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    akirafutene

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    akirafutene

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    11/28 OTG!無配
    新刊のおまけ話で本文P101の上段と下段の間の出来事です
    24歳のランガと暦が水族館でデートしてるだけ
    SS10本詰め合わせ(1〜5まで暦視点、6〜10がランガ視点)

    EXCURSION01. 相模湾

    「暦」
    「ん?」
    「昼に食べたしらす丼、うまかったね」
    「……そうだな……」
     でもそれ、水族館で言うことか?
     しかも世界初のしらすの養殖成功という展示の前で。
     嫌な予感を抱えながら暗い通路を進む。隣を歩くランガは暦の心中など知る由もない。大きな水槽で力強く泳ぐ魚を目にして、また一つ感嘆の息を吐いた。
    「おいしそう」
     言うと思った〜。
     絶対、言うと思ったよ。
     暦は頭を抱えてランガの肩に手を置いた。
    「ランガ、水族館でその発言はギリギリアウトだ」
    「え、ダメ? 立派な魚だって褒めたつもりなんだけど」
    「そりゃオレはそういう意味だってわかるけどさ……」
     言いながら、近くで水槽に張り付いている小さな子供にちらりと目をやる。五歳くらいだろうか。ランガを見上げて複雑な表情を浮かべていた。
     おにいちゃん、このおさかな食べちゃうの? と言っているような。
    「子供が怯えてるぞ……」
    「……ごめん……」
     ランガは気まずそうに目を伏せた。

     確かにしらす丼は美味かった。ここ江ノ島の名産品らしい。
     観光に来たからには名物を食べようと、目についた店にフラリと入ったが、その選択に間違いはなかった。
    「江ノ島って、いいとこだな」
     ランガは空になった丼を手に満足そうに呟いたものだった。
     いいとこの基準、メシかよ。と思わないこともないが、ランガが幸せそうなので、まあいい。
     腹いっぱいになったあとはレジャーだ。店を出た二人は、すぐに次の目的地を探し求めた。
    「これからどうする?」
    「水族館行かね?」
     予めチェックしていた観光系のWEBサイトで、近くに大きな水族館があることは知っていた。それいい、とランガは二つ返事でOKを出した。
    「俺、水族館好きだよ。暦と行きたい」
     やたらと甘い顔でそう言うので、少し照れた。
     つか、水族館って、普通のデートみたいだな。なんか緊張するわ。
     暦の数十分前のそんな心配は泡と消えた。
     いつも通りランガは色気より食い気で、マイペースに水族館を堪能し始めたのだった。

     人の流れが増えてきたので、二人はひとまず大水槽の前から離れ、人気のない角でガイドマップを広げた。
    「ほら暦、この辺の水槽、相模湾の魚がいるんだって」
    「そうみたいだな」
    「だからついそういう目で見る」
    「ついってお前……」
     ランガは現在地を指差して謎の言い訳をした。確かに今いるあたりは相模湾ゾーンと書いてあるがしかし。
    「ここ、全然まだ入り口んとこだな」
    「広いね。暦、どこ行きたい?」
    「そうだなー……」
     ここから先はまず深海の展示があり、クラゲがいて、ペンギンやアザラシがいて、その先にイルカショースタジアムがあり、カピパラやウミガメがいるらしい。カフェやミュージアムショップも併設されている。
    「イルカショーは絶対見ような」
    「イルカ好き?」
    「好き好き。てか、こういうの見んの楽しいじゃん」
     力強いイルカの演技はサイコーだし、会場が沸くと興奮するし、何より前の方の席は水をかけられるらしい。エキサイティングだ。
    「水か……暦……そういうの好きだよな……」
     ふっ、とランガは小さく微笑んだ。しょうがないな暦は、と言っているような表情だ。
    「……まあな……」
     なんでオレが微妙に子ども扱いされてんだ。
     なんか腑に落ちねえんだけど。
    「じゃ、次行こう、暦」
    「おう」
     まあいっか。たまにはこういうデートもさ。
     暗い館内は、こっそり指をつないでいても目立たない。暦はランガの左手に自分の右手を絡ませた。
     二人の指輪がぶつかって、カチンと小さな音が立った。


