れ」という好意的放任をしていた。
「う〜。ちょっち、魔物のせいで……」
そう言いながら出来たての料理に向かい合った刹那、ギンはすぐさま振り向いて玄関の方を見開いた目で見た。キンも玄関の方に気配を感じ、急に神妙な顔をする。玄関……というか、その更に先の、遠く外への視線。
急に怖い顔をした二人に驚いたフォンが「ど、どうしたの?」と、キョトンとした顔で問う。
「いや……気のせいかな」ギンが不思議がる。
が、腰痛で使い物にならないが武人としての感覚は未だ衰えていないキンの次の一言で、その違和感は確信に変えられた。
「気のせいじゃないだろ。俺も感じた」
普段ニコニコしている事が多いキンの真剣な顔は珍しく、その凛々しい顔に隣席のフォンは恋する乙女が如く見惚れていた。あごひげや、厚い胸板で隆起した衣服部分に付いたアップルパイのかすすら、愛おしそうに見ていた。
早くくっつけばいいのに、とギンは呆れた。
魔物の頭部の鋭いツノに体を一突きされたら、ひとたまりもないだろう。現に突進され、そのツノに脇腹をかすめられた冒険者がおびただしい出血をし、地面を赤く濡らしている。茂る森の緑の香りに、鉄臭が混じる。
「もうギン君は呼んじゃダメだって! ギン君は小説を書きたいんだから!」
魔物の血と肉脂で汚れた鉄の剣を構えながら、ニコが皆に叫ぶ。細身なニコだが、これでも若い頃は魔物討伐の三軍でまぁまぁの活躍はした程の強さはあった。少なくとも、今周りにいる武装した町人ら・冒険者らよか場数は踏んでいた。
「若者の夢の邪魔をしちゃダメだろ?! なぁ、そうだろ?!」
おぅ、いぇーい、とムサ苦しい気さくな合意の返事が飛ぶ。街の人らは若者──ギンはおろか、実はその父親のキンにもイノシシ退治やスズメバチの巣の駆除、道を塞ぐ岩石の除去などの力仕事を任せきっていたことが一時期あった。
親子そろって笑顔で「いいよいいよ、やるよ」と朗らかに引き受けてくれるので、つい甘えて頼みすぎてしまう。キンの腰が悪いのは厳密に言えば、それら酷使のせいだけではないのだが、それでも「悪い事をした」とは皆思っていた。
別にユルシャ親子に頼らずとも、時間をかければ一般人でも魔物の討伐は出来るといえば、出来るのだ。まぁ、怪我人が現に出ているが。時間もかかっているが。……やはり、呼びたい。呼んで、楽をしたい衝動に皆は駆られる。
しかし、さすがに一日四回も呼び出して執筆の邪魔をするのは、はばかられた。町の人々……特に、ユルシャ親子とは二十年来の付き合いだったりするニコは、もうギンを呼びたくない。友人であるキンの息子……の趣味嗜好、「文才がないしキャラブレするし表現力が弱いし」とベソかきながらも執筆したり、好きな作家の文体の模写練習をして表現描写力を鍛えようとしている姿を知っていた。
が、ユルシャ親子は大概、規格外な事をする。父親同様、息子もである。
「──気にせず、呼んでくださいよぉおいっ!」
ニコの後方にいた牛型のような魔物が、骨が砕け、肉が裂ける生々しい音と共に両断されて地に倒れる。
そこには、今回は呼んでいないはずのギン・ユルシャ十六歳。何かを食べているのか、咀嚼している。ラフなシャツとズボンな格好なせいで、割と武具をしっかり装備している大人らがまるで滑稽に見えてしまう。
「おぉギン君、ギン君じゃん!」と、町人らが喜びつつも「おい、誰が呼んだんだよ?!」と申し訳なさそうに言い放つ者もいた。
「んん?! ギン君、何で?!」ニコもその一人である。
「魔物の気配を感じたので」
はっきり、そう返された。え? お前らの家からここまで、結構な距離なくない? あれ? そっから、気配だけを頼りに走ってきたの? あん?
