昨日のセッション中の言葉昨日は発狂してメンヘラになり秘匿ばら撒きました失礼しました、パラ王です。
いやあ二条君が言ってた、死んでても友達っていい言葉だね。
CoCで最近セッションしていて、やっぱりなんか死んだら終わりみたいなところあるし、殺されたら復讐してやりたいと思ったりして、
それはそうなんだけど死ってそういうものだっけって思ったりしてたんですよね。でもその違和感がよくわからなくて。すみません言語化が下手すぎて...。
でも二条君の言葉を聞いて、そうそう!その感覚って思った。
生死って極端にいうと状態なだけで、生きてても死んでても見守ってくれてて支えててくれて、死んでしまっても今も友達であり続けるってあると思うんだよね。
だから生きている人は生き続けようと頑張って、死に直面した時、その死を不幸だと思わないことも大切なのかもね。
いっぱい寂しいしいっぱい悲しくても、不幸ではないんだよ。
俺の家族ももう死んでいても、きっと生きてる間と変わらず何度も俺を救ってくれた。
あー今の京都はどうなってるんだろう、早くこの目で見たいけど、なんか相手からも認識されるとかされないとか...?
っていうかあの書類本当に難しすぎませんか?
血の匂いとか腐った匂いとかあからさまにやばそうな匂いは俺だけ感じてるし、石ころもそうだけどどこか違うものを認知しているって実感があったからおそらくはあってると思うんだけどなあ...。
俺が失明すればなんとかなりそうではあるけどもって解釈で合ってんのかな...。
それなら視力を失う前に本物の2022年の京都が見たい。