    02. 深海

     水深二百メートルは太陽の光が届かないらしい。想像もつかないその世界を模した水族館の一帯は、照明が最小限に抑えられていた。
     水槽もほとんど真っ暗で、目を凝らさないと中の生き物を見ることができない。
    「暦、大丈夫?」
     隣を歩くランガの表情ぐらいは見える。心配そうに眉を寄せて暦を覗き込んでいた。しかしそういう顔をされることに心当たりはない。
    「大丈夫……っつうか、なにが?」
    「怖くない? ここ暗いから」
     なんだそういうことか、と頭の裏をかく。
    「怖くねえよ。お化け屋敷じゃあるまいし……」
    「お化け屋敷は怖いんだ……」
    「……うるせえ」
     やべえ墓穴を掘った。お手本のような墓穴だ。
    「怖くねーっての、別に!」
     暦はランガから目を背けて展示の方を向いた。細長いリュウグウノツカイと目が合ったような気がしたが、たぶん気のせいだろう。
     ランガは暦の手を強く握り、水槽のガラス越しに暦に眩しい視線を向けた。
    「大丈夫、俺がいるから」
    「へーへー……」
     顔をキリッとさせるな。照れるわ。
    「にしても深海って、全然雰囲気違うな」
     リュウグウノツカイは暦もかろうじて知っていたが、その他のここにいる魚や甲殻類たちは、初めて目にするものばかりだ。
     地上や波打ち際の生き物とは、見た目も生態もまるで違う。
    「見たことない生き物ばっかりだね」
    「水深二百メートルだからな」
     潜水艦じゃないと行けないような地球の奥深く。陸の生き物が耐えられる水圧や水温ではないだろう。なにせ光を浴びないのだ。その環境に合わせた姿は、少し不思議だった。
    「ちょっとエイリアンっぽいよな」
     そういえば、地上から宇宙までの距離と、海面から深海までの距離では、深海の方が遠くにあると聞いたっけ。
     ランガは暦の呟きを聞いて、意外そうに目を丸くした。
    「暦、こういうのは平気なんだ」
    「こういうの?」
    「エイリアンとか。ゴーストとはちょっと違うか」
    「だから! 別に怖くねえっての!」
     ホントに? と、口に出さないまでも、ランガが疑っていることは伝わってくる。
    「ランガは怖いもんねえのか?」
     自分ばかり心配されているのが癪で、暦はランガの横腹をつつきながら聞いてみた。
     例えばこんな深海も見知らぬ生物も、ランガは平気なんだろうか。
    「怖いものっていうか……弱点はあるよ」
     クジラの骨の残骸を見ながら、ぼんやりと呟く。
    「暦をなくした時のこと考えると、すごく怖い」
     そしてつないだ指にギュッと強く力をこめる。
     そういう答えは反則だろ。
     暦はそれに応えるように手を握り返した。
    「いなくならねえよ」
    「うん。だから、今は怖いものない」
    「強っ」
     ささやかな笑顔を交わしながら、明るい方へと進んで行く。
     あ、とランガは何かを思い出したように顔を青くした。
    「でもスプラッタ映画はあんまり……」
    「血が出るヤツ?」
    「そうそう」
    「じゃあさ、SFとかアクションとか観に行こうぜ。オレ、あーいうパニック映画は好き。エイリアンとか恐竜とか出てくるやつ」
    「サメは?」
    「あー……サメは……ギリOK」
    「ギリOKなんだ」
     ランガは明るく笑った。
    「じゃあ今度、どれか観てみよう」
    「だな!」
     なあランガ、オレだって、オバケより、暗いところより、お前がいなくなる方が怖いよ。
     一つでも多く楽しいことをして、そういう不安は吹き飛ばそうぜ。


    03. クラゲ

    「……なんか急にカップルが増えたような気がするんだけど、気のせい?」
    「いや……気のせいじゃねえよ。ここ混んでるわ」
     つか、雰囲気がモロにデートスポットって感じだ。幻想的というかロマンチックというか。
     大きな広場の中央にあるのは球型の水槽。その中で間接照明の光を浴びながらフワフワと円形の生き物が漂っている。
    「クラゲって綺麗なんだな」
     半透明のその体には、水の清潔さと鮮やかな照明がよく映える。
     思わず水槽に顔を近づけた瞬間、カメラのシャッター音がした。驚いて振り返った先で、ランガがスマホのレンズを暦に向けている。
    「今、撮ったか?」
    「うん。すごくいい雰囲気だったから」
     ムードにあてられたのか、ランガがわかりやすく彼氏モードに入っている。気恥ずかしくなり、暦はわずかに目を逸らした。
    「お気に入りに入れておく」
    「いいって! んなの!」
     甘い雰囲気が落ち着かなくて、ごまかすように水槽を指さした。
    「ほら、珍しいクラゲだぞ」
    「そうだね」
     全然効いてねえ〜。
     暦は頭を抱え、漂う赤いクラゲを目で追った。足が果てしなく長い。ランガより長えなあ、と茹だる頭で現実逃避をした。
    「遠征に出たりして暦がそばにいない時、よく暦の写真見てた」
    「へ、へえ」
     いやまあオレもそうだけどよ。とはここでは言えない。
     混んでいるこの展示スペースは、なかなか水槽に近づくチャンスが回ってこない。暦は順番を待ちながら、ランガの持っているスマホに目をやった。
    「なあ、お気に入りのフラグつけた写真って、他にどんなんがあるんだよ」
    「見る?」
     なぜかランガは嬉しそうに表情を輝かせた。指を動かして画面を切り替え、暦にだけ見える角度にスマホを傾ける。
     つい今撮ったばかりの一枚が映っていた。
     色鮮やかな照明の水槽に浮かぶクラゲ、そしてそれを眺める暦の横顔。
    「よく撮れてるだろ」
    「……だな」
     オレさっきこんな顔してたのか、と思わず頬に手を当てる。
     ランガの細い指が画面を左に動かすと、画面は一枚前の写真に移った。昼に食べたしらす丼だ。
     食いもんかよ。
    「……これもお気に入りか?」
    「うん。美味しかったから」
     オレとしらす、同じくくりなのか?
     呆れて横目でランガを見たが、ランガは気づいていないようだった。
    「お気に入りっていうか、美味いものの写真フォルダかな」
    「オイ……」
     冗談だか本気だかわからない真顔でそういうことを言うな。
    「あ、暦、ほら順番」
     ようやく二人の前から人が流れ、水槽に近づくことができた。スケートのウィールほどの大きさしかない白いクラゲが、活発にプカプカと泳ぎ回っている。
    「そういやお前、クラゲは美味そうって言わねえんだな」
    「えっ」
     ランガは目を丸くして暦を見た。
    「クラゲって食えるの?」
    「ここにいるようなのは食わねえけど、食えるやつもあるぞ。中華サラダとかに乗ってんの見たことねえ?」
    「ない……」
     こんなにカルチャーショックを受けているランガを見るのは久しぶりだ。そうか、と呟き、水槽をじっくり眺めている。
    「へえ、食べられるんだ」
     ……もしかしてマズいことを教えてしまったんじゃ。
    「こ、ここにいるようなのは食えねえからな?」
    「うん、わかってる」
     じゃあその好奇心にまみれた目を水槽に向けるのはやめてくれ。
     暦はランガの腕を引っ張り、半ば引きずるようにクラゲコーナーを後にした。