ニコは多少パニクったが「まぁ、アレの息子だしな」とすぐ冷静に戻った。キンの息子なら、仕方ない。乱れた金髪オールバックを、手で撫でつけてため息をつく。
忙しいのなら、来たくないのなら、聞こえない・気配など感じないフリをして無視すればいいものを、ユルシャ親子はどうしてこうも私事を放棄して駆けてきてくれるのか。
さすが『誘拐されて魔界に連れて行かれた一国の姫を、単身助けに行った無鉄砲豪傑の血筋』──勇者の家系、と。
父親譲りのお人好しで、人様のためにまぁ東奔西走ってか……と、ニコは昔のキンの有様を思い出して──思わず、顔をしかめてしまった。
「悲しいかな、”こっち”の方は超才能があって朝飯前なんですから。こっち」
朝飯前というか、夕食中だったろうに。若き助っ人の口元にアップルパイだかミートパイだかの、かすが付いている。夕食時に申し訳ない。
ギンが大きい目で、辺りを見回す。魔物らがこちらの様子をうかがいながら、ジリジリと距離を詰めてきている。
たくさんの人を避けながら細かい数の魔物を斬っていくの面倒くさいなぁ、と思ったギンは両手に魔力を込めて人の生首くらいの大きさの、白く輝く光弾を作った。周りの人らが「え、何それ?」と訝しんだが、ギンは気付かない。
ギンはそれをピザ生地のように空中で軽く広げて、それに飛び乗ってそのまま宙に浮いた。光弾で作った足場、である。その上に立ちながら、再度同じ光弾を作り、それを上空から各魔物に向かって何十個も次々に放った。
光弾が当たった魔物は高い炸裂音と共に爆発し、焼け焦げて散った。光弾は逃げようとする魔物も追い、容赦なく焼いた。辺りに強く、臭い焦げの匂いが漂う。
ギンは放った光弾を操作しているらしく、高みから腕や指をあちらこちらに動かしていた。汗一つかかず、淡々と数々の光弾を操作し、魔物を追い、殲滅していた。稀に光弾が町人らに当たりそうになるが、ギリギリでそれらをかわし、弧をえがいて魔物にブチ当たる。
「(今、書いているエピソードの前にもう一つ『キャラの性格がわかるようなイベント』でも入れとくかな)」
細かい精神統一が必要な事をしているように見えるが、むしろギンはアググ・リシュケ大賞に投稿する小説の『これから』を考えていた。
「(ちょっと冗長的になるかもだけど、まぁ審査員にガナイ・ナウ先生がいるんだから、それくらい許してくれそな気がする)」
『ナウ先生』とは、余計な描写を延々と長々と入れる事で有名な作家であった。ギンは、本編が霞むほどに余談を入れてくるその先生の小説が、好きだったりする。
小説の展開などを考えながら、ギンは光弾を操作して次々に魔物を撃ち殺していく。先程もだったが、ギンは戦闘の方に意識と頭は使っていない。体が勝手になんとかしてくれるので、そちらに労力は回していない。
ニコを含め、町人ら冒険者らは宙に浮くギンと、あんなに手こずっていたはずの魔物が殲滅されていく様を呆然と眺めた。
「ギン君……浮いてる?」
町人の一人が、光弾で出来た足場と共にゆっくり地上に降りてくるギンに訊いた。
「え? ……ちょっと維持するのがタルいですけど、単なる足場ですよ。コレ」
ギンが、自慢げでも恥ずかしげもなく『好きな食べ物』を訊かれた程度の感覚で答える。
「足場……?」皆がざわつく。
「やっぱ凄いなぁ」
「光るモン出して、みょーんって伸ばしてピョーンでズドーンだもんなぁ」
ギンは、ここでやっと「もしかして」と気が付いた。普通の人は『足場』なんて出せない事を。
