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    SINKAIKURAGESAN

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    SINKAIKURAGESAN

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    朝ごはんと、僕と、君の話。

    冷えた朝食とメランコリック 窓から吹き抜ける風が、僕と彼の髪を揺らす。ふわりと鼻をくすぐる焼かれたトーストのいい匂いで、僕はぐうとお腹を鳴らした。
     今日の朝食は目玉焼きとベーコン、コンソメスープ。近くのパン屋さんのちょっとお高い食パン。それと、僕はブラックコーヒーで彼はちょっと甘めのカフェオレ。僕と彼が同居して一年経った頃には、僕は彼の食を把握することは出来ていた。向かいに座る彼は、
    「お、今日も美味そうだな」
    と笑う。そんな彼を見て、僕も
    「今日は今までで一番うまくできたんだ」
    と笑う。
     なんてことない、穏やかな朝の始まり。
     勿忘草を活けた花瓶を机の真ん中に置いて僕は椅子に座る。

     パンにバターを塗って食べ始めた僕に、朝食に全く手を付けずに彼は話し出す。
    「俺が死んだらの話をしよう」
    「またそれ?もう聞き飽きたよ」
    「まあまあ。何回だって話したいんだよ」
     寂しそうな顔をする優斗。なんでそんな顔をするんだろうか。そんな顔をするんだったら、しなきゃいいのに。
    「俺が死んだら、お前はどんな顔をするんだろうな。きっと仕事にも行けずに、泣くだろうな。泣いて、泣いて、泣いて、何にも手がつかなくなる」
    「流石の僕も仕事には行くと思うよ。そうしないと食べていけなくなるし」
     呆れたように言う僕の言葉を聞いて、彼は困ったような顔で笑っていた。
    彼はいつもこうだ。自分が死ぬ時のことを想像しては僕に聞かせてくる。そして、それを話す時は決まって悲しそうな表情をするのだ。
     僕からしたら、こんな話をしなくても分かるだろうと思ったが、彼がしたい話なのであれば僕は何だって付き合う。それが何度も繰り返される話題でも、だ。
    「なあ、覚えてる?俺らが出会った時の事」
    「当たり前だよ。忘れてるわけないでしょ」
     彼が過去の話を持ち出してくるのは中々無くて、ましてや覚えてるかだなんて初めての問いかけだった。自分としては、忘れたくない記憶だったからと少しだけ食い気味に答える。
     僕と優斗は同じ孤児院で育った。それぞれ違う理由だったが、周りになじめなかった僕と仲良くしてくれたのが優斗だ。優斗は家族が事故で亡くなり、親戚をたらいまわしにされてからここに来た。僕は父が女と借金を作って蒸発し、母が僕に暴力を振るうようになって近所の人に通報されて警察に捕まり、親戚からは縁を切られていたため、ここに来た。
     当時小学生だった僕たちは、お互いの事をよく知らなかった。だからか、会話らしい会話もなかった気がする。ただ、同じ部屋にいただけの一人ぼっち同士の子供。最初に話しかけてきたのは優斗だった。
    「なあなあ、名前。教えてよ」
    「え……?」
    「ここにいるってことはさ、これから一緒にここで生活するってことだろ?だったらせめて、名前くらいは知りたい!」
    「えっと……しゅ、修也……」
     そう名乗ると、彼はにっこりと笑い
    「俺は優斗!よろしくな、修也」
    と、言って手を差し伸べてきた。
    「う、うん。よろしく……」
     差し出された手を握り返す。今となっては子供体温だからだと知っているが、その時握った手がとても温かくて、人と触れ合う事なんて母親から受ける暴力でしか知らなかったから、思わず涙が出た。
     これが、僕たちの初めてのやり取り。
     孤児院は二人一部屋の割り振りとなっていて、僕と優斗は同じ部屋になっていた。朝が弱い優斗を僕が起こして、他の子どもたちと一緒にごはんを食べるところから僕たちの朝は始まる。孤児院の朝食は決して豪華とは言えないものではあったが、日に一日食べられれば良かった方である僕としては、三食あるというのはあまりにも贅沢な事だった。その時の癖で一口一口をなるべく長い時間食べられるようにと何度も噛んでいたら、お皿の隅の本来一人一つのはずのプチトマトが二個に増えていた。