    04. 太平洋

     白い砂、珊瑚礁、鮮やかな魚たち。明るい海の展示は、故郷に似ている。
    「沖縄みたいだね」
     ランガも同じことを考えていたようで、嬉しくて口元が緩んだ。綺麗だな、と言えば、うん、と素直に頷いてくれる。
    「この辺の魚って、なんでこんな風にカラフルなんだろう」
     濃いオレンジや群青色の小さな魚を目で追いながら、ランガが呟く。そういうよくある質問には多分解説があるはずだ、と暦は辺りを見渡した。
    「お、書いてあるぞ、ここ」
     水槽の近くに掲げられている文章を指さすと、ランガは立ち止まって丁寧に読み上げた。
    「黒潮が通る亜熱帯の海は、太陽の光を浴び、明るい環境になっています」
     ちゃんと句読点のところを区切ってリズミカルに発声していく。
     なんか、七日と千日の宿題の音読みてえだな……。
     暦は懐かしさとおかしさでそれに聞き入った。
    「鮮やかな模様で仲間を見分けたり、変わった柄で敵の目を……」
    「あざむき」
    「欺き、身を守っているのです」
     ふう、とランガは一仕事を終えて息をついた。宿題だったらよくできましたのハンコを押すところだ。
    「なるほど。わかった」
    「だな」
     ハンコの代わりにランガの肩をポンと叩くと、ランガも暦に軽く身体を寄せてきた。
    「ランガって、素直な性格してるよな」
     暦の言葉に、キョトンととぼけた顔を向ける。
    「スケート始めたときも、そうだっただろ。ちゃんとオレが教えたことを聞いて、真面目に練習して、一つ一つ身につけてさ」
    「懐かしいな」
     ランガは珍しく照れているようだった。出会った頃を思い出しているんだろう。沖縄に似た、この海の展示の中で。
    「暦がいい先生だったからだよ」
    「だろ?」
    「ドヤ顔してるし」
     笑うランガの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、太平洋ゾーンの最後の水槽の前に立つ。
     黒潮を見立てた激しい水流に合わせて、イソギンチャクがゆらゆらと揺れていた。
    「オレ、お前が転校してくるまで、一緒にスケートできるヤツがいたらなってずっと思ってたけど、それがランガでよかったよ。高校の時にお前と沖縄で会えて、マジで……」
     幸せだ、と言おうとしたが、ランガが足を止める気配がしたので、水槽から目を離してランガに向き直った。
    「……え」
     戸惑いを覚えるほど、きらきらと輝いた目が暦を貫いている。まさにこの明るい海に差す強い光のような。
     うわ、すげえ嬉しそう。
     つか、オレ、結構恥ずかしいこと言ったな。
    「暦、たまに熱烈なラブコールするよな」
    「らっ……」
     ラブコール!?
    「違えよ、これはラブ……っつうか、スケーターとしての尊敬っつうか」
    「うん。わかってる。すごく嬉しい」
     ランガは噛み締めるように胸に手を当てた。
    「早く沖縄帰って、暦とスケートしたい」
    「……だな」
     でもまだもうちょっとここで、二人きりのデートを楽しんでいたい気持ちもある。
     ランガは最高のスケーター仲間で、親友だけれど、恋人でもあるんだし。