あの光弾は、そもそも『足場』としての魔法だった。幼少時のギンが、高い所にある本棚の本に手が届かない時に使うもの。あと、暗闇で本を読んだり捜し物をしたい時の、手元の灯りとして。
割と頻繁に外で使っていたと思うが、そういえばギンは人見知りで基本的にぼっちで活動していたので、誰もその足場など見た事はなかった。
で、その『足場魔法』を丸めて魔物にぶつけ出したのがいつだったか。気がついたらノリで出せて、気がついたら攻撃魔法にまで発展させていた。望まずとも、そういうところでギンは天才だった。本人的には、別に嬉しくはない。どうでもいい才能。
「ギン兄ちゃーん」
魔物討伐を離れた所で見学していた町の子供が、自分の異質さに軽く傷心中のギンに近づいてきた。が、子供のおかげでその傷心は吹き飛んだ。
「借してもらった本、おもしろかったよ〜」
そう言いながら子供が手渡してきた本は、ギンがこの子に貸した『子供向けの冒険ファンタジー本』だった。登場人物たちが夜空を見上げている、そんな幻想的な表紙イラストの色彩が美しい。
「……だろぉ?」ギンが、ニカァと笑う。
戦闘の達者な様子や抜群の運動神経を褒められたり言及されてもどうとも思わないが、本についての話ならギンは大歓迎であった。
「やっぱお前、その作家が好みだって。買えよ」
「貸してもらった三冊とも”当たり”だったもんなぁ、さすがギンにぃ……あ、そうだ」
子供と目線を合わせるためにしゃがんだギンに、子供が笑う。
「今週も『ヘドロを喰らう』載ってなかったねぇ」
ギンの笑顔がこわばる。執筆、魔物退治と忙しくて忘却していた、自身のもう一つのライフワーク。プライド。意地。
『ヘドロを喰らう』とは、本好きの町長が道楽として隔週で発行している町内会誌『マチマチヨミヨミ(略してマチヨミ)』……で、ギンが趣味で連載させていただいている小説である。
ある日、格式高い聖騎士ペドロ様が何者かに襲われ、顔の皮膚を剥がされて路地裏に捨てられる。居場所も妻子も奪われ、スラム街の子供に拾われて生活するはめになる……ギンの書いた『ヘドロを喰らう』は、そんな復讐劇中心のハートフル作品(?)だったりする。
とにかく、マチヨミは希望・推薦で一般の方が書いた記事やコラム・小説なども載せてくれる雑多な読み物で「読み応えがある」と好評を得ている。
『今日の畑の様子』『遺産相続の悲喜こもごも』『使って良かった格安武器ランキング』『魔物の弱点図鑑』など、毎週きちんと掲載させている律義な物もいるが、大半は飽きて連載をやめたりする。
しょせん、趣味道楽で作られている冊子なのであまり参考にはされていないが、一応『読者アンケート』がマチヨミには付いている。その読者アンケートで『ヘドロを喰らう』は、まぁまぁの上位にいつも食い込んでいる。ギンの小説を楽しみにしている町人は、一定数いた。
「あんな卑屈なペドロさんの世話をするクレイちゃん、けなげだよねぇ」
子供がギンの小説をニコニコと褒めるが、それよかギンは「趣味の連載すら滞っている体たらく、遅筆」の事実に酷く落ち込んだ。
その事に対して「趣味でやってる方の小説なんて、そんな気合い入れて頑張らなくてもいいじゃない」と言われた事もある。
が『気合い入れて頑張らなくてもいい趣味の小説』だからこそ、ギンはこの『ヘドロを喰らう』をちゃんと余裕で隔週連載させたかった、のだが。
今回は走らず、アググ・リシュケ大賞用の小説の事と、趣味で書いている『ヘドロを喰らう』の事を頭の中で推敲しながらトボトボと帰宅した。
