SUMMER AGAIN 待ち合わせ場所に現れた暦は、見慣れない服を着ていた。
「あれ? ランガ、夏服は?」
でも自分と違う姿をしていることに驚いたのは、むしろ暦の方だったみたいだ。目を丸くして俺の制服を指差している。
「ナツフク?」
「制服だよ。今日から学ランじゃなくて白シャツだろ?」
制服。白シャツ。夏服。ああ、とようやく暦の言ってることがわかった。今日から高校の制服は夏バージョンになるらしい。
「買うの忘れてた」
「えマジか!?」
マジだ。今の今まで忘れてた。
「転校した頃バタバタしてて、落ち着いたら買おうと思ってたんだけど」
暦とスケートに会って、落ち着くなんてことがないまま時間が過ぎて、気がついたら今日だ。どうしようか。
「しょうがねえなあ。じゃついてこい」
暦はそう息を吐くと、来た道を戻り始めた。俺の返事を待たずに上り坂をずんずんと歩いていくから、慌ててそれを追いかけた。
「どこ行くんだ? ショップ? こんな時間に開いてる店ある?」
「店じゃねーって。うち行くぞ。オレの予備貸してやるよ」
暦の家。待ち合わせ場所から数十メートルの距離に、それはある。
いつもは学校が休みの日とか放課後にしか来ていないから、朝に来るなんて変な感じだ。暦のすぐ下の妹はもういなくて、その下の双子の妹たちも出かける準備をしていた。
「あれ? 暦? 学校行ったんじゃなかったの?」
「ちょっと忘れもん!」
「お邪魔します……」
部屋は朝の慌ただしさが残っていた。ベッドのブランケットは暦が抜け出したまま。スマホの充電ケーブルがヘビみたいにうねっている。
「あ、お前シャツのサイズいくつ? Lで入る?」
「うん、たぶん大丈夫」
暦の開けたタンスには、ビニールカバーに入った白いシャツがいくつか並んでいた。そのうちの一つを手に取って俺に突き出す。
「着てみ。ほら、早くしねえと遅刻するぞ」
登校前にスケートする俺たちの待ち合わせ時間は、他の人より少し早い。それでも、こんなことしてたらチャイムに間に合うか微妙だ。
俺は急いで学ランとシャツを脱ぎ、インナーの上から暦の夏服を着た。
「お。サイズよさげだな。どう?」
「……暦のにおいがしない」
シャツはピシッと清潔に整えられていて、無味無臭。いつも暦から漂ってくるヘアワックスや洗剤のにおいは全然感じられなかった。
「クリーニング出してたからな。つか嗅ぐな!」
「なんか珍しくて……つい」
「ついじゃねえわ」
俺、今、暦の服を着てるんだな。
それがなんだか不思議で、なんていうか、……ソワソワした。
でも暦はなんとも思ってないみたいだった。スマホを見て、やっべ、とリュックを片手に立ち上がる。
「おし、じゃ行くぞ。このままだとマジで遅刻するわ」
「ありがとう、暦。助かった」
「ま、お前の世話焼くのも慣れてきたしな」
「世話……」
世話なんだ。ちょっと不満。
俺たちは慌ただしく暦の家を抜けて、ボードを地面に滑らせて、スケートで学校を目指した。
吹く風は生ぬるい。いつの間にかもう長袖だと暑い季節になっていた。
コンクリートの道路をぐんぐん進みながら、半袖の制服の、胸の辺りの生地をギュッと掴む。
暦のにおいがしない暦の服を着ている。
それが俺の、沖縄で迎える初めての夏の記憶だった。
その日の夜に母さんに制服の話をしたら、えー、と手で口を覆っていた。
「やだごめん。今日から夏服だったの!?」
「うん。でも友達に借りたから」
それに放課後、暦が「学校とユチャクしている」と紹介してくれたお店にも行って、自分用の夏服のシャツをたくさん買ってきた。
「じゃあ、借りたものは洗濯終わったらアイロンかけるわね」
「あ、俺がやるよ」
俺の言葉に、母さんが口をぽかんと開ける。
