レンタル彼氏12 契約した一週間の残り二日はのんびりした時間を過ごした。
旅行直後でハードスケジュールかとも思ったが、魏嬰たっての希望で国内でも有名な渓谷へと足を運んだ。
魏嬰は旅行の疲れを一切見せずにライン下りを楽しんだ。
本当はラフティングを経験したかったようだが、タイミングが合わずにライン下りとなったのだ。
熱風でも冷風でもない心地好い風に髪の毛を靡かせながら、魏嬰は空より少し下に見える岩畳をじぃと見詰めていた。特別天然記念物に指定されているそれだから、しっかりと目に灼き付けておこうというような眼差しだった。
「こういうアクティブなことってあんまりしないから、純粋に楽しいな」
手を組み前方へ腕を伸ばす魏嬰に、そうだなと相槌を打つ。
インドア派と明確に分類する訳ではないが、アウトドア派だと胸を張って云える程でもない私だから、広大な自然は目に新しく、また心を潤してくれた。
ライン下りを終えた先では、やや季節外れではあるがまだギリギリ提供をしていた名物のかき氷に目を付けた。
魏嬰はイチゴが氷の山を覆い尽くすように盛られたかき氷。
私は白玉と粒餡が添えられた宇治抹茶のかき氷を食べた。
天然水で削られた氷は積もり始めの雪のようにふわふわとしていて、口の中でさっと溶けていく舌触りが絶妙。
「藍湛、藍湛」
「何だ?」
手元から視線を魏嬰に向ければ、目の前に差し出されたのはイチゴと氷を乗せたスプーン。
「イチゴ、美味いから食ってみなよ」
ほら、あーん、と微笑まれて少しだけたじろぐ。
「俺からのかき氷は食えない?」
わざとらしく唇を尖らせる魏嬰に刹那躊躇ってから、差し出されたスプーンを口に含んだ。
氷に乗っていたイチゴはよく熟していて、とても甘かったけれど、後味がほんのり酸っぱく感じたのは魏嬰へ抱く想いが成したものだったのかも知れない。
「あー、今日も楽しかった!」
いつものターミナル駅での別れ際。魏嬰が満開の笑顔を咲かせて私をその双眸に映し出す。
「藍湛、疲れてないか?」
俺が連れ回しておいてこんなこと今更訊くのもアレだけど……と表情を苦笑に変えた魏嬰に、大丈夫だと返す。
魏嬰が傍に居れば疲れなど知らないで居られる。
「明日でもう終わりかー」
名残惜しそうな声を出す魏嬰に胸の奥がキュッとなる。
それが本音か商売文句なのかが判別出来ないから。
「明日は近場でのんびりしよう」
魏嬰の提案に頷いて、翌日の待ち合わせ場所と、時間を決めて別れた。
最終日はまずシティビルにあるプラネタリウムへ行った。カップルシートでアロマの香りに包まれながら、天地がひっくり変えるような不思議な感覚を味う。
それは魏嬰も同じだったようで、
「凄かったな」
あんな満天の星空なんてよっぽど空気が澄んだ場所に行かないと自然の中で見られる機会ないから、圧倒された。
本当に星が手元に落ちてきそうな気がした、と。嬉しそうにしている魏嬰を見られるだけで、こちらの口許も仄かに弛んだ。
その後多国籍料理屋で昼食を済ませ、魏嬰が行ってみたいと云うから電車で数駅離れた場所にあるクールサウナという場所へと赴いた。
青白い照明に包まれたひんやりとした空間にクラゲがふわふわと浮いている水槽が壁の一面を占めていて、幻想的な空間だった。
丁度その時間に私たち以外の客はおらず、然程離れていない座椅子の隙間で魏嬰は私の手指に手指を絡めてきていた。室内が涼しいから、という理由だけではなく。触れる手が火傷しそうに熱かった。
この手がずっと離れずに融けてしまえば良いのに……と願ってしまう私は欲深いだろうか。
魏嬰と過ごす時間はいつだって早回しで、あっという間に夜になってしまった。
昼をしっかり食べたからか、お互いさして空腹感もなく、カフェで軽食を摂りながら他愛のない話をして、魏嬰が気に入っているバーへと場所を変えた。
「あー、楽しかった!」
あっち行ったりこっち行ったり。殆ど俺の我儘ばっかり聞いてもらって悪かったな、などと云われたが、何の迷惑も感じていないと左右に軽く首を振る。
それにメインイベントの旅行に誘ったのは私の方だ。しかも規則を破ってまで付き合わせてしまったのだ。迷惑を感じさせたのは寧ろ私の方ではないかと肩が竦んだ。
「藍湛は明日からもう仕事か?」
「あぁ」
「そっか。無理しすぎないようにな」
「魏嬰こそ、明日もフリーではないのだろう?」
「まぁね」
「お前こそ無理がないように」
「はは、ありがと」
「んー、帰りたくない」
二十三時までしか一緒に居られないだなんて、まるでシンデレラみたいだ。
「ガラスの靴を落としたら、藍湛は追い掛けてきてくれるか?」
悪戯めかした声に、私は少しも躊躇わずに頷く。
「あはは、即答か」
それはそうだ、とは胸の裡でだけ。
例え魔法が解けたって、私は魏嬰を探し出そうと必死になるだろう。
「そろそろ時間だな」
グラスに残っていた酒を一息に呷ってから、トンと魏嬰は身軽にスツールから下りる。
そうしてターミナル駅までの歩幅を普段よりも緩やかにした。
その仕草が私にだけ向けられているものだったら、どれだけの喜びを感じられるだろうか。
ターミナル駅に着いて、改札をくぐる前にほんの少しだけ向かい合って視線を交える。
「藍湛」
ホントに楽しかった。
そう云って、魏嬰はそっと私の指先を撫でてからくるりと踵を返した。
「じゃあ、またな」
ふわりと向けられた笑顔が別れの挨拶になるだなんて予想出来る筈もなかった。