夕暮れの町並みを目に染みさせつつ、ちんたらと歩く。「お? 走らないの?」と惣菜屋の気さくな親父に声をかけられたので、ふにゃりと微笑みながら会釈する。ここのオヤジの唐揚げは絶品である。
帰宅すると、ギンが食べ残していった夕食に蚊帳を小さくしたような布製の小型ドームがかぶせてあった。簡易な、ホコリ避け・虫除け道具。父親とフォンおばさんは不在だった。まぁありえないだろうが、デートでもしてたら笑う。
ギンは、リビングの机の隅に寄せた自身の書きかけの原稿や積み本の前に着席した。そういえば、昨日も魔物討伐に奔走して「あぁ、今日もそんな書けなかったなぁ」と自身の遅筆さに後悔をして、薄闇の中でボンヤリと着席した事を思い出した。デジャヴ。
「呼ばれても、勘付いてもシカトして執筆してればいいじゃない」と人から言われたことはあるが、自身で思ったことはない。腰を悪くした父親の代わりに魔物退治する事は、息子として当然だと思っているし、そんな自分を誇りもする。
が、ため息くらいはつかせてほしいとは思う。
壁に立てかけた長剣……と、その下の積み本に目をやる。嫌いなものと好きなものを混在させちゃ駄目だな、と思った。本を見て踊った心が、剣を見てしなびる。
親譲りの運動神経だの魔力だのな才能など、ほしくなかった。誤字脱字誤用にすぐ気がつけたり、速読力……上手い言い回しや類語がぽんぽん思い出せる、そんな文系な才能が欲しかったなと思う。
──いや、才能がないのなら努力すればいいだけの話なだけなのだが。「忙しい・疲れた」というものは言い訳に過ぎない。きっと、世の中には独り暮らしで家事炊事を全部やって創作活動をしている者もいるだろう、何かしらの邪魔・障害と戦いながらの人もいるだろう。
その点、自分は若いし、母親はいないが父親はいる。飯を出してくれる。文系な生き方を別に否定されていない。熱烈なファンなどいないが、ゆるりと作品を楽しみに、応援してくれる人もいる。恵まれた環境の創作者だろう。
アググ賞に向けての小説を書こうとペンを握るも、さすがのギンも体力・精神面でも疲弊していたので
ペンを置く。
「(………今日買ったアググ本を読んで、寝ようかな)」
ギンは、しょぼくれた顔で今日買った本を手に取った。その際「俺が遅筆で時間作るの下手なせいで、読まずに積んじゃってごめんねぇ……」と、すぐ横の積み本を撫でながら呟く。インプットとアウトプットの時間配分の塩梅が難しい。どちらもバランスよくやれないものか、と。
「──ギン!!!!」
玄関の方から、夕暮れのおセンチな静けさをブチ壊すかの如く、父親の元気な声が響く。そのまま、こちらまで向かってくる溌剌とした足音がする。
「なっ、何?! また魔物が出た?!」
慌てて、すぐそばの長剣を手に取るために立ち上がろうとすると、現れた父親と目が合った。
姿を表した父親は、なんと肩の上に木箱を担いでいた。町の人から食料でもいただいたのだろう、根菜の葉が箱からはみ出ている……イコール、結構な重さのはずだ。
「おいおい、親父! そんなもん肩に担いで大丈夫かよ……」
「ギン」
父親がくりっと大きい目をキリッとさせて、ギンを見る。
「父さん、腰治ったから! もう魔物退治しなくていいぞ!! お前は執筆に集中しろ!」
そう得意げに笑いながら、ガッツポーズをしてくる父親にギンは面食らった。
「……へ?」
しかし、何かと「腰いてぇ腰いてぇ」と行動不能になる父親が、昔のように軽々と重そうな木箱を担げてるのは事実で。