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    furoku_26

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    ついったにあげたもの
    少年マツバ→中年ヤナギ(アニメ軸)
    声優さんの他キャラのセリフが混じってます

    #マツヤナ
    ##マツヤナ

     昔、ぼくがまだ幼かった頃。夏のとても暑い日だった。
     子どもの頃のことはもうほとんど覚えていないけれど、その出来事だけは今も不思議なほど色鮮やかに覚えている。おかげで毎年毎年夏が来る度、その時の暑さと眩しさと、冷たくて柔らかいバリトンと、微かに紛れた甘酸っぱさを思い出す。

     たしかエンジュの大規模な夏祭りはとっくに過ぎて、南と東での花火大会も終わっていたと思うから、たぶんその日はお盆の時期だったのだ。その時期ならば周りの大人たちは何かと忙しそうにしていたし、仲がよかったまいこさんたちもそれぞれ働いていたり帰省したりしていたから、その日ぼくはひとりだった、という理由としても辻褄が合う。とにかくひとりになった幼いぼくはなにを思い立ったのか、スリバチ山に単身修行に行ってみることにしたのである。ひとりといってもゴースたちもいたし、普段の修行でもそうだったから、場所が多少遠くなろうと別にどうってことはなかった。
     思い出の場所が明確にどこだったのかは覚えていない。後になって、大人になってからも何度かあの場所を探して実際にスリバチ山に行ってみたことはある。千里眼で探ろうとしたこともある。けれど、どうしても辿り着くことはできないのだ。今となってはそれが夢や幻ではなかったことを願うばかりとなってしまった。
     その場所にはスリバチ山のエンジュ側、スズの塔の裏手から獣道を通っていったのだ。虫ポケモンたちが鳴き犇めく獣道を清らかな川沿いにひたすら歩いて、時々木陰で汗を拭いながら、子どもながらに結構な奥深くまで進んでいったのだと思う。
     やがて空気が急に涼しくなると、川の上流から滝の音が聞こえてきた。ぼくはそこで滝行でもしようとして、大きな湿った崖岩をよじ登ったり慎重に降りたりして、滝壺を目指すことにした。
     小さめな綺麗な滝だった。紗がかかったような、なんとなく神秘的な滝。普段修行している場所の滝よりもだいぶ落差は低かったと思うのだけど、水流は白く透明で、周りの枝葉の隙間から差し込む夏の光が細やかな飛沫を反射して、朧気な小さな虹を作っていた。
     滝壺には先客がいた。
     最初のうちは気付かなかった。水のでたらめな流れに溶け込むように、彼の人はじっ、と静かに瞑想していた。
     綺麗だなと思った。
     ぼくはしばらくの間、その光景に見惚れていた。具体的になにを綺麗と思ったのかはうまく説明できない。雰囲気だとか空気感だとか、周り一体を取り込み凌駕する姿、あるいはきっと、魂なんかの精神的なものであろうから。とにかくぼくはその光景を一生忘れることはないだろう。何も考えず、時間も忘れてただ見続けていた。
     やがて、彼の人はゆっくりと目を開いてから、岩影から眺めていたぼくをみた。
    「少年」
     空気がぐっと凍てつくような感触があった。ゆったりとした渋い重低音。でも安心感と含みのある、どこか芯の方が柔らかい音だった。
    「きみも修行か?」
     ぼくは黙ったまま頷いた。
     彼はやれやれとでもいったふうに濡れた前髪をかきあげて、清流を縫うみたいにしてぼくの方に近付いてきた。この時になって初めて、彼が4、50代の男性であることがわかった。肩まで伸びた髪は灰色で、まったく無駄な肉のない、靭やかで綺麗な人だった。詳細にはもう思い出すことはできないけれど、たぶん、当時のエンジュのジムリーダーと変わらないくらいの歳の人だったと思う。
    「無理はせんことだな。もうじきひどい雨が降る」
     えっ、とぼくは驚いた。
     真上にあった太陽は燦々と照り、枝葉の額に囲われた夏空も恨めしいほどの青さだったから。
     彼はぼくの反応が面白かったのか、「まだまだ修行が足りんな」と言って優しく微笑んでいた。螺鈿のような笑顔だった。
     ぼくは急に恥ずかしいようなもどかしいような気持ちになった。
    「きみはどこから来た?」
    「エンジュからです」
    「エンジュか」彼はぼくが歩いて来た方角を見やった。草木に覆われた獣道を。「悪いことは言わん。せっかくこんなところまで来たのだろうが、今すぐにでも引き返しなさい。雨で帰れなくなってはいけない」
