永遠に紡ぐ夏休みは稼ぎ時だ。長期休暇はバイトに明け暮れていたが今年はそうもいかない。成績は悪くないがそろそろ受験対策もしなければならない。無料の夏期講習に申し込んでみればと母親に提案された。無料と謳っているがどうせ夏期講習が終われば塾への勧誘が待っているだろうと乗り気ではなかったがバイトばかりと心配され渋々申し込む事にした。
教室で夏期講習の日程を確認していると女子達がザワつき始める。『かっこいい』『イケメン』、そんな声が聞こえ顔を上げるとそこにはあの男がいた。
「冨岡っ…!」
「……すまない。何処かで会った事があるだろうか?」
「…え?」
思わず駆け寄り手を掴んで声を掛けてしまったのを後悔する。
俺には前世の記憶があった。何も奪われない平和な世の中になるようにと命を掛けて使命を果たした。失ったものは計り知れない。決して長い人生でもなかった。それでも最期は穏やかに過ごした。この目の前の男、冨岡と。
「…あの…?大丈夫か?」
「…あ……悪ぃ、なんでもねぇ…」
どうして記憶があると思ったのか。自分の周りの人間は誰一人記憶がないのに。
『実弥、あんな綺麗な子と知り合いなの?俺の知らない所でいつの間に…まさか彼女!?』
「いや…知り合いっつーか……つか、彼女ってなんだよ。男だろ」
『えっ!?あんなに美人なのに……まぁでも確かにちゃんと見れば…で、どういう関係?』
席に戻ると匡近に色々聞かれるが何をどう応えればいいのか分からず軽く濁す。前世で共に戦った元同僚で友人と言った所で理解されるはずがない。
匡近にも記憶はない。家族にすら記憶はなくどうして自分だけと今まで何度も考えていた。冨岡と逢って分かった。前世での生涯に後悔と未練があるからだ。そう考えた所で授業が始まる。
授業を終え冨岡に声を掛けようと席を立つ。冨岡には記憶がないのにどうしても話がしたかった。
「とみ…」
『義勇!帰ろ!』
「真菰」
『授業どうだった?』
「うん。良かったと思う」
教室に入ってきた小柄な女子が冨岡の腕に絡み付きそのまま一緒に出て行った。
前世に後悔と未練があるから記憶があるのだとしたら、記憶のない冨岡には後悔と未練がない。冨岡の最期はとても穏やかだった。最期の願いを叶え満足して逝ったのだろう。
俺の後悔は何も紡がなかった事だ。今更話をしたいと思っても記憶のない冨岡には何も紡げない。紡いだ所で冨岡の隣には並べない。
ずっと好きだった。でも記憶があるから引き摺られているのだとも思っていたが逢って確信する。俺は今でも冨岡の事が好きなんだ。二人で過ごした日々を思い返す。どうして何も紡がなかったのか。冨岡の想いに気付いていたのに。あんなに冨岡の事を想っていたのに。たとえ短い生涯だと分かっていても紡ぐべきだった。
この記憶は冨岡への未練だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夏期講習の最終日、バイトが長引き塾に着くのがギリギリになった。教室に入ると空いてる席は一つだけ。
「隣いいかァ?」
「…どうぞ」
冨岡と会話するのは初日以来。会話とは言えないが些細なやり取りでさえ心拍が上がった。授業を聞きながら隣を盗み見ると今生の冨岡は左利きらしい。いつも後方の席に座っていたから気付かなかった。
「あ、悪ぃ…」
「…いや、こっちこそすまない」
肘同士がぶつかり詫びを入れると冨岡が椅子を少しずらす。初日にあんな事をしたから不審がられているのかもしれない。
授業が終わるとすぐ帰り支度をしていた冨岡がテキストを広げたままホワイトボードを凝視している。
「…おい、終わったぞ…」
「…え?……あ、もう終わったのか…すまない…」
「…顔色悪ぃけど大丈夫か?」
「……ただの寝不足だ」
「寝不足になるほど勉強してんの?」
「…別に」
「…ふーん……なァ…今日は彼女迎えに来ねぇのか?」
「彼女…?…あぁ、真菰の事か?今日は部活で来ていない」