    05. カフェ

    「ここで大体半分だな」
     ガイドマップを眺めながらスロープを上がって行くと、開けたエリアに出た。左手に小さな売店、右手にジューススタンドのようなカウンターがある。
    「食いもん売ってる。なんか食うか?」
    「食べる」
     そんなの聞くまでもないことだったかもしれない。ランガは答えるのと同時に腰のポケットから財布を取り出し、目を光らせてメニューを眺めた。
     ラインナップは、ソフトクリーム、魚の形のパン、ソーダやビールなどの飲み物、それからホットスナック。
    「暦、ナゲットがある。サメの肉だって」
    「あー、沖縄ではたまに売ってっけど……食ったことはねえな」
    「じゃあ食べよう!」
    「そうだな。あとオレ、コーラ」
    「俺はサイダー。それからソフトクリームとパン」
    「フルコースかよ……」
     一応これ、間食だよな。マジ飯じゃなくて。十四時だし。
     それぞれメニューを注文し、テラスに出た。快晴の空と湘南の海が、見渡す限りに広がっている。
    「あとで砂浜にも行ってみようぜ」
    「うん」
     空いているベンチに腰掛けて、小さく乾杯する。乾いた喉にコーラの炭酸が染み渡り、爽快さに大きく息を吐いた。
    「暦、ナゲット美味いよ」
    「おっ、マジ?」
     ランガの差し出したカップからナゲットをひとつまみして、口に放り込む。
    「うん、美味い!」
    「サメってこういう味なんだな。知らなかった」
    「お前、次サメの水槽見たとき、美味そうって言うかもな」
    「かも」
     ランガはおかしそうに笑い、またひとつナゲットを頬張った。
     水族館で魚美味そうって言うなよ、とランガに注意していたのが遠い昔のようだ。いつの間にかランガのペースに巻き込まれている。
    「なあ、暦」
    「ん?」
    「いっぱい魚見たけどさ」
     ランガは大きなソフトクリームを一口含み、暦に向き直った。
    「俺にとっては暦が一番不思議な生き物だと思った」
     カフェオレを吸い上げる喉の動きが止まる。
    「……それ、そのまんまお前に返すぞ」
    「そう?」
    「そうだっつの」
     ランガ以上に暦を夢中にさせて悩ませる生き物なんていない。
     カップを持っていない方の手を差し出すと、ランガもソフトクリームを抱えていない手を伸ばし、ささやかにDAPをした。
    「ま、不思議っつっても、お前の思考回路はなんとなくわかるけどな」
     膝で頬杖をついて得意げに微笑む。
     ランガは少しムッとしたように眉を寄せた。
    「俺、そんなに単純?」
    「だろ。オレも人のこと言えないかもしんねえけど」
    「そうだな」
    「オイ……」
    「じゃあ今俺が何考えてるか当ててよ」
     そう言って挑発的な目を暦に向けるので、暦も視線を返した。
    「今日の夕飯は海産物がいいと思ってるだろ」
    「……アタリ」
    「ほらな」
     絶対そうだと思った。
     勝ち誇る暦にランガが顔を寄せる。急に距離が近づいたので少したじろいだ。海とは違う種類の青い瞳が、暦をまっすぐに見つめている。
    「でもそれだけじゃないよ」
    「な、なんだよ」
    「暦とキスしたい」
     想像もしていなかった言葉に、ベンチからひっくり返りそうになった。
    「は? こ、ここで?」
    「まさか。あとで。二人きりになったらだよ」
    「な、なんだ……ビビった……」
    「あと一つ」
    「まだあんのか!」
    「暦が見たいって行ってたイルカショーすごく楽しみ。もうすぐ始まるよ」
     その言葉に大きく目を見開く。
     覚えていたのか。上演時間までチェックして。
     暦が驚いているうちに、ランガはソフトクリームの残りを口に放り込み、ベンチから立ち上がった。
     そして暦に手を差し出す。
    「行こう、暦」
    「だな!」
     もっともっと、この世の楽しいものを一緒に目に焼き付けよう。


