左目の奥で火花が散った。続けてパチパチと夜空に浮かぶ花火のように光の華が視界の中で踊っている。そしてその光は、弾けるたび小さな針が脳を何度も突き刺す痛みを繰り返した。
「カイン、」
此処には居ない騎士の名を、オーエンは小さな声で呟く。
その声に、あの夏の太陽みたいに明るい調子で返ってくる言葉はない。彼は中央の国の依頼で魔法舎を出ていってしまった。
数日前の事だった。
賢者や同行する魔法使いが連なり、中庭を通りエレベーターに向かう彼ら、その中のカインの背を、魔法舎の自室から見下ろしていたことを、そのことを思い出す。
あの日のカインの表情は、あまり見たことが無いものだった。そうだ、何だかいつも以上に意気込んでいたように見えた。……いや言うなれば、あれは義憤に駆られた騎士そのもののようだった。
オーエンはふと息を吐いて、眉を寄せた。
(どうせまた無茶してるんでしょ? 身を盾になんかして、主君を絶対護る、とか。カインはもう騎士じゃないのに、おはなしの中の騎士様みたいに……)
自分より弱いのに、己の中に入れた大切なもの全てを護ろうなんてするから、あれはすぐに死にかける。ホントいい加減自分の力量に伴った行動をしてほしいと思う。
……オズはその行動を、中央の魔法使いの気質なんて言ってたらしいけど、そもそも気質なんて言葉で済ませるようなものじゃない。あれはむしろ狂信者が神に縋る祈りや信仰に等しい。
でも。だからこそ、
オーエンは、騎士の誇りを奪うことが、今も昔も出来ないでいるのだけれども。
而して、左目から見る火花は未だ落ち着かない。針を刺す痛みは尚も止まらない。
故に、どうしてなかなかこれは……結構、痛い……。
「どうしたの? 相手はそんなに強いの? 騎士様」
痛みに耐えながら、この視界の向こうで勇敢に戦っているであろう騎士の姿を想い、オーエンは薄く笑う。
あれから奪った眸と自分の眸をすげ変えて、そしてまじないで繋いで、互いの魔法の力を共有させているから、カインの様子がこうやって自分へと幾分か還ってくる。視界の中に火花が散るのは自分の魔法が、加護が、カインが傷を負う度に砕けるからだ。
いつもなら二、三度で終わる火花は未だ瞬いている。
どうやら今回の厄災は思う以上に強いのかもしれない。
(でも騎士様は強いから、悪者なんかに負けたりしないよね?)
物語の中の、騎士そのものに憧れたあの幼子は、今はもうその資格を失っているけれど、それでもあれは悪者に負けるはずがない。
光の騎士は、闇なんかに屈しはしない。そうだろう?
「――――ッ!」
瞬間、左目が槍で貫かれる、ような、感触。次いで今までにない程の光の洪水が目の前で弾けた。
声無く叫びそうになったが、咄嗟に目を強く押さえ耐える。大きく息を吸って、深くゆっくりと吐き出す。何度か繰り返すとやっとその痛みが治まってきた。
確認するように、そっと手のひらを外し、指を伸ばして、眸に直に触れた。
指の、先が、
目に、眸に、
届く、触れる。
――視界が赤に染まった。
続けて生クリームを溶かして舌の上から喉へ通すような、どろりとした感触。それは頬を流れて顎を伝う。周りに生臭い鉄錆の匂いが漂う。嗚呼、左目から血が流れているのか。
与えていた守護が、カインを護っていた自分の魔法、加護の全てが破壊され、力の源にそれらが反転されたのだと、知る。
「誰、……?」
低く唸る。
自分の力が戻されたという事は、カインの中に何か違うものが入り込んだ証。その何かは彼の中の自分を取って代わるようにと、異物を排除しようとしているという事に他ならない。その事実に、忌々しさに苛立ちを覚える。
意識を集中する。細い糸のように繋がっている眸の先、赤い視界の中、騎士の中を巡る。泳ぐ。廻る。視る。そして探る。
すると、ややあって、大いなる厄災すら見えないくらい夜の深い闇の色が騎士の中で渦巻いている。……その何かを見つける。何かは漆黒の影、それでいて火焔、黄金が燃えるような、灼眼。双つ目が此方を見ていた。
「お前、おまえだな」
カインの中に入り込んだ何か。
認識して睨み付ける。ああこれもまた、光に誘われた闇の一つなのだろう。
でも、
そう。でも、とオーエンは嬉しそうに笑った。
「残念。騎士様はね、ずっと前から僕の物だよ」
告げた言葉に、赤い視界の中の赤い瞳が一層強く、激しく燃え上がり、やがてそれは光と共に瞬いて、いつしか視界の中に消えていく。目の前はいつもの光景に戻っていった。
あの何かよく分からない力は、カインの中から去った訳ではないけれど。今はその力が収えられたように思えた。
オーエンは、もう一度、何度目か分からない溜息をゆっくり吐いた。
――……しょうがない騎士様。
……帰ってきたら、また僕が加護を与えないとね。