「…飯食いに行かねぇ?」
どうにかして冨岡と繋がりを持ちたくて飯に誘う。
「…何故?」
「今日で最後だし」
「…だから何故。俺達は友人でもない」
「じゃあ友達になりゃいいじゃん」
「……意味が分からない。友人になる理由なんてないだろう」
「友達になんのに理由なんか必要かァ?俺は冨岡と仲良く」
「ならない」
「…え?」
「友人にはならない……失礼する」
テキストとバッグを抱えて冨岡が教室から出て行く。失敗した。冨岡にとって俺は夏期講習のクラスが偶々一緒になっただけの男。期間中一度も会話などしてこなかったのにいきなり友人になろうだなんて断られて当然だ。
『実弥、今日遅かったじゃん。どうしたの?』
「いや、バイトが長引いた」
『そっか。お疲れ様。ご飯行く?』
匡近に声を掛けられ落ち込んでいた気分が少し紛れる。そもそも冨岡と友人になってどうするつもりなのか。友人になっても前世の後悔や未練がなくなるわけじゃない。俺は前世でしなかった事、出来なかった事を今生でしたいだけなのかもしれない。今生の冨岡にしても意味がないのに。はぁ、と嘆息しバッグを手に取ると何かを下敷きにしていた事に気付き拾う。
「…キメツ学園…」
『…生徒手帳?あの美人の彼のだね』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…なんで…」
「…落し物。塾で拾った」
始業式を終えてキメツ学園へ向かった。校門の脇で待っていると程なくして冨岡が出てくる。生徒手帳を差し出すと受け取ろうと冨岡が手を伸ばす。
「すまない。わざわざ届けに来てくれたのか。ありがとう……っ…」
冨岡が生徒手帳に触れる直前で上に掲げると軽くムッとする。
「…何のつもりだ」
「返して欲しいかァ?ならちょっと付き合え」
返事を待たず歩き出す。振り向き立ち止まったままの冨岡にヒラヒラと生徒手帳を頭上で揺らすと仕方なしといった様子でついて来る。近くの公園に行きベンチに座るように促すとやや躊躇ってから隣に腰を下ろした。
「…生徒手帳を返しに来てくれたんじゃないのか?」
「話がしたくてよ」
「…話?友人にはならないと言ったが…」
「なァ…冨岡は前世って信じるか?」
「…は?前世?そんなもの」
「俺には前世の記憶がある」
「………」
「前世で関わった奴に何人も会ってる。けど記憶があるのは俺だけで…ずっと何でだろうって考えてた」
「………」
「…好きなやつがいたんだ…多分お互い好きだった。でも…お互い余命が短かったから伝えなかったんだ。そいつが死んで…後悔した。どうして伝えなかったんだろうって……俺は…後悔があるから記憶があるんだと思ってる」
「……そんな話…どうして俺に話すんだ?…前世なんて信じられないし、俺には関係ない」
「冨岡……俺が前世で好きだったのはお前だ」
冨岡は一瞬目を見開いてから俯き、立ち上がる。
「…話はそれだけか?」
「そォだけど…」
「…生徒手帳は返さなくていい。捨ててくれ…」
俺に背を向けて歩き出そうとする冨岡の手首を掴む。
「待てよっ」
「…離せ。そんな話を信じろと言うのか?仮に本当だったとしても…前世で俺が好きだったと言われても…俺には関係ない。巻き込まないでくれ」
「…冨岡は……何を後悔してんだ?」
「……は?」
「何で…記憶がないフリをする?」
「なに、言って…」
「……これ…」
「…っ……」
生徒手帳の中に小さく畳まれて入っていた一枚のメモ用紙。そこには記憶がある事を疑わない内容が書かれていた。
「…蛇…◯、…炎…☓、…恋…◯、…風…◯……無関係な奴が見たら何のこっちゃ分からねぇな。蛇は伊黒、炎は煉獄、恋は甘露寺…」
「…も……い…」
「風は…俺…」
「もういい…っ!」
「…◯☓は記憶の有無……何で…記憶がないフリなんか…」
「…必要か?」
「…は?」
「記憶があると…言う必要があるのか?前世と今は別の人生だ。前世で関わったからといって今も関わる必要はない…」
