瞽女鬼深夜の廓帰り、一人ぽつんと流している瞽女に声を掛けて一曲を聞く。一曲終えた後には声を掛けた人の居た跡形もなく、ただ瞽女が元のように流して歩いて去っていくだけ。そんな噂を聞いて、悲鳴嶼は噂の道に行って見た。遊郭の近い曖昧宿の多い辺りだった。流しながら三味の澄んだ音を立てていたから、それと知れた。
夜の街角を三味の音をだしながら人待ち風に歩く。歌い慣れた喉をしていた。この闇夜を怯えもせずに歩くならたしかに盲の女かと思われた。思いちがいだろうかと思うほど、目の前の女からは鬼のにおいがしなかった。
「……もし。そこなお兄さん。一曲どうです」
「ああ、それじゃあ聞いてみようか」
「よかった。お前のこと送り狼かと思ったよ……ずいぶんでかいね」
「ああ」
「郭かい?今夜は色女には会えなかったのかい」
からかうような口を利いて、女は三味線で端唄をやった。悲鳴嶼は曲が終わるや否や、喉元にまさかりを掲げた。びゅんとのびた女の腕が、撥で喉笛を狙ったからだった。はじかれる音がして、女はその場に膝をたわめた。鬼の匂いを強く発していた。
「なんだい、おまえ……一息に喰われちゃくれないのかい」
悲鳴嶼の横薙ぎの斧の一閃を瞽女鬼は躱した。鉄球で叩き潰そうとして、地面の石畳が割れ砕ける。攻撃の手を阻む鎖、逃れて距離を取った所で悲鳴嶼は鎖鎌の要領で女鬼を追い詰めた。一瞬一瞬の命のやり取り、手も出なくなってきた鬼は悲鳴嶼に手を差し伸べた。
「頼む、聞いてくれ」
「聞く耳持たぬ」
「日本橋のきつね横丁に平吉という男が働いてる。そいつにこれを渡しておくれ」
言った瞬間、女鬼の頭が破裂した。無惨の仕業だった。悲鳴嶼は何か鬼達の手がかりが少しでもあるのかと、女鬼の遺した衣類や何かを調べた所、書付と紙入れがあった。すべて産屋敷家へ持ち去ろうと思ったところに、四方の道から鬼が湧いてきた。
「南無阿弥陀仏……」
それから朝まで、無惨の放ってきた鬼を退治して夜が明けた。逃げ損ねて朝日に塵となる鬼の気配を聞きながら、悲鳴嶼は産屋敷家に向かった。紙があるなら文字がある。悲鳴嶼は盲だから文字が読めない。
その昼に産屋敷家に到着すると、待ち受けていたあまねの手で悲鳴嶼は朝餉を食べて床に就いた。うとうとと休んでいる間に調べはついた。
「古い手紙だったよ。日本橋きつね横丁桶屋平吉という男が、確かに住んでいたそうだ。でも四十五年も昔の話だった。その鬼は、年号がわからなくなっていたんだね」
「では平吉という者は……」
「ああ。鬼と関わりなく生きて、二年前に世を去っている。その女鬼の遺した金は、文や匁もあれば銭も円もあった。とりあえずまとめて平吉の回向にまわす」
「南無……」
「その鬼の最期を聞いておこうか」
「はい。私と対峙して死を逃れられぬと悟り、きつね横丁の平吉について話しだした所を無惨の手で、鬼の頭が破裂しました」
「ほう」
「女鬼が何の秘密を書き残したのか疑ったのでしょう。無惨の指示で鬼が沢山湧きまして、朝まで暇はありませんでした」
「そうか。ご苦労だったね、行冥」
「は……」
「鬼は平吉と何の縁があったか。気になるかい?」
悲鳴嶼はその問いかけに何と答えたものか思案して、そこに琴の音がのどかに聞こえて来た。産屋敷家の娘の誰かが琴を習っている。なかなかの上手だと悲鳴嶼は聞き分けて、温かな心持になる。闇夜に冷たく響く三味の音は上手の粋だった。けれど夜は夜のもの。
「よい手です」
「ふふ……行冥の耳に適うとは。嬉しいよ」
「平吉の件ですが、それにて終わらせて宜しいかと思います」
「そうだね。子が何人かいる。金は全部線香にしてそれぞれに送らせようと思う」
「御意」