    「これな、俺の好物!お前にやるよ!」
    「だ、だめだよ……好きなものだったら、優斗が食べて……」
    「俺はいいの!お前凄い細いんだからさ、そんなんだったらすぐに骨とか折れちゃうぞ!」
     ぽっきぽきだぞ!なんて言う彼は僕がそのトマトを食べるまでじっとこちらを見てくる。観念した僕が食べると、満足そうな顔をして自分の分を再び食べ始めた。
     この時、僕は初めて人から何かを与えられた。誰かの事を思って、その人の好物を分け与える。今までそんな事されたことがなかったから、凄く驚いた。僕の母は僕に興味が無くて、僕に与えるものはいつだって必要最低限のものだけだったし、与えられるものは苦痛を伴う行為だけ。そうなっても自分は特に何も思うことはなかった。だってそれが当たり前の日常になっていたのだから。
     彼の優しさは、僕の凍った心をどんどんと溶かしていく。
     彼は僕にいろんなことを教えてくれた。人の優しさ、信用すること、人を頼っていい事、頼られると、嬉しい事。学校じゃこんな事教えてくれないだろうと言う事を本当にたくさん。優斗は、僕にとって太陽みたいな存在だった。明るくて眩しくて、暖かい。そんな彼とずっと一緒なら、僕はもっと幸せになれるんじゃないかって思った。
     でも、やっぱりそううまくはいかなかった。
     中学生になってすぐの頃、優斗はいじめられるようになった。原因は分からない。けれど、彼は僕の前では何でもないように笑うもんだから、僕はその件について話すことが出来ず、ただ彼の傍にいることしか出来なかった。
     優斗は夜になると、僕のベッドに潜り込んでくる。彼曰く、事故に遭うまでの彼は家族と一緒に寝ていたらしくそれが急に一人ぼっちになってしまったのだから寂しくなったのだという。その話を聞いてからは、僕は人一人が入れるくらいの隙間を作って寝るようになった。それはこの日も変わらなくて、ごそごそという音と、人肌の温かさを感じて彼が入ってきたのだということを暗闇の中で察する。
    「なあ、修也」
    「なに?」
    「俺さ、ちょっと疲れたわ」
    「……」
     何も言えなくなった。今まで過ごしてきた長い時間の中で、優斗が弱音を吐いたことなんて一度も無かった。どんなに辛い事があっても、どんなに苦しい事があっても、彼はいつも笑顔で僕に接してくれる。そんな彼に僕は何度も救われた。なのに、僕は彼を救えない。傍にいることしか出来なかった。
    「けど、お前がいてよかったわ。お前が一緒にいなかったら絶対悪化してたし、助かってる」
    「そんなこと……」
     自分が情けなかった。そこにいるだけで何も出来ていないのに、僕を救ってくれた人を救えているなんて思うなと自分に言い聞かせる。寝返りを打つと、優斗と目が合う。
    「ありがとうな、修也」
    「僕は何もしてない」
    「いてくれるだけで心強いって話だよ」
     くすくすと笑う彼の笑顔はまだちょっと苦し気で、無理をしているのがよく分かった。僕にはどうすることも出来ない無力感に押しつぶされそうになる。そのまま眠りについた優斗の頬に涙が伝っていたのを見て、また自分を責めた。
     一年経った頃、優斗は何かを決意した顔で俺に話しかけてくる。
    「修也、俺な中学卒業したら働こうと思ってるんだ」
     その言葉に、思わず何も言えなくなった。僕よりも頭がいい優斗は奨学金とか借りて、高校に行くのだと思っていたのにそんなことを言うなんて。
    「……僕のせい?」
    「なんでだよ、このままここに世話になり続けるのが嫌なだけ!」
     ばしばしと笑いながら叩かれて、僕も少しだけ緊張を解く。優斗曰く、孤児院近くの自営業のお店でお手伝いをしていくうちに、そのまま働かないかと言われたらしい。
    「あー、そんでさ。修也にもついてきてほしいんだ」
    「へ?」
     更に予想外の話で、間抜けな声が出る。てっきり独り暮らしをするものだと思ってたから、驚いた。最初はもちろん断った。きっと迷惑をかけるし、お金の話だってと色々と積み重なる問題をあげ連ねては断り続けていたが結局は彼の熱意に負けて首を縦に振ってしまった。その時の笑顔と言ったら、俺たちが初めて出会った時と何ら変わりなくて、多分この先も僕はこの笑顔に絆され続けるんだろうな。と、感じた。