    06. イルカショー

    「なあ……ランガ、オレたち、前の方の席座っていいと思うか?」
    「え……だって暦、前の方がいいんだろ?」
     最前列でイルカのショーを見て水を浴びるんだと言っていた暦は、スタジアムに入ると急にトーンダウンした。一体どうしたっていうんだ。
     上演開始の五分前、客の入りは七割といったところだ。暦の狙っていた最前列の席は、幸いにもまだ空きがある。
    「空いてるよ。せっかくだから前行こうよ。段差があるから後ろの人が見えないわけじゃないし」
     映画館だとシートから頭が飛び出るので最後列を選んだりするが、ここなら大丈夫なはずだ。
     しかし暦は扇型の客席を眺めて、低く唸った。
    「でもさあ、あの辺って、子どもに譲った方がよくね?」
     オレたち一応大人だしな、と腕を組む。
     なるほど、それを心配してたのか。
    「暦、いいやつだな」
     顔を覗き込んでそう言うと、暦は照れくさそうに目をそらした。歳の離れた妹がいるから、そういうことに敏感なのかもしれない。
    「もし子どもが来たら譲ろう。とりあえず座って待とうよ」
    「んーまあ……そうだな……そうすっか!」
     ようやくカラッとした笑顔を見せたので、ランガも口元を緩ませた。
     そうと決まれば、と一番近い席に並んで腰掛ける。二人の背丈よりプールの壁は高く、中は溢れそうなほどの海水が漂っていた。
    「こんにちは」
     会場の案内をしていたスタッフの女性が近づいてきた。営業スマイルを二人に向けている。
    「この席はお水がかかりますが、大丈夫ですか?」
    「ハイ! 全然ヘーキっス!」
    「念のため防水じゃない精密機器はしまってくださいね」
    「えっ」
     そんなに濡れるのか? と二人は顔を見合わせた。
    「それから、今日は小さいお子様も少ないですし、お兄さんたちが盛り上げてくれると嬉しいです!」
     ……ものすごく期待されている。
     怖気付くランガに対し、暦は「ハイ」と力強く応えた。
    「それでは、開演までもう少しお待ちください」
     ニッコリ笑って立ち去るスタッフと代わるように、スタジアムに流れる音量は大きくなる。ランガは暦の耳元に顔を寄せて話しかけた。
    「俺、盛り上がるようなことできる気がしないんだけど」
    「大丈夫だ。オレは七日とか千日に付き合ってヒーローショーとか行ってたからな」
    「そうなんだ……」
     さすがお兄さん。頼もしい。
     ホッと胸を撫で下ろして姿勢を正した。
     やがて場内から自然と手拍子が起こり、水しぶきとともに何かの生き物がプールを横切った。
     ショーの主役の登場だ。ものすごいスピードだった。
    「早っ!」
    「リアクションできんじゃん」
    「いや、こういうのはできるけど……」
     苦手なのはいわゆるコール&レスポンスというやつで。
    「みなさん、こんにちはー!」
     マイクを持ったトレナーラーらしき男性が、よく通る声で叫ぶ。
    「こんにちはー!」
     隣で暦が元気よく叫び返した。
     暦……お前はホントいいやつだな……。
     ランガは控えめに「こんにちは」と呟いた。暦の肘がランガをつついたが、盛り上げる役割は任せることにする。
     イルカやアシカたちはパートナーのトレーナーの指示通りに泳ぎ、飛び、時にくるくると回った。動作を行うたびに、小さな魚を口に放り込まれている。
    「あんなに次々食べて腹いっぱいにならないのかな」
    「イルカもお前には言われたくないだろうよ
     なんでだ、と暦に抗議しようとしたとき、ボディスーツを着たトレーナーがプールに飛び込んだ。
    「暦! あの人プールに入っちゃったよ!」
     暦の肩を掴んでガタガタと揺する。
    「大丈夫だっつの! そういう演出だ!」
     再び水面から姿を見せたトレーナーは、ピンと背筋を伸ばしてイルカの鼻先に立っていた。そのまま丸いプールを何周も回ってみせる。
    「す、すごい」
    「な!」
     揃って拍手をしていたら、プールに沿うように勢いよく泳いだイルカから水しぶきが上がり、二人を濡らした。
    「うわっ、来た!」
    「はは、ウケる!」
     ウケるっていうか、気持ちいい。真冬なのに。
     夢中になって演技を見ている間に、気がつけばスタジアムの上部にワイヤーがかけられ、そこからボールが吊り下げられていた。水面から五メートルはあろうかという高さだ。
    「今からあそこまでジャンプしまーす! うまくできたら拍手をお願いしますね!」
     イルカってあんな高くまで飛び上がれるんだ。
     でもちょっと待て。
     高く飛べば飛ぶほど着水のときの勢いも増すんじゃないか。
    「なあ、暦」
     それを教えようとするより数秒早く、イルカは水面から飛び上がり、鼻先でボールにタッチした。
     すごい。高い。綺麗だ。
     見惚れた次の瞬間、冷たい水が頭から全身に浴びせられた。
     わあ、と近くの席から悲鳴と感情が上がる。
    「やべえ〜!」
     暦はゲラゲラと笑いながら強く手を叩いている。
     それを見て、ランガも思わず吹き出した。
    「ヤバい!」
     痛くなるほど勢いよく拍手を繰り返す。
    「ありがとうございましたー!」
     ステージから退場していくイルカたちやトレーナーを見送りながら、ランガと暦も席を立った。
     暦の黄色いセーターは水に濡れて色を変え、赤い髪からは雫が滴り落ちていた。
    「暦、びっしょびしょ」
    「ランガもだろ」
     そう言ってランガの前髪を後ろに撫でつけてくる。
    「思ってたのの五倍濡れたな」
    「寒くない? 大丈夫?」
    「ヘーキヘーキ!」
     本当に、なぜか寒くはなかった。ビーフのときと少し似ている。楽しくて、内側から燃えるような体温を感じていた。
     暦は歩きながらランガの顔を覗き込み、嬉しそうに微笑んだ。
    「お前、いいリアクションしてたぞ」
    「そう? よかった」
    「楽しかったか?」
    「すっげー楽しかった!」
     暦の口調を真似すると、からかうようにランガの肩に体当たりしてきた。
    「ランガのそういう顔が見られてよかった」
     暦、いいやつだな。
     そしていい恋人だ。
     今すぐにキスがしたかったけれど、ずぶ濡れのままだと、きっと潮の味がするだろうなと思った。