     その時の表情や物言いは至極真面目だった。子どものぼくを揶揄っているわけでも、意地悪で言っているわけでもなかった。たしかに、来た時にはあれだけ鳴き犇めいていた虫ポケモンや鳥ポケモンたちの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
     でもぼくにとっては、そういうわけにはいかなかった。ぼくはここまでただ冒険をしに来たのではなく、修行をしに来たのだ。このまま引き返しては元も子もない。せめてなにかひとつでも成長の証を掴みたかった。
    「少しだけでもだめですか?」
     ふむ、と彼は考えるような仕草をしてから平坦な岩場に上がった。そして濡れたままの素肌に直接シャツを羽織ると、置かれていたモンスターボールを手に取った。「では少しだけ、わたしとポケモンバトルでもしようか」
     ぼくの返答を待たずに彼が繰り出したのは、真っ白なジュゴンだった。ぼくが腰に掛けていた手持ちはゴース。当時は幼いながらも、歳上のまいこさんやいたこさんたちにも引けを取らない強さ誇っていた。相手がみず・こおりタイプならばけして不利でもなかった、――のに。
     ほんの、ほんの一瞬でその勝敗は決した。
     バトルとも呼べないなんともお粗末なものだった。始まってすぐに先制を取られたかと思うと、川風に乗って勢いを増した強烈なれいとうビームを一発食らい、その一撃でゴースはガスごと氷漬けになったのだ。
     大人気ないとは思わなかった。悔しいとも悲しいとも思わなかった。その一撃は生真面目なのに靭やかで、やはり初めて彼をみた時と同様、美しくさえあったのだ。光の穂先が吸い込まれた氷の線は鋭く虹色に煌めいて、幼いぼくの心を穿った。全身にかいていた汗はすっかり鳥肌に変わっていた。
    「ぬるいな」
     彼はバトルを楽しむ様子もなく、ジュゴンやぼくたちを労うこともなく、あくまで目的はぼくをはやく帰らせることらしかった。
    「わたしはきみが抱えている事情も、きみが今までどんな修行をしてきたのかも知らん。だが今のバトルでもわかっただろう。きみには足りないものがある。いや余分なものがあると言うべきか」
     ぼくは黙って続く言葉を待った。
    「そも修行とは心身の罪穢れを清めること、己を知り向き合うこと、強い精神力を養うこと。もちろんそれはわかっておるな?」
    「はい」茫然としながら答えた。神託でも告げられているかのような心地だった。
    「それをわかっておるのなら、やはりきみの未熟さは単なる努力不足ではなかろうよ。たとえば生き急いでいるだとか、そういった雑念が修行の邪魔をしてはいないか?」
    「生き急いでいる?」
    「その通りだ」彼はすっと目を細めてぼくをみた。「なぜその歳で生き急ぐ?」
    「強くなりたいんです。一日でもはやく」
     その理由までは言わなかった。ホウオウのことも。エンジュの歴史のことも。家のことも。彼も理由を聞いてくることはなかった。
    「急いては事をし損ずる、という言葉を頭に叩き込むことだな。古い回路のようにむやみやたらに空回っていては、けして先には進めんよ。今の自分の状況を見極めながら、少し先を見据えて立ち回る。あるいはじっと耐え忍ぶ。少なくともわたしは数十年そうやって生きてきた。先は随分と長いのだからわざわざ生き急ぐ必要はないぞ、少年」
     彼はジュゴンをボールに戻すと、ぼくの頭をぽんと叩いた。
    「さて、そろそろタイムリミットだ。わたしはポケモンはボールに入れる主義だが、そのゴースは家まで抱えて行ってやりなさい」
     丸々とした雪玉みたいに氷漬けになったゴースを両腕で抱えて、ぼくはその冷たい感触に縋った。
    「またここに来てもいいですか?」
     彼は小さく笑った。
    「来られるものならな」
     その背後で、嘴を嘶かせた美しい鳥ポケモンが夏の青空を舞った。

     結局、ぼくは彼の名前も聞けないままに、陽の明るい内に元来た道をそのまま辿って山を降りた。
     彼の言っていた通り、スズの塔に帰り着いた途端に突然雨が降ってきた。黒々とした分厚い雲に、牡丹雪みたいな大粒の雨。それはぼたぼたぼたと降り始めると、すぐに滝のような大雨になり、激しい雷まで鳴り出した。あの獣道はスリバチ山の樋のような状態になり、とても子どもが歩けるような道ではなくなっていた。
     家に着いた頃にはゴースを固めていた氷は完全にとけてしまって、水痕すらも消えてしまった。

     これが、ぼくの初恋。
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