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    yataratonemui46

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    yataratonemui46

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    ふるしほパレット全部乗せ。
    ポイのフォントが好きなので、ほぼ自分用投稿です。

    ##降志

    夜色のパレット
     庁舎の外は冬に沈み、飲み込まれた街が夜の腹のなかで光り始めていた。
     頭上の雨雲が、待てなかったとばかりに、前を歩く彼のスーツに次々とファーストキスを落としていく。
     歓声に応え、彼が顔を上げ僅かに目を閉じた。小さなキスの嵐が、彼の鼻梁をすべり、睫毛を震わせ慈しんだ。
     香気やわらかに纏うカフェ店員も、うわばみのように剣呑なコードネームの男も、統べて内包した彼の正体が、小さく跳ねる雨粒に映し出されてははぜた。
    「おいで」
     世界の祝福を背に受けた彼から、輝く右手が向けられる。
     敵わない。私の口の端からは、ため息が夜になって零れた。諦念を差し出すように、私は左手を預け、招待を受けた。
     この美しい鬼に私は捕らえられたのだ。
     

     助手席に招かれ、背を屈めながら、白い彼のヒロインに乗り込む。ふと狭いと感じる車内に、改めて自分の現在の身の丈を思い出した。
    「志保さん」
     シホサン。
    「閉めるよ」
     そのようにして、「灰原哀」のおとぎ話のようなかくれんぼは終わりを告げた。
     ごくり、とシフトレバーの喉が鳴り、私達は闇に浮かぶ灯籠となって、夜の川面を滑り出した。


     沈黙の車内に、時折遠雷が響く。
     ふたりきりになるのは、思えば初めてのことであったから、尋問であれば、素直になんでも答えようと思っていた。もっとも、半年もかけて警察にもFBIにも、洗いざらい全てざあざあと吐き出した最終日だ。私を逆さにして振っても、なにか目新しい事実は出て来ようもなかった。
     そうなるともう、この男からもたらされる話題はひとつだろう。
     私は何故だか、私の出自に関して、彼となにかしらの想起物が、同期されていくことが恐ろしかった。取り調べの間でさえ、我々はその話題を口にすることを、慎重に避けてきた。
     いまさら目の前の男と同じ幻覚を見るくらいなら、このハンドルを奪って、夜の彼方へ大きくきってしまいたい。
     衝動に駈られ、見つめた彼の指先が、鍵盤を滑るように端からハンドルを握り込んでいった。
     ハッとして彼を見遣る。
     極上の笑み。
     車は、ひとけのない路肩に駐車された。
     

    「おとぎ話で読んだことがあるんだ」
     唐突に語りだした彼の言葉のそぐわなさに、私は左手をドアにかけるタイミングを失った。
    「吸血鬼は最期のとき、その場から魂も遺さず、夜の霧のように消えていくって」
     彼は、背広の内ポケットから取り出した銀の塊を、うやうやしく私の右の手のひらに載せた。
    「ある日、いつものように先生の病院に行ったんだ。信じられるかい? 数日前まで確かに、ここに僕の頭を撫でて、僕を呼んでくれたはずの人達がいたはずなのに」
     組織のやり方をいやでも思い起こさせられるその手口に、胸のスペースがひとつ小さくなった。銀の塊を載せた私の手のひらを、包むようにそっと彼の手が重ねられる。
    「僕は吸血鬼も悪魔も、何も信じたくなかった。だからずいぶん探した結果、医院の庭先だったはずのところから、それだけひとつ探し出した」
     古い銀の弾は、彼と私の体温であたためられ、老獪な生き物のように隙間から私を窺った。
    「名も知らぬ君に届けと思って、僕はそれをずっと道標にしてきた。でも、必要ならば、それは君に」
     静かに、私の手のひらが彼の手に握り込まれていく。
    「僕のさがしものはもう手の中にある」