    07. タッチプール

     哺乳類とか鳥類ならふれあいコーナーがあるのも理解できるんだ。体温があるし、柔らかいし、毛が生えているし。
    「……触るの? これ……」
    「嫌なら別にやんなくてもいいけどよ……」
     蓋のない平べったい水槽が並び、その中にいくつもの大きな魚がほとんど動かずに漂っている。
     キャプションに書かれた生き物の名前は、ネコザメ。
    「なあ、暦、これ噛まないよな。噛まないんだよな」
     スリラー映画で活躍するサメとは種族が違うことはわかっているが、本能が危険を察知している。
    「噛まねーって! そこに書いてあるだろ」
     ほら、と水槽近くの解説を指差す。やさしくさわってね、とひらがなで大きく示されていた。
     水槽を挟んだところに立っているスタッフの青年も、苦笑いでランガに語りかけた。
    「大丈夫ですよ。おとなしい生き物です。背中側をそっと触ってください」
    「ほら、プロがそう言ってるだろ」
    「うん……」
    「しょうがねえな……。オレが最初にやるわ」
     言いながら、暦はセーターの袖を腕のところまで捲りあげた。そして水槽に左手を差し出そうとする。
    「あのさ、暦」
    「なんだよ」
    「初めてスケッチーに触ったときのこと思い出すね」
     暦は顔をひきつらせてランガを見た。
    「お前、噛まれてたじゃねえかよ。嫌なことを思い出すな」
    「そうだった」
     フェネックという生き物を見たのは、DOPEが初めてだった。もちろん触ったのも。フワフワで気持ちよかった。
     サメも触ってみたら意外と心地よいかもしれない。
    「よし、やるぞ」
     暦は左手をそっと水槽の中に沈ませた。大きな手のひらがサメの背中に優しく触れる。
    「おわ……ザラザラだ……」
     率直な暦の感想に、スタッフの青年の表情が緩む。
    「サメのウロコは特殊なんですよ。歯と同じ質でザラザラしています。鮫肌ですね」
    「サメハダ?」
    「ザラザラした肌のこと、鮫肌っていうんだよ」
     へえと思わず暦の腕を見た。暦の肌と比べてどうだろう。
    「お前も触ってみれば?」
    「うん、じゃあ……」
     深呼吸をして、右手を水面に浸す。まずぬるい水温が皮膚に伝わり、その後に目の細かいヤスリのような感触が手のひらに染み渡った。
    「ホントだ。ザラザラしてる」
     サメは自分が触られていることに気づいているのかいないのか、浅い水面をゆらゆらと漂っている。
     ランガは右手をそのままに、左手で暦の腕を掴んだ。
    「おわ、な、なんだよ急に」
    「やっぱり暦の方がサラサラだなと思って」
    「当たり前だろ。サメと比べんな」
     二人は揃ってタッチプールから手を離し、係員の誘導に従って手を洗った。清潔な石鹸の香りが指先から漂ってくる。
    「やってみたらおもしろかったね」
    「現金だな、お前……」
     暦は右手でハンドタオルを差し出した。それを受け取りながら、先程のタッチプールでの光景を思い返す。
    「暦、さっき左手でサメに触ってなかった?」
     右利きのはずなのになんでわざわざ。
     ああ、と暦は右手を目の前にかざした。昼過ぎの日差しが肌にきらりと輝いている。
    「こっち指輪してるから、外さなきゃなんないだろ」
     その言葉に、心臓をギュッと掴まれたような気になった。
    「そっか、そうだな」
    「嬉しそうな顔してんな、お前……」
    「指輪、一秒も外したくないんだ、暦」
    「そこまでは言ってねえ……」
     暦の右手を握りしめる。水槽に浸かってはいないけど、真水で洗ったばかりの手。少し冷たかった。
     もともとの体温を取り戻すまで、しっかり握りしめていようと思う。