「俺はおま…」
「不死川…今を生きろ。俺に関わるな」
冨岡は俺の手を振り払って行ってしまう。二人で過ごした日々の思い出が強く残っていたから鬼殺をしていた頃の冷たい表情を向けられて動けなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一週間が経ち俺は未だに冨岡に言われた事が頭から離れない。前世と今は別の人生…そんなの分かっている。冨岡にとって前世は過去の事で彼女と今を生きている。それでも冨岡を想う気持ちは前世から変わらない。俺だけが前世に囚われている。
バイトが終わり帰路についていた。人混みの中ぼんやりしていたせいで人にぶつかる。
「っ…すんません」
「申し訳ない。よそ見をし……不死川?」
「伊黒?」
冨岡のメモ用紙から伊黒も記憶があると分かっていたがまさかこんな近所で会えるとは思っていなかった。
「…久し振りだな。まさか貴様にも記憶があるとは」
「いや、それはこっちの台詞だァ」
「時間あるか?行く所があるのだが、付き合わないか?」
「いいけどォ」
連れて行かれたのは純喫茶。伊黒が純喫茶なんてどうにも似合わないと思っていたがそれはすぐ納得する事になる。
「いらっしゃい。小芭内さん!不死川さんお久し振りね!小芭内さんから連絡貰って…また会えて嬉しいわ!」
「か、甘露寺…何で…」
「ここ私の家なの」
伊黒と甘露寺が繋がっていたのは驚きだ。そうなると煉獄とも繋がりがあるのか。そもそも冨岡とはどんな繋がりなのか。
「不死川、礼を言う。俺達が死んだ後、無惨を倒したそうだな。平和な世の中でこうして蜜璃と過ごせているのもお前達のお陰だと思っている」
「…蜜璃?」
「付き合っている」
「…へ?甘露寺と?…なんでまた…」
「…は?蜜璃ほど素敵な女性はいないだろう。俺達は死ぬ間際に来世を誓った」
「そうなの。こうして小芭内さんと一緒にいられて幸せなの」
「そ、そうかぃ。良かったな」
二人がそんな誓いを交わしていたなんて。だから記憶を持って生まれ変わったのか。伊黒と甘露寺は希望、俺は後悔。俺とは全く異なる理由だ。
「不死川、周りに記憶持ちはいるか?」
「…いや、いねぇな。俺だけだ」
「誰がいる?」
「悲鳴嶼さんと胡蝶姉妹」
「こっちは煉獄だ。記憶はない。不死川、どうして記憶がある者とない者がいると思う?」
伊黒から出てきたのは煉獄だけ。冨岡と知り合っていると思ったが違うのか。一方的に冨岡が三人を知っているだけの可能性もある。だが記憶の有無を何故知っているのか。
「…さァ…分からねェな。ずっと考えてるし予測は立ててるが…」
「…俺達は前世で後悔や未練がある者が記憶を持っているんだと推測している。煉獄は竈門を守って死んだ。柱として責務を全うした。だから記憶がないんだと…」
「…は?いや、お前ら後悔があるのか?来世を誓ったんだろ?希望じゃねぇか」
「いや…それはまた別物だ。前世で蜜璃と添い遂げられなかった事を後悔している。もっと早く想いを伝えていればと…不死川はどうだ?」
「…記憶の有無に関しては伊黒と同じ考えだ……俺も…後悔してる……」
「何故だ?最後まで戦って無惨を倒したのだろう」
「……伊黒と同じだァ…伝えるべき事を伝えなかった」
「…ほぅ……それはさぞかしソイツに逢いたいのだろうな?」
「いや……もう逢ってる。でも関わるなって言われたわァ……記憶もないフリされた」
「…は?不死川、貴様すでに義勇と逢っているのか?しかも記憶がないフリだと?…クソ、あの馬鹿者、何も聞いてないぞ…」
「……義勇…だァ…?おい…何で名前…」
「名前を呼んだくらいで目くじらを立てるな、狭量な男だな。義勇とは幼馴染みだ」
