「さんじゅーはちてんななど」
「風邪だな」
薬研はわたしの手から体温計を受け取ると、真っ直ぐとわたしを見据えて言った。
気のせいにしたかったけども、この熱っぽさと倦怠感から逃げられることは出来なかった。どうにかバレないようにと誤魔化そうとしたけど、本丸医務室長(使うのはわたししかいないけど)の目をかいくぐることなんて出来るはずなかった。
「今日は一日安静」
「でもやることが」
「しなくていい」
「仕事」
「休んでも罰は当たらん」
「課題が」
「期限随分先なの知ってるぞ」
うっ、と言葉を詰まらす。その通りだ。取り付く島もない。でも出たからには早々に終わらせておかないと何だか落ち着かない。何か緊急の用が入って後々出来なくなるかもしれないし。課題なんて先に終わらせた方が良いに越したことはないのだ。
「早め早めにって片付けるのは大将の良いところだけどな、休むことも大切だ」
特に今みたいな時はな、と薬研はため息混じりに言った。ぐうの音も出ない正論だ。何も反論出来ず、わたしは押し黙ってしまった。
「それにそんな熱じゃ頭も回らないだろ。大人しくしてろ」
「……はぁーい」
それ以上言い返すことも思いつかず、わたしは素直に返事をした。何もしないのは落ち着かないけれど、薬研の言う通り何も進む気がしない。このまま大人しくしているのが吉だろう。わたしは深い溜息を吐いて、ぽすんと布団に倒れ込んだ。
「何か食べたいものは?」
「……うどん。ふわふわの玉子が乗ったの」
「分かった。あと欲しいものは?」
「ない。多分」
「分かった。さてと、じゃあ俺は畑仕事でもしてくるかな」
「えっ」
思ってもみなかった言葉で、思わず変な声が出る。立ち上がった薬研はこちらを振り返ると、困ったような目でこちらを見た。
「いっちゃやだ」
「畑当番にしたのは大将だろ」
「近侍! 今日の近侍は薬研!」
「今日の近侍は大和守だったはずだが」
「交代! 交代!」
客観的に見てかなり恥ずかしい。聞き分けの無いわがままな子供みたいだ。まさかこの歳になってこんな駄々を捏ねるとは。薬研はハハッと声を出すと、
「そういうと思って変わってもらった」と微笑んだ。
「いじわるしないでよ〜……」
「はは、悪かったって」
薬研は少し眉を下げると、くしゃっと少し乱暴にわたしの頭を撫でた。
「飯と薬だけ取ってくるから、ちょっと待っててな」
「ちゃんと戻ってきてよ」
「分かってるって」
わたしの再三の確認も面倒臭がらず、薬研は一々返事を返してひらひらと部屋から出ていった。
熱を出すのなんて何年ぶりだろう。何しろ久しぶりのことだから、かなり気が小さくなっているようだ。これ以上ないぐらいに薬研に甘えてしまっている。もうちょっとしっかりしたいものだが、熱のせいでそこまで頭が回らない。
ふう、と息を吹いて天井を仰ぐ。暇だ。何かしたい。手を伸ばせば届く距離に本が在る。でもあれを手に取ったらまた薬研に怒られてしまうだろう。それに、倦怠感のおかげでそこまで手を伸ばせる気がしない。瞼も重い。これは素直に諫言に従っておくべきだ。逆らうことも無く、そのまま瞼を下ろすと、わたしの意識はとろとろと深く深くへと手繰り下ろされてしまった。
◇
たいしょ、と聞き慣れた声がして目を開けると、この目はふっと頬を緩めた声の主を映し出した。
「調子どうだ」
「しんどい」
薬研はわたしの額から氷嚢を退けると、手の平をぴとりと当てまだ高いな、と呟いた。
「うどん貰ってきたが、食えるか?」
「たべる」
朝から何も食べていないからお腹が空いた。むくりと起き上がると、布団の傍らには湯気の立ったうどんが置かれていた。出汁の良い匂いがする。わたしの要望通り、上にはふわふわの玉子が乗っている。嬉しい。
「食ったら薬な」
「はーい」
間の抜けた返事を返すと、わたしは箸を手に取った。風邪の時ってやけにこういう優しいものが食べたくなる。