マーメイドと夏の雪暗くなった道を急いで戻る。
日が長くなったとはいえ遅くなりすぎた。
先の曲がり角から街灯の光が漏れている。
明るい道を歩きたいと気が逸り飛び出したそこには思わぬ先客がいた。
その子が身に纏っているのは自分と同じ高校の制服の筈なのに、異空間に踏み込んでしまったかのような錯覚がした。
風がふわりと彼女の長い髪をもてあそぶ。
煌々と照らされた白い肌と黒髪のコントラストにドキリとした。
腰程まであるストレートな黒髪に、丈の長いスカートのセーラー服がとてもよく似合っている。
毎日見ている極一般的な白と紺の制服が、まるでお嬢様学校の制服のように見えた。
ヤマトナデシコってこんな感じなのかな。
こんな時間にこんな所を、女の子が一人で歩いているなんて。
向こうも同じ事を考えているかのように、無感動そうにも見える目を僅かに瞠ってこちらを見ている。
実際は一瞬だったのだろうが、数秒間は無言で見つめ合ってしまったような感覚がした。
普段なら同じ学校とはいえ知らない人に声をかけたりできないけど、その子のミステリアスな雰囲気に惹き寄せられるかのように、自然と話しかけていた。
「あ…○✕駅に行くんですか?」
「…あー、まぁ…」
ちょっとハスキーな声。
気まずそうに目を逸らされる。
女子校にいたら後輩の女の子たちからモテそう…女子校に行った事無いから知らないけど。
「○✕駅、線路に土砂崩れがあって、今日はもう動かないって…」
「…そうなんですか」
「私は△線まで歩いてちょっと遠わまりして帰るつもりですけど、あなたは大丈夫? 帰れますか?」
「…ぉ…ワタシ、も、そうします。…一緒に歩いてもいいですか?」
良かった!
クールそうな子だから嫌がられるかもと思ったけど、向こうから誘ってくれた。
私達は並んで歩き出した。
「一年生? 私はニ年の水面 浮海(みなも ふみ)っていいます」
「あー…学年は…」
「あれ? そのスカーフの色は一年生じゃなかった?」
「アッソウデスネ」
「何て呼べばいいかな…?」
「…………しょう…こ、です」
しょう子ちゃんか、どんな漢字を書くのだろう。
昔はキラキラネーム?というのが流行ったりもしていたらしいけど、最近は一周回って子とか太とか、そういう名前が流行っている。
お淑やかそうな彼女に似合っている名前だと思う。こんな可愛い後輩を危ない目に合わせる訳にはいかない。
私が駅までしっかり送り届けなくっちゃ!
『さく…こう……駅に…ます…』
しょう子ちゃんはこちらから顔を背け、右手を耳に添えて何か言ったようだったが、使命に燃えていた私はよく聞き取れなかった。
「あ、ごめん何か言った?」
「いえ、何も」
空耳だったようだ。
少女が前に向き直りながら、計算されたかのように右手に掛かっていた黒髪を払うと、美しい鎖骨と頼りなげな首が月明かりの下に晒される。
身長は同じくらいかな?
均整のとれた横顔に思わず見惚れる。
額で揺れる切り揃えられた前髪。
眉間から鼻梁、そして顎へと描かれる繊細なライン、化粧をしている様子もないのになめらかな肌と薄く色付いた唇。
目元は涼しげなのに少しぼんやりと下がった眉は優しく儚げに見える。(もしくは眠そう)
1つ年下なのに大人っぽい。
なんていうか…真夏の清流とか風鈴みたいに清廉で爽やかな……色気?を纏っている気がする。
こんな綺麗な子がいたら学年が違くても話題になりそうだけどな。
水泳部の私は親譲りの明るい髪が塩素のせいで更にフワフワと広がり、肌もケンコーテキに日焼けしている。
なので黒い艶髪と、半袖からすらりと覗く薄暗い中でも白いと分かる腕がとても羨ましい。
確か白雪姫は雪の肌に黒檀の髪、血のように赤い頬だったよね…赤色があればぴったりだったのになぁ。
綺麗な足なんだからミニスカートも似合いそうだけど、今時の子にしては珍しい膝下スカートも、奥ゆかしさもあれど姿勢の良い彼女はスタイリッシュに着こなしている。
ちょっと挙動不審な私とは違って歩みに怯えはなく、感情の起伏は読み取りづらいけど落ち着いた優しげな声で相槌を打ってくれる。
気怠そうにも見えるし、常に周囲への警戒を怠らないようにも見えて掴み所がない。
なんだか黒猫みたいな子だなぁ。
そんな彼女と話していると、こちらまで落ち着いてきたような気がした。
「この辺り、最近不審者が出たって聞いたから…あなたがいてくれてちょっと安心したんだ。急いで帰ろうね」
「――はい」
人見知りなのか、それまであまりこちらを向いてくれなかったしょう子ちゃんとバッチリ目が合った。
しかしお約束というか何というか、どうやら私達は出くわしてしまったようだ。
後方から付いてくる足音が聞こえる。
恐怖に震える足でぎこちなく歩き続ける。
数週間のニュースが頭を過ぎる。
【――帰宅途中の小学生が不審な男に追いかけられ――警戒の呼びかけを――】
後ろの足音が、走るものに変わる。
