和気財を生ず シックスが聞いてくれたおかげ、と言って良いのかどうか。夜に訪ねると、まあ来ると思っていました、とローズが中に入れてくれた。
「本当に忙しい状態ですので、絶対に睡眠を邪魔したりしないでくださいね」
「しませんよ。ボクのことなんだと思ってるんです…」
「絶対ですよ」
「………」
重ねられてしまった。本当に、何だと思われているのだろう。今まで彼に無理をさせたことは―――まあ、数え切れないほどあるけれど、流石にこんな状況でどうこう、なんてしない。というか、一応ちゃんと大人しくしていた時だってあると思うのだけれど、ローズの中ではそれはなかったことになっているのだろうか。
さっさと風呂にでも入ったらどうですか、と半ば蹴り出されるようにリビングルームを出て、言われたとおりにお風呂に入って。
「あ、スリーさん」
出たら、彼が帰ってきていた。
「ええと、おかえりなさい」
「あ、はい。ただいま戻りました…スリーさんはお風呂済ませたところですか?」
「はい」
「じゃあ、僕もさっさと済ませてきちゃいますね」
なんだか一緒に住んでるみたいだなあ、と思いながら見送る。流石に、外套だの何だのを預かることは出来なかったけれど。
「預かりたかったんですか?」
ローズに問われて、それは何か違うな、と思った。
そういうことだったから、本当に特に何もせず、ベッドに入ったのだけれど。
「………?」
うと、としてきたのを感じた頃、そっと、彼がベッドを出ていくのが見えた。どうしたのだろう、と思う。別に彼だってベッドに入ってからトイレに行くということがない訳ではないと思うが、普通、トイレに行くのにこちらの様子を窺ったりはしないと思う。
なんだろう。
耳を澄ませていると、そのまま階下に降りていったようだった。余計に分からない。起き上がる。この階にも水場はあるし、もし壊れているのだとしたらローズが何か言うだろう。何も言われていない。それに、出来るだけ足音を立てないようにか室内用の靴も置いて、裸足で行ったようだったし。
本当に何なのだろう。
少し迷って、彼と同じように裸足のまま、そっと、階段を降りていった。
「………何してるんです?」
まさか外に出てはいないだろうとは思っていたが、キッチンにいるとは思わなくて、結局そんなことを訊ねてしまった。彼は彼で、どうやら自分が来ることを予期していたらしい。見つかった、というような顔もせずに、持っていた包丁をひらひらと振ってみせる。危ない。
「見て分かりませんか? 夜食です」
「夜食」
確かに此処は包丁だし、持っているのは包丁だし、手元には林檎もあるが。あれは昨日受け取っていた林檎だろうか。
「ええ、と…そういうのってローズがやるものじゃあないんですか」
「ローズさんだって夜は寝てますよ」
本当にそうだろうか、と思ったけれど、まあ、彼がそう言うのであれば無駄なことは言うまい。料理はある程度出来る、と言っていたような気がするので、そこまで心配することもないだろうし。
しかし、初めて見るのはそうなので、とりあえず横に行くことにした。
「何作るんですか」
「もらった林檎を………ええと、オーブンでブンします」
「料理名を聞いたつもりだったんですが…」
「じゃあ林檎の丸焼きで」
「というかそのジョーク、今日言います?」
「今日だからですよ」
まだ二十五日ですし、と言われればそういうものなのかもしれない、と思ってしまう。
そもそもこんな夜更けだろうと、二十五日に一緒にいる、なんていうのは珍しいことであったのだし。今まで一度も文句を言われたことがないからと言って、良くないのではないか、と今更ながら思う。シックスだって、そういうことを考えたからこそ今日の予定を聞いてくれたのだろうし。…いや、確認してはいないから本当のところはどうか分からないけれど。さっさと行きなよ、と蹴り出したのはどういう心境だったのだろう。
「まさかきみ、他でもこんなこと言ってませんよね…?」
「冗談を言う相手は選んでますよ」
それは。
ある程度、冗談を解してくれると、認められたような心地になって。
「出来ました」
「林檎に穴空いただけじゃないですか」
「その穴に~ローズさんが用意してくれてあったえーっと…いろいろを入れます」
「用意」
「それで、上のところで蓋をして、オーブンに入れたら待つだけです」
「きみの行動、ローズに筒抜けじゃないですか」
「なんか似たようなことを昨日グリンさんにも言われましたけど、別に僕は困ってないので良いですよ」
「………」
グリンと発言がかぶるのはちょっと嫌だ。嫌だが、今そういうことを言ったらなんとなくふわふわと浮ついている彼の心地を、乱してしまいそうで。
「…ええと、」
ワークトップに凭れかかりながら、彼が小さく呟く。
「僕にとっては、クリスマスってそんなに大事な日じゃないんですけど」
「そういえば言ってましたね」
「でも、今年こうやって、ちょっとでもスリーさんと過ごせて。なんか…良いなあって」
だから、と袖を引かれた。それはまったくもって強い力ではなかったけれど、引き寄せるのには充分で。
やわらかなものが頬に触れる。
それが何なのか、今更問うことはしない。
「………やっぱり照れますね、これ」
「…そう、ですね」
「スリーさんもですか?」
「きみから…してくれることも勿論ありますが、ええと、今日はなんか、雰囲気もありますし」
「クリスマスの所為ですか?」
「そういうことで良いですか?」
「良いですよ」
僕も浮かれているので、という言葉に、ああ、やっぱり浮かれていたのだな、と思う。
このまま目を合わせていたら、手を伸ばしてしまうのではないか―――そんなことを思ったところで、ピピピ、と音がする。
「あ、焼けた」
彼のその声で、今まで気付かなかった林檎の香りが感覚に訴えてくる。これは、こんな時間でも食欲をそそる。やわらかな林檎の香りの中に、シナモンだろうか、そういう、スパイスが入り混じって。多分真面に食事も摂れていない彼に、やさしいものを置いておいたんだな、と思う。
「そういえば、半分こで良いですか?」
再び包丁を持った彼が問うてくる。手付きは危なげなかったのに、どうしてこう、包丁を持つと不安を覚えるのだろう。
「きみが全部食べても良いんですよ」
「それじゃあなんか、違うじゃないですか」
「そうですか? じゃあ、四分の一くらいもらいます」
「分かりました」
さく、さく、と。
切り分けられていく林檎に、あたたかな香りに。
ずっと腹の底に蟠っていた記憶が、今だけは黙っていようとしてくれているのが、ひどく、嬉しかった。