     美しくまっすぐな青い瞳が私を捉え、瞬きは引き金をひいたかに見えた。その瞬間、ほとんど悲鳴に近い空気が私の喉を飛び出し、手のひらの銀色を後部座席へと放っていた。
    「ごめんなさい」
     とっさに助手席から背伸びして探るが、手応えはない。シートベルトを外し、身体ごと反転させる。座席に膝立ちになり、必死で足元のシートの上から探り当てた。
    「いいよ」
     振り返ると、彼はネクタイを直しながら、いそいそと窓の外の闇に目を逸らした。
     差し出したそれを、受け取ってもらえない不安から、手のひらがじっとりと湿り始めた。こわい。
     私の動揺を受け流し、右手を口元に当て、しばし夜の観戦者となっていた彼が、やがて観念したかのように口を開いた。
    「ごめん、その、スカートの中の秘密を覗いちゃったんだ…」
    「はぁ!?」
     銀の弾は、次は助手席下のシートへ、潜り込んでいった。
     

     熱をもった彼の瞳が、仔猫の鼓動のように、私の周りを跳ね回っている。
     頬が熱い。でも、それで気づいた。
     私は、この彼の瞳が、私のなかに何らかの面影を探ることを、想像するのもいやだったのだ。
    「見ないで」
    「ごめん、でも見えちゃった」
    「そうじゃないの」
    「うん?」
     窺うように覗き込む彼から、私は顔を背けた。
    「私の顔、見ないで。私のなかに、なにも探さないで…」
     私はウインドウを下げ、喘ぐように夜を取り込もうとした。上気した車内の温度が、一瞬で冷や水を浴びせられる。
     二月の風は、ロマンスに優しくはなかった。


     運転席から伸びた左手が、私の右手首をつよく握りしめ、夜が熱にふるえた。右側からのまなざしの不機嫌が、私を射す。
     この不機嫌な顔を見るのは、二度目だ。
     数ヵ月前、押収物であるカセットテープの中身を、彼と一緒にひとつひとつ確認させられることになったときに、彼は一度その顔を私に見せていた。
     片耳ずつのイヤフォンを預けたまま、彼の視線が、一から二十の番号をふられたそれを確認したあと、私の輪郭を下からなぞった。長く細いため息のあとには、これまで見たこともないような不機嫌な顔が、そこに貼り付けられていた。
     そのとき私は、努めて空気であろうとした。組織の崩壊からずっと、連日の聴取の間にも、彼はそっと自分に寄り添ってくれていた。だけど、それはきっと私のためじゃなかった。この空間は彼と、彼の思い出のなかの母の声のためのものだ。
     じっと祈りのような沈黙の時間が過ぎるのを待った。こんなふうに、芽生えた想いの中身を知りたくはなかった。目蓋を閉じた拍子に、頬の上を涙が一粒転がり落ちた。


     車内に他に音はなく、彼の腕時計の秒針が刻む、規則的なリズムが、私の耳へ近づいた。その方向を見遣ると、針葉樹のように細く鋭いまなざしの先が、私をとらえていた。
    「見てない」
     声は重たかった。
     そのまま彼の指先が、私の頬にかかる髪を耳へかけ、面差しを顕にした。
    「僕はずっと、きみを見てた」
     息が止まる。
     夜のなかを伸びる影が、扉に手をかけ、私を外へと助け出した。ドアを閉めることすらせず、転がり出る。水が、水が欲しい。
     私は息をしたいだけ──。


    「志保さん」
     いくらも行かないうちに、段差に足をとられ、そのまま地面に引き倒されていた。したたかに打ち付けた膝からは、確認するまでもなく血の匂いがして、私は鼻をならした。追い付いた優しい手のひらが、背中に添えられる。どれほど応えたいか。
    「あなたまで水に濡れることはないわ」
     痛みをこらえて、ようやく絞り出した。
    「帰ろう」
    と、静かに彼は言った。
     私はもう止まらなかった。
    「私が帰るところは、美しいあなたの世界じゃない。全ての生物の命の元凶の暗い海よ。水がなければ生きていけないだけなの、息ができない。お願い、このまま夜へ返して…」

