苦しい。
腕の中で聞こえた声に、抱きしめる腕に力を込め過ぎたかと思ったが、どうやら違うとすぐに気づく。
喉を押さえながら苦しむ涼太。突然の異変にどうしたらいいか分からずに混乱していると、水の跳ねる音が聞こえ顔を上げる。
音、泉の方角へ目を向ければ、そこにはサクラとニワの姿があり、何かを訴えるように泉の中で尾を水面に叩きつけていた。まるで早くしろというように音を立て続ける姿に二匹の意図に気づき、すぐに宗司は涼太の体を抱き上げ泉に走り出した。
大きな音を立てながら泉に飛び込み、涼太の体を泉に下ろす。すると先ほどまで苦しそうだったのが嘘のように、呼吸が安定し始めた。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう。サクラと、ニワも」
近づいてきた二匹は、いつの間にか涼太の腕や首の周りに巻き付いていた。嬉しそうに体を揺らす姿に、涼太の顔も綻ぶ。
それから涼太はサクラとニワにもただいまと言うと、二匹は目を潤ませ、もう離れないと言わんばかりに巻き付く力を強める。涼太が少し苦しそうにしていたので、緩めてやれと体を叩いてやったが、二匹はほんの少し力を緩めたが強く巻き付いたままだった。
今までを思えば仕方がないだろうと涼太と顔を見合わせ笑うと、そのままの状態で話をすることにした。聞けばどうやら突然動けなくなるほどの酷い乾きに襲われたという。
昔、長く水から離れられないと聞いたことはあるが、どうやらその時と同じような状態らしい。むしろ昔より酷くなってしまったようだと、涼太は困ったように眉を下げた。恐らく、あの時受けた穢れの影響だろう。
そこで宗司は涼太が何か考え込んでいることに気づく。どうせまた遠慮しているのだろう。こういう時こそわがままを言うべきだというのに、本当に甘え下手過ぎる。
懐かしい感覚を味わいながら、宗司は涼太の頭に手を伸ばす。
「涼太」
「何?」
「言いたいことがあるなら言え。したいことも。俺が、叶えてやるから」
「……甘やかしすぎだろ」
「甘やかしたいんだよ」
頭を撫でながらそう言えば、涼太は顔を赤くしながら拗ねたようにそっぽを向いてしまう。見透かされたのが悔しいのだろう。分かりやすすぎる姿に声を上げ笑いながら、宗司は再度、願いを促す。
「ほら、涼太」
「……宗司に、お願いがある」
「おう」
「みんなにも、ただいまが言いたいんだ。だから、みんなのところに行きたい。ちゃんと、自分の足で」
「じゃあ行くか」
宗司が頷くと、涼太は目を瞬かせる。すぐに返事をするとは思っていなかったのだろう。
自分の足で、ということはつまり、常に水を用意しておけばいいわけだ。しかしちょうどいい桶のようなものはあったかなと考えていると、涼太の眉間に皺が寄っていく。
「返事が軽すぎない? 今の俺の状態、分かってる?」
「でも行きたいんだろう?」
言ったろ、叶えてやるって。
宗司は立ち上がると、涼太に向かって手を差し出す。涼太は一瞬迷ったようだが、頷き、その手を取って立ち上がった。途端にふらつく体をすぐさま抱きとめる。ずっと眠っていたせいか体にうまく力が入らないようで、生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えていた。笑い事ではないけれどつい吹き出せば、真っ赤な顔で笑うなと怒られた。
それから涼太を宥め、乾かないように泉の中で歩く練習をする。最初は支えていないとうまく歩けない状態だったが、しばらくするとゆっくりだけれどなんとか歩けるようになってきた。これなら何とかなるだろうと告げると、涼太は安心したように息を吐きながらがんばると意気込みながら拳を握りしめる。それに合わせるようにサクラとニワが体を揺らした。
サクラとニワは、泉に残る。涼太の傍にいたいのだが、少しでも涼太の負担を軽くしたいようで、待っていることを選び、ゆっくりと離れていく。行ってらっしゃいというように、二匹は尾を振ってくれた。
涼太はそんな二匹の姿に、いってきますと口にしながら思いきり抱き締めた。今度はサクラとニワの方が苦しそうにしていて、似た者同士だなと笑う。
見つけた小さな桶に水を入れた宗司がもう一度涼太へ手を差し出すと、柔らかな手が重なった。
「そんなに小さい桶で、大丈夫かな?」
「水が足りなくなったら俺がどうにかするさ。だからお前は安心して、自分の足で歩いて行けばいい。みんなにただいまって言うんだろ?」
「……うん」
握った手に力がこもる。
眠っていた時間。みんなが待っているかも分からない。そんな不安もあるだろう。
だけど不安に思うことなんてない。
確かに待ち続ける苦しみに耐えきれず、外へと出てしまった者もいる。けれど誰も、涼太が戻ってこないとは考えている者はいなかった。
ずっと、みんなは待っていた。
いつか、いつか。どれだけの年月がかかっても、涼太が戻ってくると、信じて。
「ほら、行くぞ。──みんなが、待ってる」
「……っ、うん!」
泣きそう顔で笑う涼太の手を引き、歩き出す。
そんな涼太と宗司の頭上に、まるでこれからの未来を祝福するかのように桜の花びらが降り注いでいた。