    「……や、修也!」
    「え、ああ。どうしたの?」
     ふと気付くと、目の前では優斗が不安そうな顔を浮かべていた。
    「どうしたのってお前な……」
    「ちょっとね、今までの事を思い出してたんだよ。昔っから優斗の笑顔は変わらないな。とかさ」
    「……そうかよ」
     少しだけ湯気の量が減ったコーヒーを見て、冷めたコーヒーは美味しくないんだよな。と思う。トーストを一口齧ると、バターの香りが口の中に広がってとても美味しい。ちょっとだけ焼き色が濃い方が僕は好きだ。ちょっと冷めたスープも飲みやすくって頬が緩む。そうしている間にも優斗は朝食には一切手を付けず、ただ寂しげに微笑んでいる。
    「食べないの?」
    「ああ、そうだな……」
     そこまで言って何かを考え込む優斗は一つため息を付く。
    「なあ、修也。俺さ、お前と出会えてよかったわ」
    「そんなの、僕だって同じだよ」
    「お前と出会った時さ、俺もう死んじゃいたいって思ってたんだよ。川とかに重りつけて飛び込んだら浮かんでこれないだろうなとか、線路とか道路とか、そういうところに飛び込んだら死ねるなとかさ」
    初めて聞いた話に、僕は驚く。僕と出会ってからの優斗はいつでも笑っていて、明るい性格もあって誰からも好かれるような人だった。そんな優斗が、自殺を考えていただなんて、想像もつかなかった。
    僕が何も言わずにいると、優斗はそのまま話を続ける。
    「母さんも父さんもいなくなっちゃって、親戚連中は俺のことをのけ者扱いするし、もうここに俺の居場所はないんだー。消えちゃった方がいいんだーって思ってた時にあの孤児院で過ごすことになってさ。そんで、お前と出会ったの」
     まっすぐこちらを見てくる彼の目は吸い込まれそうなくらいに真っ黒で、こんな色だったかと一瞬考えたが、すとんと何も考えられなくなる。そんな僕の様子を見ている彼はなんだか彼は楽しそうだ。
    「あんときのお前、俺と同じような顔してたからさ。つい声かけちゃった。まあ、あそこには同じような奴らが集まったような場所だから運命とかそういうのじゃないんだけど。けど、お前のそれは俺よりも酷かったから、救いたいっ、お前のヒーローになりたいなって思ったんだ」
    「ヒーロー?」
    「そ、ヒーロー。日曜日の朝にやってるようなさ、皆を救っちゃうようなヒーローになりたかったの、俺。けど、結局はお前に救われた」
     そんなことない、と言いかけたが彼の視線が俺の口を塞ぐ。
    「俺についてきてくれたし、俺の傍にいてくれたし、結局俺は寂しかったんだ。仲間が欲しかったんだなぁって」
     彼の声の方が大きいはずなのに、やけに秒針がうるさく聞こえる。
    「俺はお前のことをよく知ってる。多分、お前以上に。だからさ、お前にも俺の事知ってほしいんだ」
    「十分知っているつもりだけど」
    「知ってほしい。というよりも、理解してほしいの方が正しいな」
    「……何が、言いたいの」
     話は噛みあっているし、何の問題も無いのに、今の僕と彼には決定的な違いがある気がして、気持ちが悪い。
    「なあ、ちゃんと見てくれよ。俺の事」
    「……見てるよ」
    「いいや、見ていない」
     おかしなことを言うやつだ。昨日も一昨日もその前も、僕たちはこうやって朝食を食べている。他には……他には、思い出せないけれど、まあいいか。現に、今も彼は僕の目の前にいるんだから。
    「なら、俺はどう見える?」
     彼が手を伸ばし、僕の頬に触れる。しかし、その手に体温はなく、ひどく冷たかった。
    「髪の色は?目の色は?肌の色は?……骨の、色は?」
    「何を、言ってるの……?」
     何かがおかしい。彼の髪色は黒くって、目の色も黒。肌は少し日に焼けていて、骨の色は、絵具みたいに真っ白。とそこまで考えて、ヒュ、と息を吸い込んだ。瞬きを一回。先ほどまで目の前にいて微笑んでいた彼は一瞬真っ白な髑髏となる。
     瞬間、ぐるぐると記憶が流れ込んできた。

     横転したトラック。倒れたまま動かなくなった優斗。道端には帰ったら食べようって話してた焼き芋が転がっていて。薄く積もった白い雪が、じわりじわりと赤く染まっていく。耳をつんざくサイレンがやけにうるさかったのに、そのあとの医者の話とか孤児院の先生の話とか、そういうのは一切入ってこなくって。

     嗚呼、そうだ。思い出してしまった。

     彼は、彼は死んだんだ。つい一か月前に事故に遭って、二度と帰らぬ人となった。

    「ごめんな。お前は、幸せになれよ」
     気付けば、部屋には僕一人だけだった。いや、今思えばもうずっと前からこの部屋には僕しかいなかった。僕はずっと、消えた彼の幻覚を見ていた。見続けていたのだ。
    「ああ、そうだ。そうだった」
     嗚咽を漏らしながら、僕は机に伏せる。
     薄暗い部屋の中、目の前に親友の姿はなく小さな白い壺が置かれていた。冷えてしまった朝食も、二度と戻ることの無いあの体温も、全部全部過去のもので。
    「君がいなきゃ、幸せになんてなれないよ」
     冷たくなったマグカップの中の黒い液体が、ゆらりと揺れた。
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