魔法が技術として体系化された現代。遺伝的な資質を有する魔法は、次第に魔法を扱う者たち‐魔法師たちの遺伝子に少しずつ、少しずつ変化をもたらしていった。その成果が表れ始めたと言えば、西暦二〇五〇年頃から。一部の魔法師に、特異的な能力が備わって生まれてくるようになったのである。
それは神からのギフトとも言えるが、同時に悪戯だとも言えた。
「人が人ではなくなること・・・これを、奇跡と呼ぶかそれとも」
七草は拳を握りしめ、後ろ手に生徒たちをゆっくりと後退させていった。本校舎の出入り口付近。本当にただの日常の一つに過ぎなかった今日というこの日。ただ一つの事件が、一つの傷が引き起こした悪夢。
一匹の狼がそこに、一人の青年を庇うようにしてこちらを威嚇していた。
青年‐司波達也の方はすぐに気を取り戻したのか、現状を把握して打開策を打ち出そうと動いたが、むなしくも狼によってそれは阻まれた。狼は達也に寄りそうようにして離れない。視線の先には、達也に悪戯に魔法を飛ばした一年生たちのグループが居た。
「もっと下がるのよ・・・ゆっくりと、焦らないで」
七草はそう言って件の生徒たちを下がらせようとするが、内心では舌打ちをしたい気分であった。正直に言えば、嚙み殺されてしまっても仕方がない、と内心では思っていた。
それでもそうさせないのは、狼の正体が自分の生徒会に所属する生徒、副会長を務める服部刑部だからだ。
彼の心を写し取ったかのように美しい白い毛並みは、誇り高き彼そのもの。彼が特異存在であるということは知っていたが、実際にその姿を見るのは初めてであった。けれども一目で彼であるとわかったのは、やはりあまりにも美しかったからなのだろう。
唸る音が聞こえる。
「お願いよ・・・正気に戻って・・・」
いいや、彼はきっと正気だろう。怒りに身を任せてあのような暴挙に出るような男ではない。そうわかっていても、そう願わざるを得ないのは、彼のような特異存在にただの魔法師が敵う訳がないことを知っているからだ。
結局、人は人。魔法を扱える肉食の動物を目の前にして、敵う訳がないのだ。CADを手に持っているからと言って、勝てると確信を持てる相手ではない。
けれど疑問があるとすれば、何故彼が達也を庇うのか、という点である。彼らは入学早々に模擬戦を繰り広げ、一悶着どころか二悶着を起こしてくれた。それがどういった心境の変化で、
「おい・・・真由美。流石にまずいんじゃないか?」
そう言って渡辺が自らの武装一体型CADを取り出すが、七草はまだ攻撃の合図を送りはしなかった。できれば無傷で収めたいのだ。怪我をさせるようなことではない。だって彼らは、まだ誰も傷つけていない。
「落ち着いて、摩利・・・まだ、大丈夫よ」
よく見れば、後方にいた達也もゆっくりと後退を始めている。彼が一定の距離を取れば、渡辺の魔法で眠らせることができる。わざわざ他を巻き込んでまでして彼を傷つける必要性がなくなる。
後退さえできれば。
七草はそう思っていた。けれど、それは急に現れた。いいや、厳密に言えば七草たちはきちんとその目でその瞬間を目撃していた。ある者はおそらく、その瞬間を見るのは二度目だろう。
奇跡の瞬間と言うべきか、それとも悪戯の瞬間と言うべきか。
大きく腕を広げた達也は、その腕を白き翼に変え、身を小さくし、狼の周りを飛んだ。
「・・・梟・・・?」
夜行性であり、普段人目に触れることがないその動物は、このような都会に居るはずもない。であれば、自分たちが目撃したものは紛れもなく事実であり、真実。
次第に大人しくなり、唸り声を潜めて頭を垂れ、狼は元の姿へと戻っていく。瞬間的に美しく白い毛並みは髪色にも反映されたが、すぐに見慣れた色が戻ってきた。
梟もそれに満足したのか、彼の腕に止まると姿を変え、ゆっくりと地に降りる。
彼もまた、特異存在であった、という訳である。