    10
     彼の瞳がくるりと丸く、夜のなかで美しいビー玉になった。
    「私は所詮、暗い海の底からやってきた、いじわるな鮫なのよ…。誰かの血の匂いをずっとずっと狡猾に狙っている。あなたの思い出の傷口につけこんで、愛を乞うようなおろかな真似をしたくない…」
     私を愛するような仕草を、隙を、この世の誰も私に見せないで欲しい。初めから血の匂いを知らなければ、安心して飢えて死ねる。
    「なんだびっくりした。海にかえせなんていうから、実は人魚だとか、そういううちあけばなしされるのかと…」
    「えっ…」
     驚いて見上げると、ビー玉の瞳は、怪我を癒すかのように、丁寧に私の足先をなでつけていた。
     ずぶ濡れで地面に転がる情けない私の姿は、そこだけみれば確かに、打ち上げられた人魚姫のように見えなくはなかった。
    「きれいな人間の足に見えるよ」
     王子は、プリンセスシャークの血塗れのひざこぞうに関しては、ひとまず言及を避けた。


    11
     彼の後ろには、もう月が顔を覗かせ始めており、それに照らされた金糸が、無数に私達に降り注いだ。
    「水は上からも来るみたいだ」
     よかったね、と彼は笑った。
     私はヒールを脱いだまま、金に濡れそぼる夜の底に足をつけ、立ち上がった。
     彼は腕を広げながら、私を待っていた。そしてゆっくりと、その腕のなかに取り込まれる。
    「小判鮫になれそう?」
     私は、少し笑った。
    「あれは正確には、鮫じゃないわ」
    「僕のために少しウソつきでいてくれると助かる。夜半に血塗れの十九の女の子を路上で抱きしめてるなんて、おおごとだ」
    「親の許可のある誠実なお付き合いなら、大丈夫らしいけど」
    「無茶言う」
     本当に困ったといった風に、彼はながいため息をついた。そのまま顎を、頭に乗せられる。
    「お願いついでに今日の続きは、二十歳の誕生日まで待っていてくれないか」
     先ほどの、車内での告白を思い返して、私の身体中の血がひっくり返りそうになった。
    「あのカセットテープ。薬の秘密でも記されてると思ったら、娘を守るメッセージなんだもんな。先生相手じゃ手も足もでそうにないよ」
     いたずらの計画を見破られた少年のように、残念がった。
    「きみがあんまり静かに聴きいって涙までこぼすものだから…嫉妬で叩き壊すか迷ったよ」
     いつかの庁舎内で、片耳ずつのイヤフォンを分けあった時の、彼のポートレイトが、私の頭のなかを覗き込んだ。
    「僕はカセットテープ持っていないから、二十歳よりあとは、毎年きみの隣で生演奏ってことにさせてもらえない?」
    「どういうこと?」
    「お誕生日おめでとうって言うんだよ」
    「誰が」
    「僕が、きみに。きみの隣で。志保、二十一歳のお誕生日おめでとうってやつ」
     あっけにとられた私に、そのまま矢継ぎ早に営業がかけられた。
    「今、お得なサービスやってるから、抱き返してくれるなら、八十歳までの特約つけるよ」

     
    12
    「ばかね…」
     私は声を上げて泣いた。
     次第に弱くなる雨足は、宮野志保の産声を隠すつもりなど毛頭ないようだった。
     背中に回された彼の手が、赤子にそうするように丁寧に上下する。
     灰原哀の産声を、想う。あの夜、それは、覚めない悪夢となって、ひとりぶかぶかの白衣を纏い、街中を走る雨のなかに、静かに飲み込まれていった。
     いま、闇も雨も街も彼もただ、力強く私をいだき、あの日の「寄る辺なき未成年」の役名を溶かしながら、じっとそこに存在している。
     今日のこの雨中の涙はやがて、地をくぐり、根を這い、空に向かい、虹になるきっと。彼の腕のなかで聴こえる、彼の鼓動が、やさしくそれに相づちをうった。
     私はそっと彼の背に手を回し、抱擁にこたえ、彼の肩越しに夜の空を見た。雲の切れ間から、たったひとつ遠くに銀の弾丸が光ってみせた。

     ほんとうの姿を見た気がする。
     夜はやさしかった。
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