と或る騎士の逃亡戦 追う音。そして、それから逃れる音。
重なり合う二つの音は平原に土埃を上げて空に舞っていた。
その中に塊が見える。馬の塊だった。白を先頭に黒、茶、栗毛、様々な馬の色が続く。それらは一つになって駆けていた。
先頭を疾駆する葦毛色の馬には、長身の男が身を低く騎乗している。黒い外套を目深に被っているが、その燃えるように赤い髪が一房、零れて風に流れていた。
男はちらりと自分の後ろを振り返る。
先程一瞥した時よりは離したように見えたが、自分が思っていた以上にその間が近い。そして自分の騎馬もそろそろ限界に近いのだろう。距離を測る事でおのずと馬の脚が遅くなってきているのを感じる。
男はその事実に舌打ち、正面に向き直る。両腿を強く締め、馬の腹を固めた。その脚を無理やり上げさせる為だ。だがこれ以上その足を速め続ければ、いずれこの馬は使い物にならなくなるだろう。
だがそれは致し方ない事。付き合いはけして短くないこの馬と別れるのは忍びないが、今はこの状況から逃げなければならない。
そうだ。逃げなければ、逃げなければ。逃げなければならない。
繰り返し心の中で呟く言葉は、自分に言い聞かせるような祈りに似ていた。
背後から音が飛ぶ。
ひょうと高く長く細く鳴く音に反応し、男は、一筋を見た。
一筋は光りだ。
何かが放たれた。
見えた。
一閃。
それは風を切って自分を目掛けて。飛ぶ。避ける。だが、それは自分を真っ直ぐに追って。避けきれない。先端が光った。矢だ。矢が、貫く。
いかん、と思ったが、刺さる。左の太腿が瞬間、熱くなった。
歯を食いしばり、矢を半分から刺さったまま折る。抜く事はしない。
歯軋りをして、背後を睨んだ。
豪腕の弓兵でもいるのだろうか。
睨みつける先から、先の一本から続けて降り注ぐ矢の追随。自分を真っ直ぐ追ってくる。
まるで、この地に縫いつけようと、針が降ってくるようだ。
その雨にその執念を見た。
熱くなる。矢傷ではない場所が、身体中の血が沸騰するかのようだ。逃げ切れるか。否。逃げるのだ。 それに変わりは無い。
背後で怒号。追撃の声が上がる。重ねて尚も自分を追いかけようとしている騎馬の音が近づいてくる。それは自分と同じく。止まらない。もしかしたら、死ぬまで止まれないのかもしれない。
何処までもずっと追いかけてくるような感覚を、男は背中に感じながら、両腿に力を込め、馬の腹を締めた。
風よりも疾く。
今は。
祈るように、疾駆する事しか出来ない。
己の馬がそれに答えるように、風の中で嘶いた。
あの方の元に、還ることだけを今は、思うことにした。