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    furoku_26

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    ネズカブ

    ##ネズカブ

    2021.5.31(世界禁煙デー)「めっ」
     一瞬なにが起こったのかわからなかった。
     まぁ冷静に状況を見てみればなんてことはない。タバコを咥えて火を点けようとしたら、ライターを持った手を突然掴んで止められたのだ。
    「だめだよ、今日はもう終わり。ぼくがシャワーしている間にいったい何本吸ったのさ」
     置かれた灰皿に揉み潰した吸殻は四本だ。たしかに本数は増えている。カブさんの家のリビングで、開けた窓から星空を眺めて一服していた5月の終わり。日中はずいぶんと暑くなり始めたが、夜は吹き抜ける風が涼しく心地良い。風は湿っぽい草木の匂いと、エンジンシティ独特の石灰で沸かした蒸気の匂い。明るい星空のどこかからは、クワガノンやヌケニンあたりの鳴き声と羽音がメロディみたいに聞こえてくる。そんな、穏やかで満ち足りた初夏の夜。
     いやそれよりも、めっ、ってなんだよ。
    「聞いてる?」
     家主は反応のないおれに向かって今度は、むう、と拗ねた顔で睨んでくる。めっ、の次はむう。天然は大概にしてほしい。
    「はいはい、聞いてますよ。そんな可愛く注意されたんじゃ、止めるしかないじゃないですか」
     可愛いと言われたのが気に触ったのか、この人はまた唇を尖らせる。おれはいよいよ降参してタバコとライターをハードパックに突っ込んだ。
     やれやれ、と呆れているこの人はシャワー上がりで半袖のTシャツに黒いスウェットを履いていた。肩にかけたタオルには、髪先からポタポタと水滴が落ち続けている。
    「最近吸い過ぎじゃないかい? 悩みごと?」
    「いや、完全に習慣化しちまってますね。ほとんど意識に手が伸びてます」
    「それはまずいよ」
    「まずいです」
    「おじさんは心配しています」
     怒ったり拗ねたりおじさんになったり忙しない。こんな姿を見せてくれるようになったのはつい最近だ。思わず苦笑してしまう。
    「おじさんじゃなくて、おれの恋人のカブさんとしては?」
    「ネズくんらしくて、似合っているし格好いいなとは思うけれども」
    「素直ですね、もう一回」
    「嫌。もう言わない」
     ちっ、と思わず舌打ちをすると、ふんと鼻を鳴らし返される。そういえば、この人がおれに対して素直なのも生意気なのも半袖を着てくれるようになったのも、全部最近のことだった。全部付き合うようになってからのことである。
    「けれど、やっぱりだめだよ。身体には絶対によくないもの」
    「努力はしますよ、禁煙できるように。そしたらもっと褒めてくれます?」
    「ふふ、ちゃんと禁煙できたらね」
     そう言ってこの人は少し意地悪げに微笑んだ。この人もこの人だが、おれもおれで大概だと思う。互いに完全に甘えきってしまっている。しかもそれが嬉しいものだからタチが悪い。
    「それよりおれは、あんたが風邪ひかないかが心配ですがね。髪の毛くらい乾かしなさい」
    「いいよ、短いからすぐに乾くよ」
    「だめですって、ほら」
     窓を閉めて、握られた腕を掴み返す。おれにだけさらけ出してくれる、火傷跡が残る白い腕。引っ張ってソファに座らせると、子どものように恥ずかしいとか自分でできるとか喚いていたが、無視していると諦めて折れたようだった。まったく世話の焼ける人である。
     脱衣場からドライヤーを持ってきて乾かしていくと、軋んだ白髪混じりのグレーの髪から、シャンプーの匂いが温風に乗って立ってくる。
     おれは初夏の夜の匂いも好きだが、この人の匂いの方が何倍も好きだ。甘くて少しだけ焦げたような、苦味のある暖かくて強い炎の匂い。
     例えるならそうだ、きっとタバコが一番近い。そうだそうだ、この人がおれを置いてひとりでシャワーを浴びに行くから、本数も増えてしまうのだ。
     とはいえ、この人が目の前にいたってニコチン中毒はそう簡単に治るものでもないらしい。 いくらその表層的な問題が解決しても、習慣になってしまったくらいなのだから、湧き上がってくる欲求は強固である。
    「口が寂しい」
    「え?」
     ドライヤーの音で聞こえなかったのか、この人は後ろにいたおれを振り向いた。電源を切って髪を手ぐしで何度かすと、髪はふわりと軽く、前髪を下ろせば普段より幼く見えてしまう。
    「ねぇ、なんて言ったの」
     聞こえていなくてもよかったのだが、聞こえてしまったのなら仕方がない。
    「口が寂しいんですよね」
    「さっき努力するって言った」
    「あれから5分耐えました」
    「なにそれ」
    「こればっかりは抗えませんよ」
     おれの屁理屈への呆れたようなため息にも、普段の厳格さがなくて幼さが残る。
    「まったく、世話の焼ける子だなぁ」
     そしてそこに含まれた優しさと甘さの正体が、おれに対する尊重と共感であることをおれは知っている。この人には実はあるのだ、先人としての経験が。止めろと促す一方で、灰皿を用意して格好いいとフォローしてくれるのは、この人が元喫煙者だからである。
    「アメならあるよ、この前バトルカフェでいただいたんだ。ガムもあったかもしれない。持ってこようか」
    「その二択だけですか?」
    「へ?」
     きゅっと引き結ばれていた口元が少しだけ開く。 間抜け顔の天然め、おれは恨めしさを込めてじっと見つめる。
    「あ」
     どうやらおれの思惑に気付いたらしい。と、わざとらしく気まずそうに目線を逸らされる。まぁ気付いたならよし、今さら照れられても遅いのだが。めっ、とかむう、とかあ、とか紡いでいた小さな口がおれの禁煙に不可欠なのだと、可哀想にも気付いたのなら。
    「あんたが止めたんですからね。禁煙、協力してくれますよね?」
     知っているだろう、おれに激甘な元喫煙者。 消せない欲求はより強い欲求で上書きしていくしかないことを。
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