「でも、ランガ、アイロン使ったことないでしょ?」
「うん……だから……使い方、教えて」
暦の部屋で制服に腕を通したときから、そうしたいと思ってたんだ。
母さんは表情を柔らかくして、なぜか嬉しそうに笑った。
「そうね。ランガの友達のだもんね。あなたがやるべきだわ」
母さんにそう言われるのは、少しくすぐったかった。
苦労してアイロンをかけた暦の夏服は、ヨレっとしてて、サイコーの出来とは言えなかったと思う。しかも操作をミスって人差し指を火傷した。
「暦、これ。ありがとう。洗濯してアイロンもかけたから」
「マジか。そのまんまで別にいーのに。ありがとな」
右手のバンソーコーが見えないように左手で渡したのに、暦はすぐに気づいてしまった。
「どした、右手」
「えっ」
「昨日練習してコケたとこか?」
「違う!」
傷をスケートのせいにしたくなくて大声で否定した。あっけにとられた顔の暦には、もう本当のことを言うしかない。
「アイロン、俺がかけたから……ちょっと失敗して、その火傷」
少しだけ暦の眉が歪む。それがどういう感情なのか、俺にはわからない。
「でも制服は焦がしてない!」
「焦がすて」
はは、と暦は俺の髪を思いっきりぐしゃぐしゃに撫でた。
「ありがとな」
「……うん」
ソワソワする。落ち着かない。
もうずっとこんな感じだ。なんでだろう。暦といると、飛び出したい気持ちになってばっかりだ。
「こっちの夏、初めてだ」
だからこんな気持ちになるんだろうか。シャツの襟元をパタパタさせる俺に、暦が知った風な顔で腕を組む。
「強烈だぜー、沖縄の夏!」
そう、強烈だった。
制服を忘れて、初めてアイロンを使って、慌ただしくスタートダッシュを切った俺の夏は、そのあともずっと落ち着かなかった。
そしてようやく冬服に戻る時が来た。
「ありがとうございましたー」
エプロン姿の店員さんから袋を受け取って、自動ドアを抜ける。
クリーニング店の外、扉のそばで、暦がスマホをいじっていた。店から出た俺に気づくと、パッと顔を上げる。
「お、できてた?」
「うん。お待たせ」
制服は一週間前に冬服に移った。役目を終えた夏服をすぐクリーニングに出して、ようやく今日仕上がった。
「夏、終わっちゃったね」
「だな。ま、長ぇ方だけどな、沖縄の夏」
四ヶ月ぶりの暦の冬服姿もようやく見慣れてきた。フーディーに学ラン。前にこの姿をしてたときは、どうやって暦と向き合っていたっけ。
俺は暦の背中に近づいて、その襟元に顔を埋めた。
「おっわ、何?」
くすぐってえんだけど、と暦が笑う。
「暦のにおいがする」
後ろから腕を回して、思いっきり暦に抱きつく。
「当たり前だろ。オレなんだから」
「干した布団のにおいがする」
「んだよそれ。つーか重! 自分で歩け!」
ずるずると俺を引きずりながら、暦は明るい声で怒った。
「暦のにおいがわかる距離にいることが嬉しいんだ」
夏の終わりにしていたケンカは、制服が変わるのと同時に終わった。
あのときは暦との間に深い溝があって、近づけなかった。しかも強いスコールのせいで、暦の体温もにおいもわからなかった。
終わったんだな、夏が。これから暖かい秋と冬が来る。
それを噛み締めていたら、暦がポツリと呟いた。
「……今度、服買いに行くか」
驚いて顔を上げた先に、暦のやわらかい表情がある。
「服?」
「そ。制服じゃなくて、今年の冬服!」
それって、すごく楽しそうだ。
「うん、行こう」
今まで、俺のクローゼットの中は、学校の制服と、ファストファッションでマネキンが着てた服と、母さんが買ってきた服の三種類しかなかった。
そこに今年から、暦の選んだ服が並ぶ。
来年からはもっともっと。
「サイコーだ」
かすかに涼しい風が吹き始めた沖縄の、新しい季節はすぐそこ。