    08. カピパラ

     餌やりの順番を待ちながら、黙々と草を食べるその様子を写真に収める。
     なんだか独特の存在感だな、とランガは思った。そもそも水族館の生き物っぽくない。
    「ところでこれ、なんの動物?」
    「ネズミだ」
    「えっ、ネズミ?」
     この、猫よりも犬よりも大きい、のっそりした動物が?
    「初めて見たよ、俺……カピ……カビ……」
    「カピバラな」
     舌を噛みそうになるほど発音しづらい名前だ。今ここで目にするまでは、そもそも存在すら知らなかった。
    「暦は知ってた?」
     そんなにポピュラーな動物じゃないよな? と尋ねるつもりで顔を向けたが、暦はあっさりと言葉を返した。
    「知ってるよ。人気あんじゃん。キャラクターとかになってるし」
    「え、そうなんだ……」
     暦の過ごしている世界と自分の世界が完全に交わっているわけではないことを知り、複雑な気持ちになる。
     暦はそんなことまるで気にしていないように、カメラをその動物へ向けていた。
    「会社の研修旅行で名古屋に行ったとき、動物園で見た」
    「研修旅行?」
     そんなのあったのか。初耳だ。
    「言ってなかったか? 毎年秋頃行ってんだよ」
    「聞いてない……気がする……」
    「ま、旅行っつっても仕事の一貫だしな。別に遊びに行ってるわけじゃ……」
     言いながら、暦の声のボリュームがだんだん小さくなった。ランガを見る表情が苦笑いに変わっていく。
    「そんな不満そうな顔すんなよ」
    「え、してる? 俺」
     怖い顔をしているつもりはなかったのに。
    「ランガって嫉妬深いよな、結構」
    「……暦は全然しないよね」
    「だってお前、他のやつに恋愛感情的な意味で興味持たねえだろ」
     図星を突かれて返す言葉もない。
     そんなの当たり前のことじゃないか。
     そうだけど、嫉妬ってそれに限ったことじゃなくて。
     なんと説明すればいいのかわからずに口ごもっていると、カピバラに餌を与えていた前のグループが退場した。
    「どうぞ、次、お兄さんたちの番ですよ」
     にこやかに招き入れられたので、二人は一旦会話を止め、その世界最大のネズミの前にしゃがみ込んだ。
     近くで見ても遠くで見てもあまり印象の変わらない生き物だ。ユニーク。
    「すごいマイペースだな……」
    「かわいいじゃん」
     暦は楽しそうに笑っている。ランガはさっきの会話が気がかりでまだイマイチ気分が乗り切れない。そしてカピバラは黙々と草を食べている。
    「よかったら二人のお写真撮りましょうか?」
     飼育員のスタッフにそう声をかけられて、ランガは答えに迷った。しかし暦は間髪入れずに「お願いします」と答えてスマホを彼女に預けた。
     戸惑っている間に、暦がランガの肩を引き寄せる。
    「ほら、笑えって」
    「……うん」
     にこ、と口元だけ緩めてみた。
    「はい、撮りました」
    「ありがとうございます!」
     スマホを受け取り、二人はそのまま飼育場を後にした。
    「ほらランガ、すげえよく撮れてる」
     満面の笑みの暦と、まだ心の底から笑えていないランガと、何を考えているのかわからない表情のカピバラが写っている。
    「変なスリーショット」
    「だな」
     暦は笑って画面を閉じた。
    「あのなあランガ、これ、デートだろ。デートはお前としかしねえよ」
     ずるいよ、暦。
     そんなこと言われたらうぬぼれてしまうじゃないか。
    「確かによく写ってる。いい顔」
    「そうか?」
    「カピバラが」
    「そっちかよ!」
    「暦も今、ヤキモチ妬いた」
     だよな? とかがんで暦の顔を覗き返すと、暦は口を尖らせて顔を逸らした。
    「ま、そうかもな」
     嬉しいな。
     もっともっと、自分のことだけを見てほしい。
     もっと暦を夢中にさせたい。
     ユニークな生き物の写真を見ながら、それを噛み締めた。


    09. ペンギン&アザラシ

     最後に、二人は見逃していた展示へ立ち寄った。
     イルカショースタジアムの目前にある、ペンギンとアザラシのプールだ。
     今はちょうど次のイルカショーの開演直前で、そっちに人が集まっているのか、ガラスの前には二人の他に誰もいなかった。
    「貸切だな」
    「うん」
     先ほどこの前を通った時は人だかりができていた。きっと人気のある動物なんだろう。どちらも大きな瞳を持ち、愛嬌のある表情をしている。
    「かわいい」
    「えっ」
     ランガの呟きに、暦が思いきり首を捻ってこちらを見る。なぜかものすごく驚いた表情を浮かべていた。
    「何?」
    「お前もこういう動物を見てかわいいっていう感情持ったりするんだな……」
    「そりゃあ、まあ……」
     俺だって人間だし、と苦笑いしながら、ペンギンが歩く姿を目で追う。
    「暦はどの動物が一番好きだった? やっぱりイルカ?」
    「一番は決めらんねえな。どれもいいとこあるから」
     言いながら、暦はふっと笑った。
    「なんかさ、全部の生き物がお前に似てるような気がしてきた」
    「ぜ、全部?」
     カニもエイもカワウソもカメも全部?
     ていうか、そういう目で水族館を回ってたのか?
    「フワフワしたクラゲにも似てるし、高く飛ぶのはイルカみたいだなとも思うし、カピバラっぽいとこもあるし」
    「さすがにカピバラには似てなくない?」
    「そうか? ちょっとボーッとしてるとこ、お前にもあるだろ」
     いまいち反論しきれないのが悲しい。
     一方の暦はアザラシが泳ぐスピードに興奮して歓声を上げていた。
    「アザラシはボケッとしてるのに泳ぐと速えのが似てる」
    「さっきからボケッとしてるって評価ばっかなんだけど」
    「泳ぐのが速えとも言ってるだろ」
     ごまかすように笑ってランガの頬をつねる。なんだよ、と呟くと、ごめんって、と優しい声で呼びかけてきた。
    「拗ねるなよ」
    「別に拗ねてない」
    「転校してきた頃は、お前がこんな感情豊かなやつだと思わなかったな」
     思い出を慈しむように、暦は呟く。
    「すげえ色んな顔するようになった。だからあちこちでランガのこと連想する」
     言いながら横目でペンギンを見た。
     今もあの鳥とランガを重ねて見たりしているんだろうか。
    「ペンギンも、嫉妬とか拗ねたりとかするのかな」
     暦はようやくランガの顔から手を離し、展示ガラスに向き直った。
    「するらしいぞ。飼育員にベッタリ執着したり一羽のオスを巡って骨肉の争いを繰り広げたりするって」
    「そんなにドロドロしてるの?」
     予想以上の答えが返ってきたので仰天した。
     見た目は絵本に出てきそうなほどファンシーで可愛らしいのにどうして。
    「ていうか暦、なんでそんなこと知ってるんだよ」
    「あー、七日と千日が言ってた」
    「そんなこと言うようになったんだ……」
     髪の二つ結びがかわいかった暦の妹たちよ。
    「そうだ、お土産買いに行かないと」
    「だな。結構いい時間だし、一周したし、そろそろ出るか」
     くるりと足の向きを変えて歩き出そうとした瞬間に、ペンギンの展示部屋から絹を裂くようなものすごい音量の叫び声が聞こえてきた。
     暦と同時に勢いよく後ろを振り返った。
    「び、び、ビビった」
    「すごい声。今の、ペンギン?」
    「みたいだな。あんな声で鳴くのか」
     ふ、と暦は小さく吹き出し、続いて高らかに笑い声を上げた。
    「めっちゃ面白かったな」
     その顔を見ていると、自然とランガも笑えてきた。
    「うん。また来よう」
    「ああ!」
     暦だって表情豊かだ。
     どんな一面も、とても愛しいと思う。