とんでもない情報が入ってくる。伊黒は小学校入学前に冨岡家の隣に引っ越してきて引っ越しの挨拶で顔を合わせるや否や、冨岡はまた会えて嬉しいと号泣したそう。前世で拙者不孝でござるみたいな顔してムカつくと思っていたが一気に毒気が抜かれたと。俺の知るぽやぽやした冨岡を子供の頃から見続けて今では保護者になった気分だと話す。無自覚な不審者ホイホイで天然幼女、本当に年齢が同じなのかとブツブツ文句を言う始末。それについては同意だが。家族での交流も多く互いの両親の手前、名前で呼び合うようになったのだとか。
「…お前との事は義勇から聞いている。本懐を果たした後、同居していたと。聞いた時は信じられなかったがな。義勇の事は嫌いだったろう?それがどうして…まぁ今のアイツを見てたら世話を焼きたくなるのは分かるが……義勇はお前に恩義を感じている。だから子供の頃からずっと逢いたがっていたのに記憶がないフリをするとは信じられんな…」
「ンな事言われても…冨岡にとって前世は前世、今は今なんだろ。そう言ってた」
「今は今だろうがアイツは筋を通す男だ。恩義があって礼を言いたがっていたのにそれを反故にするとは思えん」
「…知らねぇよ。彼女がいるからじゃねぇの。つぅか、何で初めから冨岡の事言わねェンだよ」
「…お前の出方を伺っていた。義勇をどう思っているのか…それ次第では逢わせないつもりだった。すでに逢っていたとは想定外だがな」
「…何でテメェがイチイチ手回しすんだよ。ムカつ…」
「ちょっと待て。今彼女と言ったか?」
「え?彼女いんだろ?」
冨岡が俺に逢いたがっていたというのは本当だろう。だが前世は前世、今は今。彼女がいれば尚更前世なんて過去の事。
「…それをどこで?」
「塾の夏期講習。毎日一緒に帰ってたわァ」
「…彼女の事はさて置き…不死川、お前は伝えるべき事を伝えなくて後悔していると言ったな。義勇の事をどう思ってる?」
「何でそんな事」
「いいから答えろ」
「…俺は…冨岡の事が好きだ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「義勇、入るぞ」
「…小芭内…どうしたんだ?」
「…顔色がよくないな。具合でも悪いのか?」
「…悪くない…この所眠れなくて…」
「…まさか…」
「……いや、平気だ。それより何か用事があったんじゃないのか?」
「そうだった。喜べ。不死川に会ったぞ。しかも記憶持ちだ。お前ずっと逢いたがっていただろう。連絡先を聞いておいたから蜜璃の店で会おう」
「……いい。不死川には逢わない」
「は?何故だ?」
「…もう関係ないから」
あれから数日、伊黒に連れられて冨岡の家に来た。冨岡の自室の前で待ってろと言われドアの隙間から二人の会話を聞いている。
「関係ないとはどういう事だ?」
「………」
「…義勇…思っている事をちゃんと話せといつも言っているだろう」
「…不死川は…胡蝶と交際している…」
「は?胡蝶?」
「前世で不死川は胡蝶の事が好きだった」
「…そんな話は聞いた事がない」
「しのぶじゃなくてカナエ…姉の方だ。小芭内が柱になる前に亡くなっているから知らなくて当然だ」
「確かに姉は知らないが…何故交際していると?」
「…不死川は藤の花高校だ。練習試合でよく行くから一年の頃から不死川の事は知っていた。二人でいるところを見掛けるし、藤の花高校でも二人が交際していると聞いた事がある」
「……なるほど?」
「胡蝶に記憶があるのかは知らないが…不死川には記憶がある。記憶があって前世で好きだった胡蝶と再会して交際しているなら俺が不死川と逢う必要はない。俺にはもう関係ない」
「…高等部に入ってから不死川の事を話さなくなったのはそれが原因か…何故黙っていた。後悔しているのではなかったか」
「…そうだな…今は最期にあんな事をしたのを後悔している…」
「…テメェ!黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」
「…しな、ずがわ…?…何で…」
「…はぁぁ…貴様どうして大人しく待っていられないんだ…」
