夕霧班に配属されて数週間後、甘崎愛斗は首を傾げ始めた。
大石夜光と榊原千藤は同僚であるが恋人ではない。榊原千藤には、一般人の彼氏もいるそうだ。本人たちがそう言い張っているので、間違いないはずである。
だというのに、夜光は交通課から「これ彼女に渡しておいて」と受け取った書類を千藤に渡しているし、千藤は「彼氏に来週の飲み会行くか聞いておいてくれ」と言われて夜光に確認を取っている。訳が分からない。もしかして何らかの暗号なのかとさえ深刻に考え始めた頃、班長の夕霧和佐から「あいつらはよく捜査でカップル役になってるんだよ。その延長線上の、まああだ名だな」と苦笑交じりに教えられてようやく腑に落ちた。要するに知り合いの悪ふざけであったわけだ。
「じゃあ、先輩たちはただの同僚なんですね!」
ああよかった痴話げんかに巻き込まれる未来はないのだ、と愛斗は腹の底から笑みを浮かべる。
対し、和佐の表情は晴れない。
「そうだな……」
濁すような苦笑のまま、言うかどうか迷うような沈黙を作る。
愛斗が怪訝に見つめること数分。
班長は腹を括ったのか、重い溜め息をついた。
「……まあ、どうせきみもそのうち知ることになるだろうから」と前置いて。「……一年に一回ぐらいなんだが、その、なんだ。榊原が大石が持ってると同じネクタイを着けてる」
「へえ。ネクタイお揃いなんですか?」
「そのときはだいたい大石が榊原の持ってるのと同じネクタイを着けてる」
「……付き合ってないんですよね?」
「本人たちの証言ではそうだ」
***
そんなことがあったので、怖いもの知らずの新人は直接聞いてみることにしたのだった。
結果、夜光は居酒屋で生ビールを口に含むなり気管にぶち込み、盛大にむせている。
愛斗が介護に回り、机の後始末も済んだ頃、ようやく夜光は乱れた息を整えた。
「……いや、それ誤解やから。わてら、同期から貰ったネクタイがあってな。それが被っとるだけや」
「なぁんだ。そうなんですか」
ところで、なんで頑なに目を合わせてくれないんですか?
愛斗は尋ねようとして、しかしギリギリで取りやめた。期待の新人の成長はかくも早い。
「なんや。そんなことが聞きたかったん」
夜光が呆れたように笑う。愛斗は笑って頬をかいた。
「だって、さすがに榊原さんには聞けないし。もしそうだったら俺も気を遣った方がいいのかな、とか思っちゃって」
「アホ。新人がいらん気ィ回さんでええっちゅーねん。まあでも、榊原さんに聞かんだのは正解やな。ジョッキの角で殴られるで」
「うわ、いたそー」
「うん、めっちゃ痛い」
ああ殴られたことあるんだな、と愛斗は理解した。
「榊原さんってけっこうすぐ手が出るタイプなんですか? だったら俺も気をつけないとな……」
「いや、別にそういうわけではないけど。わて以外に手ェ出とるとこ見たことないしな。甘崎はやらかさんだら大丈夫やろ」
「じゃあなんで大石先輩は、……いや何でもないです」
「おう、いま呑み込んだ言葉出してみ」
怒らへんから、と笑顔で圧をかけられたところで「なんで大石先輩は日常的に殴られてるんですかって聞こうとしたけど、性格のせいだなってすぐに分かりました」なんて言えるわけがない。愛斗は話題を変えることにした。
「あ、あー。榊原さんって何でもすごくできるひとじゃないですか。……車の運転以外は」
「せやな。車の運転以外は」
いや、ある意味ではその運転も出来過ぎているのだが。
「あのひと、できないこととかあるんですか? なんていうか、弱点? みたいな」
「榊原さんの弱点なぁー……彼氏と別れられへんとか?」
「え、そうなんですか!?」
「いっつも『もう別れる次こそ別れる』って言うとんのに、おもろいぐらい別れへんからな。榊原さんの愚痴、甘崎もそのうち聞くと思うで」
あとはせやな、と夜光は笑って指を立てた。
「首噛むとめちゃ良え声出すとか」
沈黙。
夜光はビールを呷ったあと、すっかり酔いの覚めた顔で呟いた。
「いまのナシで」