    10. スーベニアショップ

     水族館の外には海の生き物をモチーフにしたショップが併設されていた。お菓子から生活雑貨、図鑑などに至るまで色々な商品が置かれている。
     暦は雑貨が並んでいる一角が気になったようで、へえ、と言いながらボールペンやマグカップを眺めていた。
    「七日と千日にこの辺のやつ買ってくかな。あいつらは食いもんとかよりこういうのがいいだろうし」
    「そうだね」
     それに大好きな兄の選んだものなら、きっと大喜びするだろうと思う。
     しかし暦はくるりとランガの方を振り返り、なあ、と笑いかけた。
    「ランガが選んでくれよ」
    「えっ?」
     俺?
     ランガは自分を指差して固まった。
    「自信ないんだけど……センスに……」
    「じゃ、カテゴリーだけ決めてくれよ。色とかは俺が選ぶから」
    「それもそれで責任重大だよ」
     どうしよう、と腕を組み、うろうろと店内を歩き回る。母や自分やスケート仲間へ贈るものだったら食べ物一択で楽なのに。恋人の妹へのお土産なんてハードルが高すぎる。
     ぬいぐるみ……は子どもっぽいかもしれない。食器はきっと大家族の喜屋武家にいっぱいあるだろうし。絵ハガキは素敵だけど予算が低すぎる。
    「すげえ真剣に選んでんな」
     暦は笑いながらランガの写真を撮った。まさかこれも妹たちに見せるつもりじゃないだろうな。
    「そんな重く考えんなよ。なんだって喜ぶと思うぜ」
    「そうかなあ……」
     あの子たちが喜ぶものってなんだろう。
     失敗したとしてもせめて何かに使えるように、実用的な物の方がいい気がする。
    「……あ」
     ランガは一つひらめき、棚に並ぶ折り畳み傘を手に取った。小型で軽く、日傘にも雨傘にもなるもの。
    「傘はどうかな」
    「お、いいじゃん!」
     デザインもたくさん揃っている。カラーバリエーションもある。
     暦は七日にペンギン、千日にカワウソの柄の折り畳み傘を選び、プレゼント用に包装を頼んで購入した。
    「ありがとな。お前が選んだんだってあいつらに言っとく」
    「俺が選んだことで喜んでくれるの?」
    「当たり前だろ」
     ショップから出て、二人は海岸へ向かった。まだとても海水浴できるような気温ではないけれど、せっかく海に来たので波ぐらいは見ておきたい。
    「なんで傘にしたんだ?」
     つめて、と言いながら、暦は指先で波に触れた。
    「雨の日って不自由なこと多いけど、お気に入りの傘があるとちょっと気が楽になるんじゃないかなって」
     ランガも暦に倣って波に手をつけてみた。冷たさに肩が強張る。
    「俺も雨の日はスケートできないから好きじゃない。でも暦と一緒にいる時間は好きなんだ」
     たとえば雨風なんて関係ない屋内の水族館のような。
    「今日すごく楽しかった」
     濡れたままの手で暦の手を握る。
    「ああ、オレも」
     暦も冷たい手で握り返してきた。冬の海風に、赤い髪が揺れている。
     片目で辺りを見渡したが、人の影はなかった。
    「暦、キスしていい?」
     尋ねると、暦の方から腕を引っ張り、キスしてきた。凍えるような手と裏腹に、唇はぬるかった。そして少ししょっぱかった。
    「……海の味がする」
     数センチ向こうの暦にそう告げると、おかしそうに笑った。
    「イルカショーで水被ったからな」
     そして手を離し、大きく背伸びをする。水平線の先に見える太陽へ向かって。
    「もうすぐ夕飯時だな。魚食いに行くだろ?」
    「うん!」
     最初に見た水槽の前で魚がおいしそうだと言ったら、暦は呆れていた。
     今はランガと一緒に食事のことを考えてくれている。

     なあ、暦、本当に今日は楽しかった。
     世界の色んなことと、暦の色んなことを知った。
     明日からも教えてほしい。俺も教える。
     一緒に知っていこう。どんなことも。
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