「うるっせェ!コイツが盛大な勘違いしてるからだろォが!それに彼女がいんのはコイツだろ!」
「…全く…お互い齟齬があるようだな…二人でよく話し合え。つ付き合ってられん。義勇、よくもまぁ二年以上も黙っていたな」
「…す、すまない…」
「俺が納得いく答えを聞くまで暫く貴様とは口を利かん」
「…い、嫌だ小芭内…」
「分かったな!?」
「…っ…分かった…」
「それと、眠れない理由も話せ」
怒りを露わに伊黒が部屋から出て行く。寂しそうにその後を目で追う冨岡は例えるなら捨てられた猫のようだ。過ごした時間の違いなのか冨岡と伊黒の関係性に俺の入る隙間はなく焦燥に駆られる。信頼しきっている相手に甘える姿。冨岡のこんな姿は前世でも見た事がない。でもこんな事で悋気してる場合じゃない。
「…眠れない理由?」
「……右腕が……痛むんだ…」
「…え?それって…」
「今はちゃんと腕があるのに…昔からあの頃の事を考えたりすると痛む時がある…この所…痛みが酷くて眠れない…」
「…俺のせいか?」
「……いいや…俺自身の問題だ」
そうは言うがきっと俺のせいだろう。再会しても記憶がある事を隠してたいたり俺との関わりを持たないようにしたり、色々と考えて負担になっていたのかもしれない。伊黒との会話で出てきた後悔というのも要因だろうか。
「…なァ…あんな事をしたのを後悔してるって何の事だァ?」
「……最期の時…したい事はないかと聞いただろう」
「あぁ…」
「…以前は…ちゃんと言葉にしなかったのを後悔していた…でも今は……口付けを…してくれないかと…不死川に願ってしまった事を後悔している…」
「…は?」
「死に際とはいえ…男からあんな要求をされて不快だったろう。すまなかった…」
「…テメェ…死に際だったら何でも…野郎相手でも俺が何でもすると思ってンのか?」
「違うのか?俺達はあの頃、何の関係もなかった。ただの同居人だ」
「…確かに何の関係もなかった。でも…お前は俺の気持ちに気付いてただろ?」
お互い想い合っていた事は確信している。その上で最期に口付けを願ったのだと。
「…不死川は…いつも俺の我が儘を聞いてくれてたから…拒絶しないと分かっていた…不死川の優しさを…利用したんだ…」
「…なんだそれ…気付いてなかったのか?」
「…何も言われていないのに分かるはずがないだろう…」
何も気付いてなかった?だから前世と今は別の人生だと、今を生きろと言うのか?
「…そうだな…俺は何も紡がなかった。だから後悔してる…冨岡…俺はお前の事が好きだった…」
「…それは前に聞いた。言っただろう。前世は前世だ」
「…お前はどうなんだ?…俺の事…」
「…今更俺の気持ちを聞いて意味があるのか?今を生きろ。胡蝶を大事にしろ」
「…冨岡…俺は胡蝶と付き合ってねぇ。ただの同級生だ」
「…嘘は吐かなくていい」
「嘘じゃねぇよ。俺と胡蝶が付き合ってるって噂は知ってる。でもそれはお互い噂を利用してるだけだ」
高校に入学してから始めたバイト先で胡蝶と悲鳴嶼さんに再会し、悲鳴嶼さんは当時大学生で教師を目指していた。よく三人でつるんでいて胡蝶と悲鳴嶼さんが想い合っているのはすぐに分かった。胡蝶が高校を卒業したら正式に付き合う約束をしている。器量の良い胡蝶は告白されたりストーカーされたりと心配事が多かった。バイト先が同じ事から俺と胡蝶は一緒にいる事が多く、いつしか付き合っていると噂が流れ始めると胡蝶への告白やストーカーはパタリと止んだ。俺も告白される事はよくあったが家族とバイトを優先したかったからただ煩わしいだけで。だから噂はちょうど良かった。
「…悲鳴嶼さんも噂の事はちゃんと分かってる。いい虫除けだって言われてるわァ。誤解は解けたか?」
「…交際してない事は分かった。でも前世で胡蝶の事は好きだっただろう」
「好きじゃねぇわ。胡蝶は…母親を思い起こすんだ…鬼になる前の。ただそれだけだ…」
「…そう、か…」
「…テメェこそ彼女」
「真菰は彼女じゃない。幼馴染みだ。小芭内とも」