荒い息遣いが聞こえる。
私達はほぼ同時に振り返った。
【――女子中学生が刃物で切り付けられ――命に別状はないものの全治――】
その男は真っ黒な服で覆面をしていた。
握った右の手の甲から刃渡り30cmはあろうかという刃が、皮膚を突き破るようにして飛び出す。
あれが男の個性なのだろう。
【――近隣住民の情報によると付近では数年前から臓器を――れたような動物の――が――】
「走って!」
勘弁願いたい。私が得意なのは泳ぐ事であって走る事ではないのだ。案の定数歩も行かない内に足が縺れて転んでしまう。
刃が振り下ろされる。
なんと黒髪の少女が私と男の間に立ち塞がった。後輩を守るつもりが足手まといもいいとこだ。
地上にいるのに呼吸ができない。
怖い。でも、私の事はいいから、逃げてほしい。
しかししょう子ちゃんは焦茶色の学生鞄をフリスビーの様に水平にぶん投げると男の顔面にクリーンヒットさせた。
なぜか男は刃をしまっている。
苛立たしげに唸ると華奢な彼女に素手を振り上げる。
素早く避けるも靡く毛先を掴まれてしまった。が、長い髪はそのままするりと外れて男の手の中に取り残される。
ウィッグだったんだ…。
地毛もきれいな漆黒なのに。
猫毛なのだろうか白い首すじの周りでフワリと揺れる黒が顔の輪郭を縁取る。
赤い光を見た気がした。
そのまま踊るようにくるりと回転し勢いをつけると、お手本の様な飛び後ろ廻し蹴りをお見舞いする。
腕を勢いよく上げたのでブラウスとスカートの隙間から一瞬、引き締まった腰が見えた。
ひらりとスカートが翻るのも構わず、流れる様な動作で男を地面に押さえつける。
今は衝撃で目を回しているようだが、早く助けを呼びに行かないとずっと押さえてはいられないはずだ。
竦んだ足を奮い立たせようとするも思うように動いてくれない。私は今まで出した事も無い程の大声で誰か来てと叫んだ。
突如、数人の人影が飛び出してきた。
警察とヒーローのようだ。
もう駆け付けてくれたのだろうか?
少し遅れてサイレンの音まで聞こえてきた。
警察が男を取り押さえると、しょう子ちゃんは顔に掛かった髪を片手でかき上げつつゆらりと立ち上がりながらこちらを振り返る。
目が合って
「しょう子ちゃんかっこいい! なんでそんなに強いの?!」
開口一番そう言っていた。まずお礼でしょ!私!
「実は…俺はあなたの学校の生徒ではないんです。騙したみたいになってすみません、雄英高校ヒーロー科の者です」
しょう子ちゃんはそんな失礼な私を気にした様子もなくゆっくりと歩み寄ると、まだしゃがみ込んでいる私に合わせてかがみ、怪我がないか確かめてくれた。
「俺たちはあいつを捕まえる為に、数日前から巡回していたんです」
「そ…それって囮役、って事!? そんな危ない事を…!? 女の子なのに!」
「え、」
私は涙目になりながらしょう子ちゃんの手を握りしめた。
「ありがとう! あなたみたいな女の子があいつをやっつけてくれて、同じ女子として誇らしいよ!」
「いや…違…」
謙虚なんだね!
「しょう子ちゃんは私達女の子みんなのヒーローだね!」
「…」(バレてないならそれで通そう)
お友達だろうか?コスチュームを着た同い年くらいの男の子が笑いを堪えたような顔をしながら「こいつは…」と何か言いかけたが、最後まで言う前にしょう子ちゃんがラリアットをかました。
少し驚いたけど、どうやらいつものじゃれ合いのようだ。仲良しだなぁ。
私はすっかりしょう子ちゃんのファンになってヒーロー名を聞いたけど、まだ決めていないとかなんとかで結局教えてもらえなかった。
でもきっと、デビューしたらすぐに分かるよね!
お友達が何か言おうとしたみたいだけれど、しょう子ちゃんにヘッドロックを決められてた。どうしたんだろう?
その後はバタバタとして、しょう子ちゃんは警察やヒーローたちとお仕事に戻ってしまった。
私も人生初の事情聴取を受けて、警察の人が家に電話をかけてくれた。
車で家まで送ってくれるらしい。
女性の警察の人が優しく気遣ってくれたけど、私が車の窓から「ありがとうしょう子ちゃん!応援してるからねー!」と満面の笑みでブンブン手を振ってお別れしているのを見て、苦笑しながら大丈夫そうだと判断してくれたようだ。
しょう子ちゃんは照れたように少し微笑み小さく手を振り返してくれた。嬉しい!
隣で笑っていたお友達は、何故かもう片方の手で顔面を鷲掴まれていたけれど。
さすが雄英高校!
あんなに可愛い女の子が、あんなに強くてかっこいいなんて!
きっと、美しくて頼もしいヒーローになるのだろう…次の体育祭は絶対に録画しないと!
人によっては死の恐怖を味わった最悪の1日だと言うかもしれないけれど、私にとっては私のヒーローに出会えた最高の1日だ。
車の中で彼女の活躍をニュースで見れる日を楽しみに思い描きながら、家路に着いたのだった。
めでたしめでたし(?)