「は…?でも迎えに…」
「家が隣だから一緒に帰ってるだけだ」
「…じゃあ他に付き合ってるやつは…」
「…誰とも交際していないし誰の事も好きじゃない…」
誰の事も好きじゃない。俺に向けられる瞳は拒絶だ。でも知ってる。この瞳は前世でも見たことがある。俺の事を煩わせると思っている時に一瞬だが向けられていた。きっと冨岡は俺の為に自分とは関わるなと言っている。
「…なァ…お前の気持ち…聞いてねぇんだけど」
「だから今更俺の気持…」
「俺は冨岡の事が好きだ。前世だけじゃねぇ。今でもお前が好きだ」
「…どうして…俺なんだ。不死川ならいくらでも相手がいるだろう」
「好きになるのに理由なんかねぇよ…それに誰でもいいわけじゃねぇ。お前がいいんだ…冨岡…この先もずっと一緒にいたい。ジジィになるまで」
「…っ……」
「なァ…俺を…選んでくれねぇか?また俺を…好きになってくれ」
ここまで言って駄目なら諦めるしかない。たとえ前世で俺の事を好きでいてくれたとしても今生は別物だ。冨岡には冨岡の人生がある。俺に縛り付ける権利はない。
「……俺は…あの時……不死川が口付けしてくれた後…伝えようとしたんだ…」
「…うん…」
「…でも…伝える力が…残ってなかった……好きだと…伝えたかった…」
「…分かってる…分かってるよ。お前の気持ちはちゃんと伝わってた」
「言葉に出来なくて…後悔した…」
「俺もだ…」
「……不死川…すまない。本当は…お前の想いも分かっていた…分かっていて分かるはずがないと言ってしまった…」
「…そうか」
「でも…もう二度と……後悔はしたくない」
冨岡の瞳に光が宿る。先ほどの拒絶する瞳とは違って。真っ直ぐに俺を見詰める冨岡の頬に触れる。
「…また…望んでもいいのか?お前の隣にいる事を…」
「当たり前だろ」
「…っ……不死川……好きだ…ずっと…前世の頃から今でも…不死川の事が好きだ…」
一筋の雫が冨岡の頬を伝う。親指の腹で拭ってから顔を近付け額を付ける。
「冨岡…俺と人生を共にしてくれ」
「…っ…不死川…これからはちゃんと言葉にする…何度でも…」
「…俺だって」
「…口付けを……してくれないか?」
「…あぁ…」
口唇を指でなぞってからそっと重ねる。後悔と未練を埋めるように離しては重ねてお互いを確かめ合う。冨岡が望むなら何度だって。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…小芭内…入ってもいいか?」
「………」
暫くして部屋のドアが開かれる。冨岡に連れられて伊黒の自宅へと向かった。怒らせてしまったからどうしても謝りたいと冨岡が希望したからだ。伊黒にすっかり気を許している冨岡を見るのはいい気はしないが二人の過ごしてきた時間は俺より遥かに長いのは紛れもない事実だから仕方がない。だからせめて手を繋いで隣に立つ。
「…小芭内…あの…」
「…なんだ。口を利かないと言っただろう」
「ごめん…」
「何に対して謝っているのかね」
「…その…一年の頃から不死川を知っていたのに黙っていた事…それに夏期講習で逢った事も…」
「…はぁ…全く…お前が勝手に誤解した結果がこれだ。すぐ俺に話していればこんな面倒な事にはならなかったと思うが?」
「…ごめん……あと…小芭内に秘密にしていた事ある…」
「秘密?」
冨岡が俺の手を強く握ってくる。心做しか少し震えている。不安を払拭するようにぎゅっと握り返す。
「…実は……俺、前世から不死川の事が好きなんだ…今も……その…黙っててごめん…」
「…不死川の事が好きだと?今更何を言っているんだ。そんな事はとっくの昔から知ってる…」
「…え?」
「何年一緒にいると思っているんだ。義勇、お前の事はお前以上に理解している」
「…うん。そうだな…」
「それで?先ほどから後ろ手でコソコソしているようだが、俺の納得出来る答えは出たのかね?」
「あ…うん…あの……小芭内、俺…しな」
「冨岡。俺から言わせろ」
冨岡の言葉を遮って後ろ手に繋いだ手を前に持ってきて伊黒の前に掲げる。
「冨岡と生涯を共にする。テメェがこれまで冨岡を大事にきてきた事は充分理解してる。絶対に幸せにすると誓う」
「…不死川…」
「…義勇を傷付けたら許さない」
「分かってる」
「…フン……それならいい」
「小芭内…許してくれるのか?」
「許すもなにも…義勇が幸せならそれでいい。不死川、せいぜい義勇に捨てられないようにするんだな」
「小芭内っ…」
繋いだ手がスルリと離れ冨岡が伊黒に抱き付く。
「…っ…ちょっ義勇…離れないか」
「…反対されるかと思った…」
「…何故」
「だって…不死川とは親友だろう?小芭内の親友に俺なんかが…」
「義勇、自分を卑下するなといつも言っているだろう。それに安心しろ。不死川よりお前の方が大事だ」
「…ありがとう小芭内。大好きだ」
「フン…そんな事分かっている」
伊黒が冨岡の背中をあやすようにトントンと叩く。もう我慢ならない。冨岡の肩を掴んで引き剥がし自らの腕に納める。
「いくらテメェでも冨岡に触るのは許せねぇ」
「……はぁ…狭量な男め…」
「うるせぇ。コイツは俺んだ」
「…んぅ……っ…」
顎を掴み上を向かせて口唇を重ねると強烈な蹴りが背中に入り冨岡を引き剥がされる。
「…いってぇ…っ…伊黒テメェ!」
「貴様何している!?義勇はまだ未成年だぞ!口付けなど言語道断!」
「ハァッ!?恋人なんだからキスくらいいいだろ!ガキじゃあるめぇし」
「いいわけあるか!それに俺の前でイチャつくな戯け者。おい、義勇。不死川から破廉恥な事をされたら必ず報告しろ!しなかったら絶交だ。分かったな?」
「…分かった」
「冨岡っ!何了承してンだ!」
「だって小芭内と絶交なんて嫌だ…」
冨岡のシュンとした表情に何も言えなくなる。やっと想いが通じ合ったのにキスも出来ないなんて。内緒でしようものなら冨岡は絶対に伊黒に報告する。そして面倒な事になるのは分かりきっている。
「…っ……クソがァァ…!」
「精々理性を保つ事だな。まぁ手を繋ぐ程度なら許してやらない事もない。それより二人ともそろそろ帰れ。俺は出掛ける」
「あ、今日は蜜璃が店に出る日だったな。時間を取らせてすまない」
「気にするな。不死川、義勇を送っていけ」
「ハァ?隣だろォが」
「隣なら送る必要がないとでも言うのかね?」
「…イイエ…送らせて頂きマス」
「分かればいい」
毒気が抜け冨岡の保護者になった気分だと聞いてはいたが、前世であんなに嫌っていたくせにいくらなんでも変わり過ぎだろう。いくら冨岡がぽやぽやしていたとしてもだ。イロイロしたいお年頃だというのに伊黒の過保護っぷりが一生続くかもしれないと思うと溜め息しか出ない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冨岡を自宅まで送り、と言っても隣だけど。離れ難いがバイトの時間が迫っている。
「…不死川…送ってくれてありがとう……って何でそんなに不満そうなんだ?」
「…何でって…テメェとキス出来ねェからだろ。あんな簡単に了承しやがって……破廉恥って何だよ…まさかハグもダメとか言わねぇよな?」
「…小芭内の言う事は絶対だ」
「……あっそう…」
「…でも…」
冨岡の両腕が首に回ったと思ったら不意に重なる口唇。
「…は…え?」
「小芭内には秘密だぞ?」
「いい、のかよ?」
「小芭内は不死川から破廉恥な事をされたら報告しろと言った。俺からするのは禁止されていない。だから今のは報告しないし秘密だ」
それもそうだ。冨岡だってきっとイロイロしたいお年頃。キスがしたいなら冨岡に強請ればいい。
「…なァ冨岡…もっかいして?」
「ふふ…不死川…これからたくさん口付けしよう…」
そう言って静かに微笑うと再び口唇が重なった。
このキスが伊黒に見られていた事により後に接触禁止礼が出される事を俺達はまだ知らない。
── 了 ──